トールドアーマー「トランディ」

 AREA2
 「トランゼス」



「こいつは‥‥!」

 その機影に気がついたのは、太陽も沈みつつある夕暮れ時の事だった。トリエスタからなら遙か1600kmもの遠方、ビクトリーロードを随分離れた、そこはアウターワールドと呼ばれる荒涼とした砂漠地帯だった。そのTAはユニックス社製の「ブラスターエンジェル」で、軍、あるいはバウンティハンターを購入層として作られた遠距離戦闘型のTAである。両肩に装備された大型のレールキャノンとバックパックに仕込まれたマイクロミサイルが主な武装であり、敵の接近を許さずにしとめることが出来るというのがメーカーのうたい文句だった。操作性に癖があり、ミサイルなどの消耗品も高く、何よりTAらしくない(?)戦い方を強いられる為にバウンティハンター達の間では今一つ人気がない機種だったが、彼だけはその方向性を好んでいた。頭部に集中したロングレンジ:レーダー他の探査装置が機影の方向を向き、データの解析を始める。質量が大きい。ズームアップしそれを鮮明にデジタル処理した映像に、パイロットは思わず息を呑んだ。

「該当データ、無しだって‥‥! 新手のキラードールじゃないか‥‥!!」

 彼はつばを飲み込んだ。この情報をもって行くだけでもかなりの賞金が期待できるが、彼はふと思い直した。仲間内では「チキンが乗るTA」とも言われた、こいつの真価がようやく発揮できるチャンスではないか。時速としては約100km程度、等速で移動してくるところを見るとHFSに近い機構を使っていると思われた。機体の向きを変えるとレールキャノンのレーダーサイトが敵をとらえてロックONし、背後のミサイルが敵影の位置と距離を覚え込む。逸る心を抑えつつ、スコープをのぞき込む彼は静かにトリガーを引いた。

 甲高い回転音と共に両肩のレールキャノンがスパークを放ち、超電導コイルから槍状のプラズマ光熱弾(実弾のまわりをプラズマエネルギーが覆う特殊弾)が連続して放たれてゆく。静まり返った荒野に超高速で吸い込まれてゆくその弾道のあと、背後のバックパックが展開、マイクロミサイルが片翼4発ずつ、黄昏た天空へと次々放出された。計8発のミサイルはターゲットチェイサーの働きで弾道を変更しつつ、レールキャノンの着弾が起こす閃光へと吸い込まれていく。盛大な爆発は夕焼けによく映えていた。

「やったか?!」

 まばゆい光と衝撃、そしてその爆音に胸躍らせてスコープを押しのけたとき、その閃光は、突然きらめいた。

 「ブラスターエンジェル」に巨大な雷球が直撃し、破壊し、四散させる。しばらくしてやってきた巨大なその影には二つの鎌首のような突起物が見え、その一つが淡く煙を噴いていた。砂塵を巻き上げつつ、その巨大な存在はTAの残骸を意もせぬようにはじき飛ばす。進行は止まらない。進路はトリエスタの方角だった。



「まあまあフィリスさま! 良くご無事で‥‥。心配いたしましたのよ?」

 トリエスタ郊外にあるその小高い丘周辺は、トリエスタでは有名な高級住宅街だった。適度な緑は気持ちの良い大気と静寂を作りだし、星もきらめく今の時刻ならば街の光もインテリアとして一望できる。多くの有力者に気に入られたその地域には呆れるような大邸宅もちらほら見えるが、フィリスが立っているのはそうした「呆れるような大邸宅」の玄関だった。出迎えた熟年の女性はふくよかな体型を品の良い和服で覆い、呆れるくらい人の良さそうな笑顔で至上の喜びを表している。少し肩をすくめて微笑むフィリスの後ろで、お客の3人は落ち着かなげに、ただ辺りを見回すだけだった。

