安藤さんのコメント(1997/2/19)への無藤さんの反論(1997/2/19)

安藤さんのコメント(1997/2/19)への無藤さんの反論(1997/2/19)

Date: Wed, 19 Feb 1997 22:40:00 +0900
From: 無藤 隆
Subject: FW:RE:Ando's Comment
To: kazmori@gipwc.shinshu-u.ac.jp
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不達:INT00100 97/02/19 21:49
題名:RE:Ando's Comment
To kazmori@gipwc.shinshu-u.ac.jp (MORI Kazuo)

私の意見がどう評価されようと、さほど研究を分かっての議論ではありませんから、し かたありませんが、「牧歌的」ということは驚きました。少なくとも、私のような意見 を吐けば、多くの場で、反発を受けるからです。反発を受けるからといって、もちろん 、牧歌的でないとは言えないとは思いますが。ただ、遺伝重視にせよ、環境重視にせよ 、それらの研究が教育に対して強い意味を持つのだと言うデモンストレーションになっ ているのかどうかを私は疑っているわけです。遺伝的負荷を何か知って(障害を持って いるわけでない子供に対して)現在何か処遇を変える方がよいことがあるのでしょうか 。私は将来の可能性を論じているのではありません。いかなる議論も将来の可能性につ いては中立的で、研究次第でいかなる議論も変わります。遺伝的規定で学校教育の何か を変えるほどの証拠を見た覚えはないという「素朴な」反応が私の応答でした。 私は環境万能からほど遠い立場ですが、しかし、教育とは、多少ともある環境的変化の 可能性に注意を集中する営みだと思います。その集中の際に、遺伝的情報を知っている と、扱い方がどう変わるのかが論議のポイントです。          無藤


Date: Wed, 19 Feb 1997 22:41:00 +0900
From: 無藤 隆
Subject: 追伸
To: kazmori@gipwc.shinshu-u.ac.jp
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追加
 もしかしたら、話しが食い違っているといけないので、もう少し付け加えます。対立 するのならそれでよいのですが、同じ考えのところは同じだ、違うとしてどこが正確に は違うのかを確認した方がよいので。まず、私は発達心理学をやっている人間で社会文 化的影響を重視しますが、しかし、遺伝的規定を同時に大変重視しています。当然強く 効いているだろうと思っています。そして、教育についてもある種の重要性を持つと思 っています。例えば、知能にせよ気質にせよその個人差に遺伝は強く効いていると思い ます。

 ではどこで遺伝と教育は関係ないと言っているのか。例えば、気質に遺伝が効いてい るのは疑えません。また、気質がその子どもへの対応において極めて重要なのは、流行 のEQを持ち出すまでもありません。一人一人への応対を考える際に遺伝的規定の強い 要因を考慮することになります。しかし、その個々への応対に関わる要因は極めて多数 あり、特定の要因の個人差で処遇を一律に変えることは有効でないと思います。さらに 、社会的に規定される集団の場合に、その遺伝的多様性は大きく、統計的な違いから一 律の処遇を決めるのは賢明でないと思いいます。

 以上が、教育に対して個人差の遺伝が関係ないと言っている中味です。教育的処遇を 個々に考える際に考慮すべき要因は、遺伝にせよ初期経験にせよ現在の環境にせよ、様 々の影響のもとに成立する沢山の要因の組み合わせであり、その組み合わせを現在予測 できないということが私の判断の大きな理由です。また、環境的影響は、遺伝的負荷と は別にその全員の行動を変化させることは可能であり(例えば文字を読むことのように 時代で大きく変わる)、文字を読む早さの違いが遺伝的に規定されるであろうこととは 別のことです。その上、文字を読む早さは環境によっても明らかに規定され、その交互 作用によって決まるのでしょうけれど、正確にその様子を教育する以前に知って個人毎 に決めることは困難です。

 以上の議論は繰り返しますが、行動遺伝学が近い将来教育を大きく変える発見をする 可能性に対しては関係がありません。将来は単に分かりません。