トールドアーマー「トランディ」

 AREA6
 「見えない心」



 ビーグルの室内は、生臭い血の臭いが漂っていた。体のふるえが止まらずに、吐き気は喉元までこみ上げている。フィリスの目の前で銃は撃たれ、血が流れ、人が死んでいった。リックはコックピットに、アーリーは助手席にそれぞれ移り、暴走を始めたビーグルを制止させようと手を尽くしている。人が死んだことは、もう忘れたかのようだった。

「‥‥ミアは、大丈夫か?」
「あたしは‥‥平気。お兄ちゃんの妹だもの」
「後ろ、頼むな」
「うん」

 とても、優しい声だった。こらえていた思いが堰を切り、不意に涙があふれ出た。震える体を抱きしめてくれたミアは、でも自分よりもずっと、年下の女の子なのだ。

「ミアちゃん‥‥」
「大丈夫だよフィリスさん。お兄ちゃんならきっと、何とかしてくれるよ」
「ごめんなさい‥‥。ミアちゃんに、こんな‥‥」
「ホント言うとね‥‥」

 顔を寄せ、フィリスにしか聞き取れないくらいに小声で囁いた彼女にフィリスははっとした。ミアの声も、震えていたのだ。

「あたしも怖いんだ‥‥。でも、そう思ったら負けだって、前にお兄ちゃんが言ってたから‥‥」

 フィリスはミアを抱きしめた。涙を拭きながら、フィリスは自分がサテライトのリーダーなのだと言うことを、ミアよりもお姉さんなのだと言うことを、ようやく思い出していた。



 だが。

「‥‥こういうのを絶望って言うのかな。アーリー、お前さんの意見は?」
「異議ありと言いたいところだね。言えない自分が情けないよ」
「現実は、厳しいねぇ‥‥」

 開けられるだけのパネルを開いては見たものの、全てが電子制御されているビーグルのプログラムはすでに固定されており、下手に止めれば制動もかけないままに防護壁に激突するのがおちである。減速中ならいざ知らず、今の時速は120km。飛び降りればまず間違いなく死ねるスピードだし、下手にぶつかれば飛び降りるよりも簡単に死ねる速度だった。そして後5分もしないうちに、ハイスピードロードは終着を迎える。後は出口のゲートに激突して終わりだろうか。こんな事ならわざわざオートパイロットにしなくても良さそうなものに。死んでいった人間は間違いなく、性格が悪そうだった。

「駄目なの‥‥?」
「ああ‥‥。ミア、レシーバーもってたな、ライズを呼び出せるか?」
「そだね‥‥。帰れなくなったって、みんなに言っておかなきゃ‥‥」

 全てを諦めた口調で、ミアが胸元のレシーバーを取り出す。突然鳴った着信音は、ミアがボタンを押すよりも早かった。

『アーリー! フィリス様はご無事か?!』

 後方から接近するビーグルのライトと共に聞こえたエドワードの怒鳴り声は、まるで天使の竪琴のように希望に満ちていた。



「全くアーリー、貴様がついていながら‥‥!」
「反省してますけど今は後!! ローワンもっと近づけて!! リック、先に行け!」
「けが人がカッコつけるなよ! エスコートは俺の方が似合ってる!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょーが!! お兄ちゃん先にいって、フィリスさん乗せてあげて! リックは最後ね。なんか不満ある?」
「うん」

 リックの返答は聞き流されてしまったらしい。仕切るミアの決定に従い、アーリーは隣を並んで走るライズのビーグルへと乗り移った。元々備品輸送も考慮に入れたビーグルである。乗用席こそ4シートだが、後ろのシートを倒せば6人はゆうに詰め込める空間の広さがあった。怯えた表情のフィリスが顔を出す。アーリーは手を差し伸べた。

「アーリーさん、あの‥‥」
「心配いりませんよ。急いで!」

 彼の笑顔は見慣れているはずなのに、フィリスは急に頬が上気するのを感じた。おずおずと差し出されたその手をアーリーは左手で受け取ると、彼女の肩口に右腕を回して抱えるように室内に引き込む。思いがけない悲鳴の後に、続けてミアも乗り移ってくる。ミアはフィリスが真っ赤になっている事に気がついた。原因はすぐに分かった。

「お兄ちゃん、手」
「え? ‥‥わたた!!」

 どうも感触が柔らかいと思った、などという情けない冗談も思いつかない。空間が狭すぎて、頬を赤らめたフィリスと距離を取ることも出来なかった。慌てて右腕を隠そうとして傷口を壁にぶつけてしまう。包帯は取れていた。

