森 敏のページ 

 

この森徹追悼ページは、私が作り始めました。
オリンピックと言う夢にすべてをかけていた弟、癌という凄まじい病気との闘い、すばらしい仲間たち、いろいろなことを知ってもらいたくホームページを作っています。めだちがり屋の弟は、忘れられてしまう事を一番心配していました。25年という短すぎる人生でしたが、一生懸命に生きていた弟のことを、このホームページを通して、少しでも多くの方に知って貰えればと思います。今までに、ホームページを作った経験はなく、苦労していますが、精一杯の気持ちを込めて作ります。感想など貰えればうれしいです。

私、森敏のメールアドレスは、morichin@aol.com です。


[私の日々奮闘記]

 

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森敏(もりさとし)の紹介

1971年5月19日生まれ、27歳 野沢温泉村出身

所属:野沢温泉スキークラブ

スキーのノルディック複合選手、全日本A指定

長野オリンピック、複合個人、団体戦に出場

現在、地元野沢温泉にてトレーニング中

 

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弟との関係

徹は、2歳違いの弟です。やっている競技が違ったので、喧嘩はあまりしなかった。(小さい頃はよくした・・・いじめてた)この年になっても兄弟で遊びに行くことが多く、すごく仲が良かった。

弟とは、兄弟であることはもちろん、良きライバルであり、同じ目標をもった同志、理解者であり、親友でもあり、いろんな意味で自分に取って大きな存在だった。徹にとって自分は、負けたくない相手、目標だったと思う。

長男の晃も含め、大変仲は良かった。兄弟3人での旅行は、いつも楽しかった。もう3人では行けないと思うと、とても寂しい。
やっぱり、3人揃ってなくちゃだめだ。3人いて初めて、森3兄弟なのに。

 

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とおるへ

とおる、つらかったな、苦しかったな、大変だったな。闘病生活の最後は、本当に辛そうだった。あんなに強い体をしていたお前が、あそこまで痩せてまで病気と闘っている。その時に、どうすることも出来なかった自分が悔しい、ただそばにいてやることしか、見守っていてやることしか出来なかった自分が悔しい。

癌という病気との闘いに、俺も家族もみんな徹と一緒に闘っていた。みんな一生懸命だった。それでも、どんどん悪くなっていくお前をどうすることも出来ず、病室を離れ涙するときや、無力感からか、治療法に関して喧嘩するときもあった。みんな、どうしてもお前に良くなって欲しかった。辛いと思ったときも確かに何度もあった。でも、それでも、お前がいなくなってしまった今ほど、辛いときはない。

帰ってきて欲しいという気持ちと、もう苦しまなくていいんだな、もう闘わなくていいんだな、お前はよくやった、お疲れさんと言ってやりたい気持ちと両方の気持ちがある。
とおる、お前との楽しかった日々が忘れられない、終わることのない日々だとずっと思っていたあの時を忘れられない。今はまだ信じ切れない、お前が本当にいなくなってしまったことを・・・。

 

 

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