「ただいまばあや。お父様は、‥‥今日は遅くなるって。他の人は?」
「ええ、随分前にローワンさんがお連れになって、すでにお部屋にはお通ししてあります。‥‥そちらの方ですか? アーリーさんとおっしゃるのは」
「あ‥‥、はい。アーリー:ラグフォードと申します。こっちが妹の‥‥」
「ミア:ラグフォードって言います。どうも初めまして」
「リック:ラウンツェルです。よろしく」
「世話役のチハルと申します。ささ、中へ‥‥。それにしても皆様には感謝の言葉もございません。フィリス様をお助け下さったと聞いて、わたくし是非お礼をしなければと‥‥!」
「‥‥チハル、その件は後でいい。旅で疲れた客人は、他にもいるのだぞ?」

 エドワードの一言でようやく我に返ると、彼女は握りしめていたアーリーの手を離して客人達をその室内へと招き入れた。後はフィリスが先導し、アーリーとミア、そしてリックを奥へと連れてゆく。チハルと呼ばれた女性はエドワードにふと顔を向けた。どこかだだっ子を見るような、そんな笑顔だった。

「ご苦労さまでしたわね、『お客様』も。さぞお疲れでしょう」
「まったくな。明日は明日で『トランゼス』の発表会がある。気は休まらんよ」
「もうお年なのだから、ご無理はなさらずに‥‥。あのお方でしょ? 頼もしそうな方じゃございませんか」
「だが、まだ若輩のひよっこ共だよ。目は離せん‥‥。さて、私も行くかな」

 歩き出したエドワードの後ろ姿にくすりと微笑み、彼女もその後に続く。大ホールではすでに豪華な立食パーティの用意が済んでおり、料理の品々が乗ったテーブルが4つ、人々の間に島のように置かれていた。ライズのクルー達16名による宴はフィリスのねぎらいの言葉で始まり、その後は開放感に満ちた笑い声でホールが包まれる。荒野で行われた野外バイキングの時とは食材も設備も環境も一線を化していた。日頃の鬱憤を晴らすかのように作られた料理の品々は一部の人々を壮絶なる食欲魔人へと変貌させていき、シェフ達をいたく満足させた。

「よおアーリー、楽しんでるかい?」

 黒ビールを煽りつつ、リックがアーリーに声を掛ける。出来上がっている風はないが、楽しんでいることだけは間違いなさそうだった。

「楽しそうだな、お前さんは」
「人生は楽しむためにある、ってね。あの支社長の話も、気にしたところで俺達にはどうにもならないさ」
「‥‥矢面に立って操られる駒になるだけだぞ? それでも楽しめるってのか?」
「だが関わっている限り手は出せる。止めてしまえばそれで終わりだ。関わる方が少なくとも、楽しそうだろ?」
「‥‥なるほどな」

 にやりと笑いながら、リックはコップを掲げてみせる。アーリーも手に持ったワインを飲み干した後、ふとミアの存在を探した。少し端の方で女性クルー3名とフィリスを交え、なにやら楽しげに談笑している。アーリーはリックと同じ心理にはなれなかった。自分はミアを守らなくてはならない。だが‥‥。

 ふと、こちらを向いたフィリスと目があってしまう。慌てて視線を反らした向こうでも、フィリスは恥ずかしげによそを向いてしまった。からになったワイングラスを眺めつつ、アーリーはふと記憶をたどる。支社長の静かな言葉が、脳裏に蘇った。

「守ってやってくれないか、私の代わりにフィリスを‥‥」

 アーリーもまた、薄く不敵に微笑んだ。そう言えば、自分はやられっぱなしが嫌いだったのでは無かったか?



「ふんふん、今夜は静かなもんじゃないか‥‥。これで食い物がこれじゃなきゃなぁ‥‥」

 そう言って、その監視員は背もたれに思い切り体を預けながら、手に持っていたハンバーガーにかじり付いた。買いだめしてあるものを暖めただけのインスタントだから味気ないことこの上ない。都心のレストランならさぞ上手いものを食わせてくれるんだろうと夢想しながら、彼はやる気がなさそうにそのレーダーの表示板を見つめた。一辺5mの正方形をした室内には整然と電子機器が並べられ、分刻みのデータを記録するプリンターの音だけが時折聞こえる。軍の仕事としてはわりの良い方だが、退屈さは如何ともしがたい。時折レーダーに何か映るが、数秒後にコンピューターはバウンティハンターのTAだと認識し、光点を黄色から緑へと変更してしまう。識別信号を出しているからだ。

