それはほんの一瞬の出来事だった。シート脇に据えられたハンドルを引いた瞬間、アーリーの体はシートごと、ダイナモの背面板をはね飛ばしつつ後方に射出された。シートのロールバーに設置されたエアークッションが作動し、地面に激突する衝撃からアーリーを包み込み、守る。その刹那、閃光がダイナモを貫いた。クッションの中から這い出したとき、ダイナモのジェネレーターが美しい火花を散らし、爆発した。
「ダイナモ‥‥、くそ!!」
走り出したアーリーの後方で、ダイナモが崩れ落ちる音がする。こみ上げる感情を無理に押さえ込みながら、アーリーは暗闇の中に駆け出した。振り返った瞬間、仮面を戻したキラードールが自分の方を向いている。見つかった。敵のターゲットは今、「自分」なのだ!
「お兄ちゃん、乗って!!」
聞き慣れた声に振り向いた方向から、ライズのエアロスクーターが出せるだけのスピードを出しつつ接近してくる。額の痛みをこらえて走り出し、減速したスクーターの後部座席に飛び乗ると、ミアは再びスクーターの速度を上げた。キラードールは小さな目標を思案げに追尾するが、追ってくる様子がない。微かな安堵感の中、気まずい空気が若干漂う。ミアはアーリーの方を向かなかった。アーリーも今は、ミアが危険を犯してやってきた非を攻めることは出来なかった。
「‥‥お兄ちゃんなんか、だいっきらい」
微かに聞こえたその一言に、アーリーは苦笑いした。
「エアロスクーターから入電! ダイナモのパイロット、無事です!!」
うれしそうなオペレーターの声が、疾走するライズのブリッジに歓声を呼ぶ。安堵感に大きく息を吐き出したフィリスが顔を上げたとき、ひとつの決意が彼女の心に芽生えていた。父親の意にはもう、そえないかもしれない。アーリーはまだ、契約の済んでいないパイロットなのだ。
「リック、ライズを減速して二人を収容してください。それと格納庫の人達に連絡。『トランディ』を使います。起動準備を!」
フィリスの一言が、ライズのブリッジに響きわたった。
「ミア、右にかわせ!! 奴が来る!!」
「え?! どこ!!」
「上だ!!」
アーリーがそう叫んだ瞬間、爆音が彼らの上空を過ぎ去った。ミアが慌てて機体をターンさせようとした前方に、巨大な重量が落下する。そのまま進んでいたら下敷きにされていただろう。右に曲がってゆくスクーターを追尾しつつ、仮面が上がる。口の中に光が収束しだしたその時だった。
『二人とも、避けてくださいね?』
突然の通信に二人が意味を問い直す前に、キラードールの後方から巨大な質量が激突した。轟音と共に倒れ込んだその巨体の上にその質量が乗りあがる。それは「フォレスト」の後部格納台だった。後ろの無くなったフォレストの警笛が、二人を促した。
『今のうちです。急いでください』
促されるままに、ミアはスクーターを加速した。並んで走るフォレストとスクーターの前方に、明るい光が見える。それがライズだと確認するより前に、スクーター据え付けの通信機が聞き覚えのある声を流し出した。ライズの後部ハッチが開き始める。そこには蒼い巨人が、光に照らされて立っていた。
『ミアちゃん急いで!! それと、アーリーさんを通信機に!』
「お兄ちゃん、はい! フィリスさんから!」
受け取ったレシーバーを耳に当てながら、アーリーの表情が決意を込めた鋭さに彩られる。彼はフィリスの言葉を待った。
『アーリーさん、いま、トランディの起動準備を進めています。契約の話は‥‥』
「契約なら受けますよ。どんな条件でもかまいません」
『え‥‥?』
「ただ契約の前に、ダイナモの仇だけは取らせてください。それがこちらの条件です。呑んでいただけますか?」
『アーリーさん‥‥!』
フィリスのその返答は、喜びを幾分、含んでいた。隣に立つエドワードの口元が小さく笑みを作る。だがそれに気がついた者は、誰もいなかった。
『キラードール、移動を再開し、後方に接近中!! トランディは?!』
「今やっとる! 固定ロックはずせ!! 出すぞ!!」
髭面の整備長が怒鳴り声を上げ、それが格納庫内に響きわたる。次第に開かれる後部ハッチから、キラードールの光がメインカメラ越しにアーリーの目に入った。ショックアブソーバーを下げ、スティックを握る。軽快な振動音がアーリーの心を高ぶらせた。コンソールの表示が変わる。見慣れたスタートアップ画面では無く一瞬躊躇したが、TAであることに変わりはないのだ。コンソールに表示が流れ始めた。
Evetoll 01 "TRAN-D"
[E_TRON] SYSTEM. boot up
system device check ------> all green
stand up system "emeralda" start
speak to password >
パイロットの声紋を待って、表示がそこで停止する。アーリーは息を吸い込んだ。
「トランディ、起動!!」
Password ok.
