木曽義仲の里見どころへご案内します。
        

                   徳音寺 (tokuonji)

 1168年(仁安3年)義仲公が母(小枝御前)を葬った寺です。
境内の墓所には義仲公を中心に右側には母小枝御前と今井四郎兼平,左側には巴御前と樋口次郎兼光等一族が眠っています。また徳音寺は,木曽七福神毘沙門天の霊場があり中部四十九薬師二十二番札所としても知られています。
写真右手の山門は犬山城主が寄進建立と云われ,攣(つ)られた鐘楼は「徳音寺の晩鐘」として木曽八景の一つに数えられています。

 
  (徳音寺と「木曽義仲」)
 駒王丸は, 仁安3年(1168)の春に元服して後は名を改め,木曽次郎義仲と呼ばれました。
その秋,母小枝御前が病没したので義仲公は養父中原兼遠と相談し,館の北山際lこ寺を建立し,母を弔い源家再興の祈願所としました。地名に因み柏原寺と呼ばれています。
 兼遠は義仲を養育した人で,巴御前・樋口兼光・今井兼平の三子に義仲の挙兵を助けさせています。
 平家追討の令旨をうけて挙兵した義仲は,京都へ上り征夷大将軍に任ぜられましたが,元暦元年(1184)粟津ヶ原で討死後に大夫坊覚明が亡骸を木曽に帰し,柏原寺の母の墓と並べ義仲公を弔った。
公の法号により柏原寺を徳音寺と名を改め,以後800年武将義仲の霊はここに眠っています。
 徳音寺の境内には,義仲公の画像,巴御前の長刀,義仲公が愛蔵したといわれる兜観音菩薩の品々を始め,宮ノ越の宿場に残された文化財の数々を展示した宣公郷土館があります。


  (徳音寺と「らっぽしょ」)
 木曽義仲旗挙げまつりの「らっぽしょ」は,8月14日の夜子供達が松明をともして狼煙山(山吹山)の頂からラッポショの歌をうたいながら下山して,義仲公の菩提寺に墓参りをする行事として,古くから行われています。
倶利迦羅谷の”田単火牛の策”の名残であり,義仲を弔う松明まつりとの伝承があります。