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囲碁について

囲碁について −その概括史など−

筆者: 細金恒三
平成2年1月 「憲友」所載
この一文は、囲碁にまつわる諸々を極めて明快にまとめたものとして、筆者の許可を得て掲載するものです。
筆者(1922-2012年)は、長野市高齢者囲碁大会で連続三回優勝を達成されるなど古豪のおひとりでした。
教養に富む文章家で、大陸での野戦憲兵時代の自伝は「残し書のこと」として文芸社から上梓されています。
( )内は、筆者註


 方経尺五寸に満たない盤上のゲームである囲碁の起源については、インドともシナ(中国)とも言われて

来ましたが、近年では後者であることが定説となっているようです。


 発生的には今から約三千年前の周の時代に、易学の研究に発した「占星」の事に使用した器具の用途

を、遊びに転化したものと考えられています。


 易占の器具としては経緯二十三路又は二十一路の盤であったようですが、遊びの器具として十九路の

盤になったのがいつの頃かは明らかではありません。

 孔子が生きた二千五百年前の春秋時代には、既に博(えき)の名で勝負を争い楽しんでいることが文献

に見られ、晋代に碁好きの樵が山中に迷い、とある大木のウツロの中で、仙童の楽しむ碁の遊びを見てい

る間に、斧の柯(え)が爛(くさ)る程時が経て、帰宅したところ村中が代替わりしていた(囲碁の別名「爛柯」

の語源)との、浦島伝説の祖とも思える説話や、中国の民衆が英雄中の英雄として渇仰し、又いたるところ

に祀られている関帝廟の主の「関羽」が戦いで負った傷の療治に際して、今に名の残る医聖の「華佗」が執

刀する手術に、相手があって碁を囲みながら、痛さのウメキの一言をも洩らさずに事を終わったなど、仙人

や武将にまつわる話が似合うようであります。

 先にもふれましたように、古くは「」と言い、又「棋・棊」(漢音でキ 呉音でゴと発音)は、木で作った

道具としての「コマ」のことを言い、後に石で作られるようになって「碁」という字が創られ、さらにに代っ

て遊びそのものを指すようになり、又遊びの形態から語感を増すために「囲碁」とも呼ぶようになりました。


 わが国への伝来は、奈良朝の遣唐使であった「吉備真備」が将来したと言われていま す。

正倉院御物の中に、コマ(碁石)を盤に付随した引出しに納める、古い様式を伝える実物が保存されていま

す。

宮廷の行事として、おそらく唐王朝からの伝来と見られる、日嗣の皇子が立太子礼に際し、二十三路の盤上

から飛び降りる儀式があったと伝えられていることを、ある本で知りましたが、「遊び」の伝承としては、宮廷

をめぐる皇族・公卿ら殿上貴人、学識豊かな僧侶・威備わる武家の棟梁たち、典雅な薬医師・由緒正しい

地方豪族、時代を下がっては高尚優雅な遊びを求めた学者・文人墨客・豪商豪農・或いは特殊社交界での

遊女(白拍子)などの教養(タシナミ)として、大いにもてはやされたようです。


 わが国最古の棋譜としては、鎌倉期の僧日蓮と弟子日朗の対局譜(真偽不明)が残されておりますが、本

能寺の変の前夜行われた本因坊算砂と鹿塩利賢の対局に現れた、三劫無勝負は不吉のことの前兆として

有名になっております。


 中世文化の花が開いた足利幕府の末期から、安土桃山時代にかけての権力者として君臨した、織田・豊

臣氏に優遇される斯界の第一人者である前述の算砂を祖とする本因坊家は家康以降の徳川幕府にも重用

され、血縁者も含めその芸道を継ぐ弟子達により、輝かしい伝統と権威を維持し、四百年の余を経た現在に

至っても、本因坊位のタイトル争奪戦にその名を残しています。


 囲碁が近世以降において隆昌をもたらした因としては、徳川幕府三百年の治世下に於いての、御城碁の

制度にあるものと考えられます。

将棋よりも上位に格付けされ、ともに幕府の庇護を受けた囲碁は、本因坊家の他数家の家元を生み、互い

にその芸を競いながら切磋琢磨し、その内容を飛躍的に充実向上させました。

現在行われているところの定石や型などの大半は、この時代の成果によるものと言っても良いと思います。


 明治維新という大変革の波を受けて、この芸を生活のよすがとする各家元に繋がる専門家たちには、受難

の時期でありましたが、この高度な芸の良き理解者たちである一部の高名な政治家・国士・経済人の援助も

あり、更には有力新聞の娯楽欄にその対局が取り上げられて掲載されるに及んで一般愛好者の爆発的な増

加を呼び起こすことになりました。

 特に第二次大戦終結後のわが国経済の大発展に伴い、その愛好者の層は学生や女性に拡がり、アマチュ

アの実力向上と数の増加は目を見張らせるものがあります。

 又、世界的に見ても局部的地域を除いて、戦後四十数年に及ぶ永い平和に恵まれ、その発祥の宗家であ

る中国を軸とした東アジア漢字圏ばかりでなく、ソビエット連邦を含む全ヨーロッパ・アメリカ・カナダ、並びに

中南米の一部諸国に及び、主催者を変えての世界或いは地域の大会など随時開催され、そのいずれにも

わが国の錚々たる人たちがプロ・アマを問わず、個人として又は団体として参加し、その実力を競い、時によ

り指導的役割を果しながら、東西文化の精神的交流に、ひいては世界の平和に大きく貢献していることは否

めません。


 ひとたび覚えてそこに遊べば、これがいうところの仙境かとも思える深遠な魅力は、洋の東西を問わず人

の心を捉えて離すことがなく、この知的なゲームが人間の腦細胞活動に適切な刺激を与えることにより、精

神の老化防止に役立っていることは、識者の論を俟つまでもないことと考えます。

 このような遊びを創造した古代中国の歴史的、民族的知恵に改めて驚嘆するばかりです。     (おわり)



碁をあらわす語の変遷 (編集者 註)

「憲友」について所在をご存知の方は、ご連絡下さい。

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最終更新日2019年10月24日

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