トランディの両眼に光が灯り、リニアホールドに動力が伝わる。目覚めた蒼き巨人は、己の倒すべき「敵」を求め、ゆっくりと今、歩き出した。
次のホバージャンプに移る直前、前方から迫ってくる物体に、そのキラードールは一瞬動きを止めた。エネルギー反応が高い。両腕の剣状の突起物が反転し、戦闘態勢を取ったキラードールの前方に、その反応物はブースターをクッションにして着地した。豪奢な鎧をまとったその巨人が顔を上げ、獲物を睨み付ける。キラードールを至近距離に写しながら、メインスクリーンを見つめるアーリーの心臓が高鳴った。基本動作に毛の生えたようなモーションプログラムの中で、使えそうな物はまだ見つけられなかった。
「ミア! ダイナモのデータは?!」
『何でBIOSがENIACじゃ無いのよぉ!! このままじゃコンバートまで、まだかかる!』
「間に合う奴だけでいい、急いで‥‥‥うわっ!!」
一瞬の隙をついて、キラードールが走り出した。トランディのセンサーが敵の両腕を正確に捉え、基本プログラムの「グラプリング・モード」がオートで両腕を動かす。キラードールの両拳を受け止めたトランディだったが、それから先のパターンがマッチングしなかった。反撃が出来ない。
「くっそぉ!! なら、押し戻せぇ!!」
アーリーがパワーシフトを動かそうとするが、逆にじりじりと押し返される。所詮TAはキラードールのレプリカである。パワーも機動性もオリジナルには及ばず、パイロットのテクニックとモーションプログラムだけが、機械に勝る要素でしか無かった。なれない機体のアーリーにはまだ、そのどちらもが無いのだ。トランディの膝がおれる。アーリーは考えを改めた。
両腕にかかっていたパワーをカットし、同時にトランディを立ち上がらせる。支えを無くしたキラードールの胸部外殻にトランディの頭部が激突し、敵はそのまま弾かれるように後ろにのけぞった。蹴りのパターンが点灯する。躊躇せずセレクトしたとき、しかしそれは敵の両腕で押さえられた。そのまま、足が上に跳ね上げられてしまう。激しいきしみと大きな音をたてて、トランディは仰向けに倒れ込んだ。上空に見えた月を、人型の影が不意に覆った。
「上か?! ‥‥動けよ、こら!!」
ようやく側転のパターンを見つけ、スタートさせる。回避行動を取り始めたその場所に、キラードールの肘の剣が襲いかかった。アクセルを踏み込むと姿勢制御用のスラスターが火を噴いて、跳ねるように交わしつつトランディが立ち上がる。めり込んだ突起を引き抜く動作を始めた相手に、アーリーはショルダーアタックを仕掛けようとセレクターを動かした。いつもの癖で選んだパターン6は、無情にも「Notting」の表示を点灯した。
敵の右肩がスクリーンに迫ったと思った瞬間、トランディは「敵の」ショルダーアタックを受け、はじき飛ばされた。コンソールに各部のダメージが計上されるが、いずれもまだ動作に支障のないレベルである。安堵した一瞬は、しかし画面に映る敵の姿で霧散した。仮面が上に上がっている。ブースターのアクセルを、アーリーは思い切り踏み込んだ。後方に飛び退いたその足下の地面を、そのエネルギーの束は吹き飛ばしてしまった。
「ミア、プログラムはまだか! このままじゃ‥‥!」
『今終わった!! 転送まで後12秒。持たせて!!』
メインコンソールに「Motion DATA loading」の表示が映る。121の数値がカウントダウンしてゆき、次第に各種のパターンがシステムエリアに埋め尽くされてゆく。ダイナモの「魂」が乗り移り始めたが、その結果、隙が生まれた。キラードールの急接近を許したトランディの首を、その右腕が捕まえる。左腕の剣が緩やかに向きをかえたその時、カウントダウンは、終了した。
