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西暦 時代 年号 月/日 事       歴 史 跡
 木曽義仲 (資料館「義仲館(yoshinakayakata)」)   木曽町日義
木曽義仲の里
1152














仁平3年  木曽義仲の父義賢(よしかた),武蔵国比企郡大蔵館に居構。   埼玉県嵐山町
1154 久寿元年  武蔵の国大蔵の地にて木曽義仲(駒王丸)誕生。   1153生まれの
 説有り
1154 久寿2年  8/16   木曽義仲の父義賢は,大蔵館で甥の源義平の闇討ちで討たれた。
 駒王丸と母小枝御前は,畠山重能(しげただ)斎藤別当実盛(さねも
 り)等の計らいで
 難を逃れることができた。
 矢田義清(よしきよ)らに護られて木曽(吉祖)の中原兼遠に庇護を求
 め,兼遠の館(
 吉祖庄館(しょうかん))に落ち延びた。
 中原兼遠は
木曽義仲の糧と文武学問の後見人となった。


 館跡は
 木曽町新開
 栗本
 手習い
 天神

1156 保元元年 7/16  保元の乱始まる。
1157 保元2年   誕生  武術を心得華麗で美貌の女武者。
 御後の巴御前。巴は
木曽義仲を慕い愛と情熱を捧げ一心同体共闘し
 た。
 今井四郎兼平,樋口次郎兼光の妹。乳母子。
 巴ヶ淵,
 巴の松
1159 平治元年  12/9  平治の乱始まる。
1160 永暦元年  源義朝殺され,源頼朝伊豆に流される。
1168 仁安元年  木曽義仲13歳 京都石清八幡宮元服 木曽お次郎義仲と名乗。  平家物語 
1170 仁安3年  木曽義仲 の母小枝御前死去。宮の原(柏原)居移館(木曽町日義
 の地
 柏原寺(徳音寺)
 へ葬らる

 岩華観音(居
 館へ引水守神)
1177 治承元年  京都・鹿ヶ原の陰謀発覚。京都・鹿ヶ原の陰謀発覚。
1179 治承3年  11/20  平清盛クーデターを起こし,後白河法皇を閉じこめ院政を停止する。
1180 治承4年  4/9
 5/26
 6/?
 8/6
 9/7
 
 10/13
 10/24
 12/28
 以仁王から平家追討の令旨。源 頼政諸国へ伝令,
 以仁王,
木曽義仲の兄仲家討死,源頼政宇治川に討ち死
 為政者平清盛都を福原へ遷都す。
 源頼朝伊豆にて挙兵。山木判官を討つ。
 
木曽義仲27歳日義の里宮の原(柏原)の地で挙兵。市原の戦い
 で笠原頼直 に勝利。
 木曽義仲,上野国に進軍富士川に陣取り平家軍と対峙。
 信濃に退陣。
 平重衡,東大寺,興福寺南都を焼き討ちの暴挙。





 旗挙八幡宮・南
 宮神社
1181 治承5年


養和元年
 1/13
 6/13


 8/15
 9/6

 中原兼遠平家へ起請文を送る。
 平家方の城氏,越後より信濃へ侵攻。
 木曽義仲これを横田河原(長野市)に迎え撃って大勝。
 恩人中原兼遠円光と号すも没。
 平経正,平通盛,平教経(のりつね)の平家教軍勢義仲討伐に北陸道
 遡上。 平家軍,
木曽義仲の軍と越前水津(すいつ)に戦い,大敗退。
 源平盛衰記
 
 
 林昌寺へ葬ら
 る

 『吾妻鏡』

1182














寿永元年  木曽義仲29歳,頼朝,平氏の三勢力対峙する。この年凶作。
1183 寿永2年  3/26
 
4/17 

 5/2
 5/8

 5/9

 5/11

 
 
6/1

 6/10
 7/25

 7/28
 
 8/10
 
 8/15

 9/10
 10/1
 10/15

 11/19
 12/15

 木曽義仲 兄頼朝と不仲になり,長子義高を人質として送り和解する。
 平家は
木曽義仲軍追討のため,平維盛総大将他6大将を命じ北国へ
 下向。
 木曽義仲軍 篠原の戦いで初戦後退。
 燧(
ひうち)の戦いで木曽義仲軍敗退。
 
木曽義仲軍般若野の戦いに勝利。
 木曽義仲越中砺波山の東に布陣埴生八幡宮に戦勝祈願倶利
 伽羅峠夜夜襲
 平維盛の大軍 を撃破る。
 勢いをかって平軍を追討加賀篠原に破る。
 木曽義仲
の家臣手塚光盛が平家方武将斎藤別当実盛を討つ。
 木曽義仲
越前の国府入り,比叡山延暦寺への牒状を覚明に書かせ
 僧徒 を誘う。
山門木曽義仲の求めに追従。
 木曽義仲京都に迫る。平家は安徳天皇を奉じ宮都落ちる。行家, 
 入京.。

 木曽義仲入京後白河法皇謁見。平家追討の院宣下賜。
 
木曽義仲は従五位下左馬頭(まかみ)兼越後の守に,行家従五位備
 後の守
 朝日将軍 授かる。
 
木曽義仲京都入りして後白河法皇に拝謁。平家追討の院宣を受託
 木曽義仲,伊予守に撰任ぜらる。
 木曽義仲,平氏追討のため山陽道播磨へ向かう。
 木曽義仲軍,備中水島の戦いで平軍に敗れる。
 木曽義仲,帰都
 法皇 木曽義仲 に都退去を命ず。
 木曽義仲法住寺殿を攻め法皇の近臣らを解官する。
 法皇に頼朝追討の院宣を無理に奪取。
 法皇藤原秀衡に頼朝追討の院宣を下す。




 『平家物語』

 玉葉

 光盛木曽義仲
 の恩人
を討つ 



 『玉葉ほか』







 法皇を恨み申す
 『吉記』

1184
元暦元年  1/10
 1/20
 1/21



 2/7

 2/19
 3/24
 4/21
 4/27
 木曽義仲,後白河法皇より征夷大将軍に任じられる。
 源範頼・義経の軍,勢多・宇治で
木曽義仲軍を破り京都へ入る。
 木曽義仲31歳 近江の粟津の辺りにて討死
 木曽義仲命よりも友情を選んだ英雄の最後
 今井兼平,根井行親らも戦死。

 樋口兼光も京都で斬られる。
 一ノ谷の合戦。
 屋島の合戦。
 壇ノ浦の合戦。平家滅亡
 木曽義仲長子清水冠者義高,鎌倉を脱出。
 清水冠者義高武蔵国入間河原で生涯を果てる。
 吾妻鏡


 菩提寺徳音寺
 に一族眠る



 『吾妻鏡』

1185 文治元年  5/11  源頼朝,木曽義高の妹宮菊を鎌倉に召し,美濃国遠山庄内の一村を付与,
 信濃の御家人小諸太郎らに扶持させる。

1192 津久3年  7/12  源頼朝征夷大将軍に任じられる。


らっぽしょの歌 同じ木曽路の育ちじゃものを 彼等ばかりにいばらすものか。
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