 トリエスタからなら500km程度遠方の、ここはエルファ統合軍によるアウターワールド監視施設である。約10km間隔で設置された監視塔は高さが約20m程度、てっぺんに着いた遠距離探査用のレーダーがアウターワールドの荒野を見つめ、機械だけは敵の発見に全力を注いでいた。もっともこの辺りにキラードールが出現することはそうあるものではなく、実際の戦場は遙か400km程度遠方、それも大抵は軍の発見前に、バウンティハンター達がその首をもってやってくる事が多かった。安心しきってハンバーガーにもう一口かじり付こうとした瞬間、聞き慣れないシグナルが室内を埋め尽くす。赤い光点がレーダー上に現れたとき、彼はもう少しで後ろにひっくり返りそうになった。

「ちくしょう! せっかくの飯の時間に‥‥! 役立たずのハンターどもめ、こいつか!」

 モニター上で抽象化され、拡大したマップ上に示された赤い光点は、時速約100km程度のスピードでまっすぐに移動しているらしい。彼は目を見張った。赤い光点に次々接近する緑色の光点が、次の瞬間には消失している。彼は息を呑んだ。移動スピードにはいっさいの変化が見られないのだ!

「レッド:アラート!! キラードールを1体発見、現在時速約100kmでトリエスタに向かい移動中! 至急迎撃体制を!! 繰り返す‥‥!」



 その青いトランスポーターは今、倍ほどもあるライズの向こう側に停留していた。ラグナス:セカンド:ファクトリーのメンテナンスドックには人影は殆どなく、だが夜であるにも関わらず作業用ライトはついており、その青いトランスポーターを煌々と照らし出している。コクピット付近のリビングでは二人の子供がモニターの取り合いをしていた。ネット上の子供向け娯楽番組が、そろそろ始まるのである。

「『プリティないつ』だったらどうせまた再放送するって!! 『戦闘メカライデン』なんか今日最終回なんだ! 先週も見逃したんだ、たまには見せろよぉ!!」
「なによ、お兄ちゃんの馬鹿!! 今日新しいプリティ戦士が出るのよ? 絶対見なくちゃ駄目なの!! あーん、もう始まっちゃう!!」
「わ、こら!! 首を絞めるな‥‥」

 ビデオに撮っておくという手もあるはずだが、子供にとっては「情報の鮮度」の方がどうも重要らしい。じたばたじゃれあう二人の前でふとモニターから軽快な着信音が鳴り響く。やがて画面上に「メールが届きました」というメッセージが現れると、表示はそこで停止した。宛名は「バード:アルバテル」になっている。リサと顔を見合わせてから、クレイはすぐに外に走っていった。

「済まないな長谷川さん。助かる」
「なあに、若人の寄り合いに儂のような爺が行っても、煙たがられるだけじゃからの。それよりも久しぶりの『Z−ARK』の方が、儂にはごちそうじゃよ」

 展開した後部ハッチの縁に腰を下ろしながら、長谷川和宣はそう笑って整備中の『Z−ARK』を見上げた。固定ロックで直立の姿勢をとるその赤いTAは通常よりも遙かに小さく、おおよそ8m程度しかない。被弾のことなど考えてもいないのか装甲はきわめて薄く、腕部、脚部の一部などフレームがそのまま露出していた。代わりにジェネレーターを兼ねるバックパックが肩口からはみ出すほど大きく、左肩にぶら下がったウエポンラックバインダーと右肩のレールキャノンも不釣り合いなほど大きい。下手をすればレールキャノンの反動だけでひっくり返ってしまいそうである。これでキラードールと戦ってこいと言われれば半分以上は逃げ出し、出る奴も生還するのはバード1人だろう。チェックリストを眺めながら、長谷川は過去を振り返った。

「お前さんのプランを聞いたときは、全く正気の沙汰かと思うたがのぉ。だがこの機体だからこそ今のお前さんがある。支社長も英断なされたものだ‥‥」
「キラードールを殺れる機体が欲しかった。ただそれだけだ」
「ふ‥‥、なるほどな。利害は一致していたというわけか」
「4年間の借用期間も終わる‥‥。『トランゼス』もとうとう発売だそうだな。奴のプランも、あと少しだ」
「死中をくぐり抜けた、お前さんの実戦データあってのことさ。トランゼス、あれは良い機体だぞ? 一度乗ってみるが良い」
「トランディの量産機か‥‥‥」

