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お知りになりたいこと | ご 説 明 | 出典の分類 | ||||||
盾親忠 (たてちかただ) |
(?〜1184) 佐久の豪族,根井行親(ねいゆきちか)の二男。 木曾義仲旗挙げ(挙兵)のとき,父の根井行親と共に真っ先に駆けつけ,平家追討に同道した。 木曾義仲四天王の一人。 |
1 人物 |
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手塚太郎光盛 てづかのたろうみつもり |
寿永2年(1183), 倶利伽羅峠で大敗した平家の軍勢は篠原の地(現在の加賀市篠原町付近)で陣を建てなおしたが再び敗退した。 この時,敗走する平家軍の中果敢に戦ったのが斉藤別当実盛。実盛は老武者とあなどられることを恥とし,白髪を黒く染めて参戦していたが,手塚太郎光盛に討ち取られた。 樋口次郎兼光が討ち取ったこの首を確かめると,黒髪は白髪に変わり義仲の命を助けた実盛と判明。 主君の恩人を討ち取った手塚太郎光盛は無情を嘆き号泣した。 |
1 人物 | ||||||
徳音寺 (とくおんじ) |
朝日将軍木曽義仲の菩提寺 木曽義仲の墓は,寺本堂脇の社殿の南側小高台に所在。母堂小枝御前や愛媛の巴御前の他,四天王樋口次郎兼光,同今井四郎兼平,同根井小弥太,同楯六郎親忠,重臣根井大弥太行親,家臣手塚太郎光盛など共に寄り添って眠っている。 徳音寺には義仲が常に兜に潜ませた守観音像,今井兼平の描いたという三幅対(さんぶつつい:木曽義仲・樋口兼光・今井兼平),開山太夫坊覚明や今井兼平の書き付け,小枝御前の写経など秘蔵されている。 山門の鐘楼は尾張成P隼人正の寄贈によるもので,絶景木曽八景の一。 木曽七福神毘沙門天霊場としても知られている。また,本田静六博士は徳音寺の湧水を泉水清冽と絶賛している。 |
3 史跡名勝・縁の地 | ||||||
巴御前 (ともえごぜん) |
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1 人物 | ||||||
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(2004/02/10)