おらが在所の英雄「木曽義仲公」はやわかり
 朝日将軍木曽義仲

 
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歴史のロマン満載。木曽駒が岳山麓に展開する木曽義仲史跡。豊かな自然の中リフレッシュ。
よらまいか
木曽義仲の里


木曽義仲の生涯へジャンプ山麓に展開する歴史とロマンに満ちた木曽義仲の里 山紫水明豊かな自然が満喫できます。http://www..avis.ne.jp/~kisokoma
   

  日義の里は, 今を去ること約 800 年の昔,父を殺され悲しむ母小枝御前(さえ
ごぜん)の胸に抱かれた2歳の駒王丸(義仲)が,武蔵の国の大蔵の地から逃れてき
たとき,哀れな母と子を優(やさ) しく迎え入れた里である。
義仲はこの里において,中原兼遠(かねとお)の愛情と恵まれた木曽の風土に育まれ
て養育され,やがて凛々(りり)しく成長していった。


  木曽義仲は,久寿元年(1154年)武蔵の国大蔵(現在
の埼玉県嵐山町)の源 義賢(よしかた)の第2子として生
まれ, 幼名は駒王丸と呼ばれた。 駒王丸が生まれた翌年
父義賢は,義朝の長子悪源太義平に急襲されて憤死した。
 このとき,義平は駒王丸も殺そうとしたが,畠山重能,
斎藤別当実盛等の温情によって木曽に逃れた。
この頃の時代は,平安時代の末期で,貴族の世から武士の
世への過度期でもあった。

 治承4年(1180年) 以人王(もちひとおう)の令旨を
賜わり,宮の原(日義の地)で平家追とうの旗を挙げた。
挙兵時の権力者平清盛に敢然と立ち向い, 上洛を果たし
た木曽義仲は,新しい時代を切り開き,次に武士の世の中
をもたらす先駆的役割を果たした評価すべき英雄だった。  
過ぎ去った歴史を辿るとき,木曽義仲の生涯は,大義名
分一筋に31年の青春を燃焼し尽くして亡んでいった薄
命の武将でもある。


  日義の里は, 義仲にとって幼少の頃より 25年の長きにわたり,文武の道を極めた
かけがえのないふる里である。
木曽をたって上洛を果たした義仲は,再びふる里に帰ることはなかった。
 しかし日義の里は,若くして世を去った郷土の英雄木曽義仲の,若き日の青春を偲
ぶ歴史を今に伝えて
いる。