 ふっと、バードは微笑んだ。

「嘘も方便というものだな。」
「お父さーん、お父さん宛で、メールが来てるよ!」

 ポーターのタラップに顔を出したクレイが、上から父親を呼びかける。バードが懐から手帳状になった携帯端末を開いて親機にログインすると、メールボックスの中に一通のメールがあるのが解った。「至急」とスタンプされたそれに剣呑さを覚えつつも、バードはクレイに礼を言う。にこりとしながらリビングに戻ったとき、モニター上では「プリティないつ」が上映されていた。リサがこっちを向いて、「にっこり」としていた。

「‥‥整備は、終わっとるぞ?」
「すまないな長谷川さん。トランスポーターを出す。至急だ」
「‥‥敵か?」

 長谷川の真剣な表情に、バードの目が鋭く彩られる。手帳を閉じながら、彼の口元には笑みがあった。

「‥‥獲物さ」

 やがて青いトランスポーターがゆっくりと始動を始める。ゲートが開放され、トランスポーターは暗闇の中へと走り出していった。



 グリーデン家で行われたサテライトの帰投パーティも、夜の9時ともなれば終着に向かう。料理の殆どを平らげたクルー達は片づけを手伝おうと思っていたが、それはチハル率いるメイド達によって手を出す機会すら与えられなかった。クルーの数名は我が家へと帰ることになり、遠方から来ている者達はグリーデン家で用意された部屋にベッドを借りる。女性で泊まる者はミアだけだったので、彼女はフィリスの部屋にまねかれた。その部屋で、ミアは思わず目を丸くした。

「うわぁ‥‥、お姫様のベッドみたい‥‥!!」

 部屋の隅の方にあるそれは、元々のベッドと併せて二つある。部屋の大きさは大広間と行ってもミアには差し障りなく、ガルトスのラグナス支店に預けてあるトランスポーター「フォレスト」の居住スペースを全て足しても、おそらくまだあまりがあると思われた。その部屋の中に豪華なインテリアが整然と並べられ、ベッドには周囲を覆う柱と天幕すらある。レースのカーテンをちょっとめくると、明らかに羽毛と解る肌触りの良いマットレスがそこには敷かれていた。

「ホントにこんなところで、あたし寝ちゃっていいのかなぁ‥‥!」
「ばあやがはりきっちゃって‥‥。でも良かった、喜んでくれたみたいね」
「気分はもう最高♪ ‥‥でもこういうところで昔から寝てると、やっぱりフィリスさんみたいになるのかな。うちなんか子供部屋も小さくてねー、お兄ちゃんと一緒の部屋だったもん」
「そうなんだ‥‥」

 いいな‥‥。と、そうフィリスは心の中で呟いていた。羨望にも似た感情。結局アーリーがダイナモでキラードールに挑んだのも、トランディのパイロットを引き受けたのも、全てはミアの存在あってのことなのである。ミアは彼にとって大切な存在なのだ。彼にとって私など、結局雇い主というだけの‥‥。

 フィリスは無理に、そう考えるのを止めようとした。帰って来なかった父親のことがふと浮かんでくる。エドワードもチハルも、二人とも自分を大切に思っている存在だ。自分はとても大切にされているし、それはとても嬉しい。なのになぜ、自分はミアがこんなに羨ましいのだろう。



「あの、タヌキオヤジめ‥‥!」

 1階の誰もいないテラスを開き、星空を眺めながらアーリーはエドワードに毒ついた。男組に割り当てられていたのは大きめの1部屋のみで、計8名の男共がそこに布団を敷いて寝るにはちと狭い。隣で寝ていたマックスの肘打ちを食らって目が覚めてしまったが、随分飲んでいた連中も多かったため、起きてみればそこは酷い有様と変わり果てていた。寝言で女性の名を呟く奴もおり、数名の女性の名を連ねた最後にミアと呼ぶ。アーリーの手元にナイフがなかったことが幸いして、リックは次の日も朝を迎えることが出来た。ミアの「もう凄いの、お姫様のお部屋みたいだもの♪」という報告に眠気も起きなくなって、アーリーはふと夜風を求め外に出た。トリエスタの辺りはまだ緑もあるため季節らしいものもある。夏の夜風は肌に心地よかった。