「あ、たたっ‥‥! す、すいません、そんなつもりは、別に‥‥」
「いえ‥‥」
「なにやってんだアーリー?」

 情けない返答と気まずい空気の中、リックも入ってくる。前方に終着点のゲートが見えたとき、リックは隣を走るビーグルを蹴り飛ばした。弾かれたポリスビーグルは一瞬直進ラインに車体をあわせようと姿勢制御を働かせたが、そのメインコンソールめがけてリックは持っていた拳銃で弾丸を打ち込んだ。火花を散らし、コンソールが破裂する。ローワンはビーグルを減速させた。ポリスビーグルは弾かれた軌道のずれを修正できないままに右の防御壁にぶつかると、弾かれて、左の防御壁にそのまま激突し、また弾かれた。アーリー達の乗った、停止したビーグルの前方200m付近で爆音がする。停止し、火花を散らしながら炎上するポリスビーグルの車体は、すでに原型を留めては居なかった。



 HSL上で起こったこの事故において、アーリー達が罪に問われるようなことはなかった。大橋巡査には病院に現れる少し前にタレコミがあり、「薬物使用をしているところを見た者がいる」と疑いをかけられていたのである。死後の事でしかないが、自宅の調査を行ったところ大量の『コンフィディンス:バーン』が発見され、また今回の「計画書」も同時に押収された。結局事件は「警察官が職務を利用して薬をやって、おかしくなった」という報道をされたまま、三流マスコミがおもしろおかしく書き立てただけで終わってしまうことになりそうだった。大橋巡査は過去の経歴全てを否定され、最低の人間と烙印を押されたまま埋葬された。それを知ったのは結局、ライズがセルセアをでた二日後だった。

「ねえフィリスさん。あの人、どうしてあんな事したのかなぁ‥‥」
「そうね‥‥。とてもいい人だと思えたけど‥‥」

 さんざんな休暇を終えたライズの端末室で、ミアとフィリスはコーヒーを飲みながらこの出来事を思い出していた。ミアにとっては救急箱を貸してくれた人だし、彼女は人柄を見抜く「勘」には自信があった。ミアのつぶやきに、フィリスは彼の言葉を思い出していた。

 子供の時からの、憧れだったからね‥‥。

 彼の言葉を信じれば、彼は警察官に憧れて、警察官になってから、自分が守る人々に希望を失っても、それでも警官であり続けたのだ。どこかで壊れてしまったあの人の、しかしあのときリックと語っていた内容に、二人の女性は嘘を感じる事は出来なかった。アーリーの言うように「敵」が居るのだとしたら、彼は何故「向こうに」身を投じたのだろうか。自分をも死に追いやってまで‥‥。

「男の人、だからなのかな‥‥」

 根拠のないつぶやきが洩れる。何故そう思うのか、フィリスにはまだ解らなかった。自らの危険を犯してもグレナディアを助けたアーリーや、ミアに軽口を叩きつつも、敵にならためらい無く銃を撃てるリック。警官に憧れて、警官で有り続けようとした大橋巡査もまた男だった。彼らの心にあるものは、フィリスにはまだ見えなかった。

(お父様も‥‥)

 優しかった父がフィリスを避けるようになったのは、自分が至らない人間だからだとずっと思っていた。だから地球の大学で勉強し、人に誉められる人間に、父に許してもらえる人間になろうと努力してきた。1年前に父に「エルファに来て、自分の仕事を手伝ってくれ」‥‥そう言われたときはとても嬉しく思い、だからこそエルファに来たし、だからこそTGという「くだらないゲーム」の仕事も二つ返事で引き受けたのだ。

 ‥‥お父様にも、私には見えない心が有るのかしら。優しかったお父様が変わってしまわれたのも、もしかしたらそんな‥‥。

 今のフィリスにはそんな疑問がふと、浮かんでいた。



「今回は、素直に感謝できるよ、リック」
「アーリーに感謝されてもなぁ。ミアちゃんは冷たいし」
「いい加減懲りない奴だな貴様‥‥」
「お前こそ、ビーグルの中じゃずいぶんいい思いしてたらしいな。わざとじゃないかって、ミアちゃん疑ってたぞ?」
「ば、馬鹿! あれは‥‥!」

 ライズのフロントデッキに上りながら、流れる黄昏の景色を見つめる二人はそんな話をした後しばらくして、笑いあった。やがてアーリーが顔を上げる。リックも話したい内容は同じらしかった。

「敵、か‥‥」
「ああ‥‥。エドワードは本社に着いたら話すと言っていたが、さてどこまで話してくれるやら。俺達はもしかしたら、とんでも無いことに巻き込まれているのかもしれん。‥‥だったら、どうする?」

 沈黙が二人の間に数秒流れる。アーリーはふと、微笑んだ。

「突き止めてやるさ。俺は、やられっぱなしは嫌いなんだ」

 不敵にリックも微笑む。夕焼けの赤い空に呟いたアーリーの一言は、どこか今までとは違う、何かの決意が込められているようだった。
AREA6 Final。



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