トールドアーマー「トランディ」

 AREA2
 「薬と逃走」




 サイレンサーで打ち消された銃声は、そのまま、アーリーの右腕の一部をえぐっていた。弾丸は何かに当たることもなく、開いた窓の向こうへと消えてゆく。それと同時に、アーリーの左手は翻り、その男を殴りつけていた。

「‥‥っく!」

 3年前になるとはいえ、アーリーも軍属だった人間である。染みついた危機回避の修練はとっさに左手でその銃を払いのけたのだ。返した左の拳はそのまま相手の顔面を殴りつけたが、その振動でえぐられた右腕に激痛が走る。思わずひるんだその瞬間、よろけた男は再びアーリーに銃口を向けた。身を沈めたその背面の壁に、弾丸が音を立ててめり込む。しゃがみつつ、アーリーは男の足を蹴り飛ばした。盛大な音を立てて、男は頭から転倒する。その向こうに人影が見えた。

「きゃ、きゃあああ!! 誰かぁ!!」

 女子トイレから出てきた一人が、驚いて声を上げる。逃げてゆく女性を視線の端にうつしたまま、アーリーはその男に組みかかった。だが男は転倒した際の打ち所が悪かったのか、うつろな表情のままぐったりとしていた。うつぶせにして、後ろ手に締め上げる。集まった野次馬に送れて警官もやってくると、カフェテラスの辺りはちょっとした騒ぎになってしまった。客のざわめきと好奇の視線の中、聞き覚えのある声が近寄って来る。右腕の痛みが不意に襲った。緊張が解けたためだ。

「お、お兄ちゃん‥‥なにやってんの?」
「ああ、ミアか‥‥。わからん。トイレから出たところで突然襲われたんだ。拳銃を持ってた」
「アーリーさん、その腕‥‥!!」

 青ざめるフィリスを見て思わず「かすり傷ですよ」と強がろうとしたが、情けないことに声が出なかった。えぐれた傷口からは血が絶え間なく流れ落ち、痛みで腕が上げられない。警官に連行される男は打ちひしがれたような表情で、なにやらぶつぶつ呟いている。大きく息を吐き出しながら椅子に腰掛けたアーリーに、フィリスはすぐに駆け寄ってハンカチを取り出した。ミアはミアで警官の所に向かう。救急用具がないか、聞きに行ったのだ。

「‥‥痛いですか?」
「痛いです」

 アーリーは素直である。フィリスはもう少しで吹き出す所だった。

「少し痛みますけど、我慢してくださいね」

 そう言って、止血のために傷口の少し上をハンカチで締め上げる。傷口は見えないように少し布を垂らしてあるため、集まった人々には興味の対象は見えなくなった。まばらになった観客達の向こうに、しばらくしてポリスマークのホバービーグルが停車する。アーリーを襲った暴漢が乗せられる所だった。野次馬が集まる。

「救急箱借りてきたよー。それからこの人、お話聞きたいってさ」

 手に救急箱をぶら下げながら、ミアが警官をつれてきた。簡単な事情聴取とフィリスの手当を同時に受けながら、アーリーは事の顛末を説明する。見返りに得られた情報は、少し腑に落ちない内容だった。



「『コンフィディンス:バーン』?」
「そう。最近出回り始めた薬なんだが、どうもあれはその常習者だったらしい。君を殺せば、恋人が出来るのだそうだ」
「な、なんなんですかそれって?! そんなでたらめな‥‥!」

 フィリスの意見はもっともだった。警官も異論は無いらしい。彼は首を振った。

「正しいかどうかなんて、連中にとっては問題じゃないんだよ。『自信がわいてくる』‥‥そういう薬らしいがね。」

 3人にはどういうことなのか初めは解らなかったが、説明を聞いているうちに背筋が寒くなった。その薬を吸った人間の思考はたとえば、「この参考書を全てマスターしさえすれば、カレッジに絶対合格出来る」‥‥そういう考え方になるらしい。そして薬は、それに対する疑問を全てカットするのだ。疑問がないから力の全てをそこにそそぎ込むことが出来る。何かをやり遂げたい人間にとっては、何かから逃れたい人間にとってはとてもありがたい薬なのかもしれない。だが、薬の効果はやり遂げたときに感じるエクスタシーをもって中和されるのだ。事が成らないままに薬の効果が切れれば、何倍にもなった「絶望」がその人間を襲う。そして成った人間にも、目的を失った巨大な虚無感が襲いかかる‥‥。