「全く、天国地獄は現世にあり、だなぁ‥‥」

 庭の広さも豪勢さも、アーリーの生活では想像も出来なかったものだ。一望できるトリエスタの明かりは美しく、澄み切った大気が晴れ渡った夜空の星をいっそう引き立てている。月明かりを頼りに歩きだそうとしたアーリーは、そこに先客が居るのを発見した。そのシルエットに、心が跳ねた。

「フィリス‥‥さん?」
「え?! あ、アーリーさん!!」

 びくりとして、フィリスは慌てて上着を寄せた。もう夜も更けている。誰もいないと思っていたからコートをネグリジェの上から羽織っているだけで、心細いことこの上ない。頬を紅潮させるフィリスの表情は月明かりでは解らず、アーリーの方は言葉を交わすきっかけが掴めなかった。沈黙が二人の間に漂う。それでも、切り出したのはアーリーだった。

「‥‥こ、こんばんわ。ミアは、行儀良くしてます?」
「え、ええ‥‥。今は、ぐっすり寝ています。私は少し、寝付けなくて‥‥」
「そう‥‥ですか」

 再び沈黙。双方とも相手の方を向けなかった。言わなくてはならないことがあるのだ、そのために声を掛けたのだと、アーリーは自分に言い聞かせてフィリスの方を向いた。フィリスは向こうを向いたままだ。それでも彼女と直接話す機会を持てた幸運に、彼は感謝した。

「‥‥実は今日、支社長と話をしたんですよ。『敵』の事について‥‥」
「え‥‥?」

 フィリスはつい振り向いてしまった。街の風景を眺めているアーリーの真剣な横顔に、胸の鼓動が早くなる。フィリスの方は向かずに、アーリーは昼間の事を話し始めた。

‥‥‥


 支社長室にいるのはアーリーとリック、そしてエドワードとジックスの4人だけだった。秘書が下がると扉が閉じられ、電子ロックが下りる。盗聴の危険が無いことをエドワードが告げると、ジックスは二人に話し始めた。

「会うのは初めてだな。私が支社長のジックスだ。敵の事で聞きたいそうだな、アーリー君‥‥」
「ええ。こっちは命を狙われた。リックもミアも、フィリスさんも巻き添えにしてね。彼女はあなたの娘でしょう?! 一体何が‥‥!!」
「君の活躍はめざましかった。トランディは今、多くのバウンティハンター、そして軍の関心をも引いている。明日行われる『トランゼス』の発表会でも、やってくる客の殆どはトランディが目当てだ。『量産機でも、あれと同じ能力が出せるか?』という、その一点においてね。エドワード」
「は‥‥」

 エドワードが傍らのコントロールパネルを操ると、天井に設置されたホログラフィーシステムが中空にTAのシルエットを映し出す。外装その他に多くの相違点こそあれ、それはトランディによく似たシルエットを持っていた。頭部は丸みを帯び、腕の部分にはナックルショットの代わりにマウントラックらしき切り込みが見える。エドワードがパネルを操作すると、腕に様々なオプション機器が付けられて、ホログラフィーのTAはそれを自在に運用して見せた。リックは思わず口笛を吹いた。

「なるほどね。フレームの汎用性を上げて、単品で多くの用途に対応しようって商品な訳だ」
「フレームの優秀性と、『E−TRON』があって始めて実現したTAだ。現時点のOSではクリスタルへの付加が高すぎてここまでの汎用性は期待できん。それだけでも十分なインパクトを市場に与えられるだろう」
「なるほど‥‥、ね‥‥」

 リックはそこで、ふと言葉を切った。瞳に剣呑さが混じる。彼は疑問を口にした。

「そのE−TRONって奴、専用BIOSなんですか?」
「いや。他のTAにも問題なく使用できる。トランゼスには必須だがね」
「‥‥なるほどね。敵ってのは、それか‥‥」
「? どういうことだ?」

