毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]
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「生まれか育ちか」は長い論争の歴史があるが、最終的には「生まれも育ちも」という無難な結論に落ち着いてきた。そうした意味で、この本もまた、今までの論争の新たな総まとめにすぎないと思われるかもしれない。しかし、そうではない。この本は基本的には「遺伝子がいかに私たちを作り上げるか」についての最新の知見をわかりやすく解説したものなのである。著者は「生まれか育ちか」という不毛な二項対立を批判していて自分はどちらにも与しないと述べているが、明らかに「遺伝子(生まれ)」派であると思う。(翻訳者たちが邦題を『生まれも育ちも』にしなかったのもそのためだ。)
構成もなかなか洒落ている。まずプロローグで「人間の本性について、20世紀に広く認められた主要な理論を組み上げた」12人のひげづら男が、1903 年に一堂に会した架空の写真の紹介から始まる。その男たちとは、チャールズ・ダーウィン、フランシス・ゴールトン、ウィリアム・ジェームズ、ヒューゴー・ド・フリース、イヴァン・パヴロフ、ジョン・ブローダス・ワトソン、エーミール・クレペリン、ジグムント・フロイト、エミール・デュルケーム、フランツ・ボアズ、ジャン・ピアジェ、そして、コンラート・ロレンツである。(本書では、それぞれのひげづらの様子が描写されているだけだが、ここではインターネットの利点を生かして、それぞれの名前から写真が見られるページへリンクしておいた。)
これらの知の巨人たちは「みなそれぞれに正しかった」というのがこの本の著者の主張である。では、なぜ「生まれか育ちか」をめぐって対立することになってしまったのだろうか?それは、「他人の考えを批判しすぎたからである」という。人間の本性はこれらの人々が見いだした真理のすべてが組合わさったものなのだ。「じゃ、また結局は『生まれも育ちも』の無難な複合説ってことじゃない」と思うかもしれないが、そうではない。生まれと育ちとが具体的にどう関わるのかを遺伝子の働きという視点からキチンと整理したのがこの本なのである。
「遺伝子」という言葉が、いろいろな意味で使われてきていることが整理されているのもこの本の優れた点だと思う。用語の意味の整理は最初にやっておきたくなるものであるが、あえて最後尾に近い第9章にそれを置いているのも心憎い配慮である。いきなり、遺伝子のいろいろな意味の解説から始まったのでは、読み手は混乱して読む気をなくしてしまう。まずは、人間味あふれる個々の学者ごとにその主張を紹介し、その利点と問題点とを示し、遺伝子の働きという視点から考えればその利点と問題点がうまく解釈できることが繰り返し示される。そして、読者の理解が十分深まったところで、最後に総復習をするのである。
これはホントに面白い。そして勉強になる。先月のDOHCで「本にあまり魅力を感じなくなった」みたいなことを書いたけど、あれは間違いだった。やっぱり面白い本は面白いぞー。(守 一雄)