「半分は自殺し、半分は再び薬に頼るようになるらしい。精神的な禁断症状に陥るんだ。どこかの人でなしが考えた薬らしいが、全くいいところに目を付けたものだよ。戦争が終わったとはいえこの社会不安の中だ。需要は幾らでもあるという事かな」

 ため息をつきつつ、その警官は「気を付けてな」と一言残し、彼らから離れていった。あの男がなぜ「アーリーを殺せば」という考えに至ったのかは調べてみなければ解らないだろうが、少なくとも休日をのんびり過ごす気に成らなくなったのは事実である。不本意そうに、ミアが胸のレシーバーでライズを呼び出した。首都に近いセルセアでは交通量もそれなりに多い。環状線になったリニアトレインが主な移動の手段ではあるのだが、今は荷物が多すぎた。荷物持ちが負傷してしまっては動くに動けないのである。しばらくして聞こえたリックの軽口が、ミアの耳をくすぐった。

『やあミアちゃん、休日は楽しかったかい? アーリーの荷物持ちじゃ、足りなくなったかな?』
「なんで解るの?」
『そりゃあきまってる。「愛」って、奴さ』

 「馬鹿!」と怒鳴り返したミアの頬は、ちょっと赤くなっていた。場所を指定し、通話を切る。心なし落ち着かない様子のミアを見ながら、「リックとは、後できっちり話を付けよう」と心に決めたアーリーの横顔に、フィリスはにこりとした。



「‥‥へえ。アーリーも災難だったな。だがその程度で済んで良かったじゃないか」

 ライズに搭載されていたビーグルは、今は4人を乗せてターミナルへの帰路、ハイスピードロードを走っていた。4人乗りのセダンタイプの室内は、アーリーの提案で前座席は男、後ろは女性と割り振られている。副座席で「簡単に言ってくれるな」と言おうとしたアーリーだったが、ハンドルを握るリックの視線は、以外にも真剣だった。

「ネットの地域ニュースで、その『コンフィディンス:バーン』について記事が出ていたよ。『遺跡』で見つかった香が始まりらしい。エルファ統合軍で研究されていたものが、誤って流出したものという説が有力だそうだ」
「軍‥‥がか?」
「ま、軍だけじゃないとは思うがね。人を簡単に隷属させられる。どんな組織でも欲しがりそうだろ? もっとも情報も噂でしか無いが‥‥」
「‥‥‥‥」

 アーリーが軍隊に入ったのは、戦争で両親を失ったからである。彼は復讐のために、ミアを守るために、自ら戦場へと飛び込んでいった。だが軍はそうした兵士を「隷属させるために」、そんな薬を研究するという。たとえ真実だとしても、アーリーには信じたく無い話だった。だが兵士は「駒でしかない」ことも、アーリーには身にしみて理解できる。言うことを聞かない駒に、意味はあるだろうか?

「‥‥全員シートベルトはつけてるな。アーリー、傷の具合はどうだ?」
「なんだ?」
「付けられてる状況は気に入らない。振り切るぞ」

 言うが早いか、リックはビーグルを反対車線へと放り出した。後ろから女性陣の悲鳴が上がるが気にしない。アクセルを踏み込んで加速したビーグルに反応するかのように、ビーグルをひとつ隔てたその車体が、同じく反対車線に飛びだした。筒状のものが、窓から見えていた。

「‥‥まさか?! キャノンを持ってる!!」
「だから逃げるんだよ! 後ろ! 頭を下げて!!」

 後部座席にそう怒鳴ると、リックは車体を左右に動かし、道を流れるビーグルの間を縫うように追い越し始めた。窓の外を、突然閃光が瞬く。道の両脇を囲む防護壁が、火花を散らして爆発した。

「アーリーお前、何の恨みを買ったんだ?! 狙ってるぞ!!」
「俺が知るかよ!!」

 彼らのビーグルを狙う男の目は血走っていた。なかなかターゲットにロックONしない目標に苛立ちが高まる。「あの男」を殺さなくては、世界は滅びるのである。自分は世界を救うために今ここにいるのだ。

「当たれ‥‥あたれ‥‥アタレ‥‥‥!」

 祈りは通じたのか。閃光がビーグルに命中した。爆発の光は、とても綺麗だった。
AREA2 Final。



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