 リックは面白そうに微笑んだ。

「『BIOSの選択肢が増えた』ってことさ。TAに使われるOSは現在、100%ENIAC社のENIAC−BIOSが占めている。そこに十分な互換性を持ち、より優れたBIOSが登場してきたらどうなる? 生死を左右するTAのBIOSは、パソコンのOSとは訳が違うんだぞ?」
「‥‥じゃあ今までの事は、それを阻止するための妨害工作だったって言うのか?」
「そう言うことだ。今までBIOSがENIACしか存在していなかったのも、あれが優秀だったからというだけではない。ちゃんと理由があるということさ」

 エドワードの言葉には感情がない。

「まさか‥‥、それで人殺しまで?!」
「企業というのはそう言うものだ。利益を守るためにはな。ENIAC社はBIOSだけしか売る物がない。今まではそれで十分すぎる利益が出ていたが‥‥。これからは違う」

 ジックスの微笑みに、アーリーはぞくりとした。獲物を追いつめ、食い殺す狼の目がそこにある。自分など、たぶん彼にとってはまさに駒のひとつなのだ。

「‥‥そのためのデモンストレーションが、トランディだって事ですか」
「そういうことだ。幾分敵の動きが早かったのでな。対処が遅れたが‥‥」
「そのためにフィリスさんを危険な目に会わせて? そこまでENIACに敵対する理由は何なんです!」
「邪魔だからだよ。TAの開発は初めから、全てENIAC−BIOSを基本として作られてきた。だがTAはキラードールを超えねばならんのだ。そうでなければ人は、ビクトリーロードから出ることは出来ん。ENIACでは、永久に超えることはない‥‥」
「キラードールを、超える‥‥?」
「今の話を、フィリスにしてもらってもかまわん。あれももう子供ではない‥‥。君も気に障ったのなら、いつ辞めてもらってもかまわんのだ‥‥」

‥‥‥


 静寂に支配された中庭で、フィリスは声が出なかった。アーリーも彼女の方は向いていない。沈黙の時間が流れ、やがてアーリーはフィリスの方に顔を向けた。

「トランゼスが出てしまえば、勝負はいずれ決まると彼は言っていましたが‥‥、解りません。E−TRONが優れたBIOSだとしても、人々に認められて普及するには時間が掛かります。TGはTAのデモンストレーションとしては最適だし、貴方自身がマスコミに出ることも意味がある。それだけにこれからも妨害工作はありうるんです。貴方にも危険が及ぶかもしれない‥‥。どうします?」
「え‥‥?」
「辞める事は、出来るんです。貴方のような人が、危険を犯す必要はない‥‥」

 アーリーの脳裏に、ジックスの言葉が思い出される。彼はまだアーリーに話をした。支社長の言葉を、しかしアーリーは、フィリスには伝えなかった。

‥‥‥


「‥‥だが、君を失うのは惜しい。だからこうして話をしたのだ。残ってくれるなら、もう一つ頼みがある」
「頼み‥‥?」
「フィリスにもし辞める意志がないのだとしたら‥‥。守ってやってくれないか、私の代わりにフィリスを‥‥」

‥‥‥


「私は‥‥」

 フィリスは顔を上げた。その声はどこか、今までの彼女にはない響きを持っていた。アーリーはそれを前にも聞いたような気がする‥‥そうだ、自分がトランディに乗ることを決めたとき、レシーバーの向こうで‥‥。

「私は、サテライトのリーダーです。私が逃げても、私だけが安全な場所にいても、サテライトの誰かが危険にさらされる‥‥。だったら」
「‥‥‥‥」
「私は、辞めません。その場にいて、出来る限りのことをします。私はお父様の、娘ですもの」

 前を向き、地平線の彼方を見つめたフィリスの横顔は月に映え、美しかった。アーリーの心で何かが結晶を作る。なら、自分が貴方を守ります‥‥。のどまで出かかったその言葉を、だが彼はまだ、言えなかった。

「明日は、忙しくなりそうですね‥‥」

 月に照らされる二人の男女は、しばらくじっとしたまましゃべらなかった。不意にその上空を、軍用の輸送ヘリが静かに飛んでゆく。アーリーの心にふと不安がよぎる。明日の発表会が何事もなく終わることを、彼は夜空の星に祈っていた。
AREA2 Final。



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