「‥‥はなせよ、このぉ!!」
罵声と主に選択されたパターン12によって、両腕のナックルショットが装填される。右腕はそのまま首を掴んだ腕を殴りつけ、引き剥がす。反動でもんどり打った敵の頭めがけて左腕のナックルショットが打ち込まれた。キラードールが横殴りに、数十メートルの距離をはね飛ばされる。敵はバックパックを全開にして姿勢制御を行い、着地するが、その顔半分は既に砕けていた。トランディの瞳が輝き、コンソールにはせわしなくインジケーターが点灯する。さっきとは比べ物にならない操作性を得たトランディに気圧されるかのように、割れた仮面の巨人は一歩、後ずさった。
「これで条件は五分って所だ。さぁ‥‥、こい!!」
その言葉に誘われるように、キラードールは地面を蹴った。背中のカバーが展開し、天使の翼の様な光を放ちながらトランディに向け、加速する。繰り出された右肘の剣を、しかしトランディのセンサーは正確に捉えていた。左腕がその根本を受け止める。コンソールに「パターンマッチング2」の表示が現れるまえに、敵の左腕が繰り出された。始まったパターン2をキャンセルし、3にシフトする。左右の腕で受け止めた敵の両腕が、万力のようにトランディを締め上げ始めた。脚部のパターンに14が点灯する。アーリーはためらわなかった。
右足のホバリング用ブースターが火を放ち、まるでロケットのように膝が腹部に打ち込まれる。腹部の亀裂にスパークが起こるが、キラードールは手を離さなかった。仮面が再びせり上がる。現れた口はまだ生きていた。光が収束してゆく。
「食らうと思うか!!」
トランディの右腕が、相手の首を捕まえてつかみあげる。キラードールが光を放つ直前に、捕まえたままの右腕下部にマウントされているナックルショットが装填、作動する。首筋に打ち込まれたそれは、そのまま首をもぎ取った。充足したエネルギーが首の上で爆発する。両手を広げ、後ろに下がるキラードールの腹部が露わになった。ダイナモが唯一つけた亀裂が見える。何かの感情が、わき上がった。
「食らえ!!」
右腕のナックルショットが、その亀裂めがけて吸い込まれる。殴りつけた衝撃は亀裂を破壊し、ショットのダメージはそのまま腰部のジョイントをふきとばした。上半身だけが球のようにはね飛ばされ、50m程度後方に落ちるとそのままそこで爆発する。残された下半身はしばらくよたよたと後退した後、そのままその場に、倒れ込んだ。それはもう、そのまま二度と動かなかった。見下ろすトランディの中で、アーリーはひとつの終わりがようやく来たことを感じていた。
「倒した‥‥か。キラードールを‥‥」
アーリーはため息をついた。緊張が一気にゆるみ、汗が噴き出す。ミアの、フィリスのうれしそうな通信がせわしなく聞こえてきた。ライズに向かい笑いながら、アーリーはパターン121をセレクトする。月に照らし出され、トランディがまるで勝利を誇るかのように右腕を勢いよく振り上げた。この勝利の仕草は、ミアが作ったのだ。
エピローグ
『そうか、契約は成立したか‥‥。災難だったな』
「パスワードは既に固定されております。これで情報が漏れることもありますまい‥‥。しかしキラードールまで現れるとは、よほど脅威なのでしょうな。あの機体が」
『ふふ‥‥。まあ解っていたとしても、向こうも表だっては動けまいよ‥‥。フィリスのことは頼んだぞ? エドワード』
「お任せくださいませ。それがこの爺の努めてありますれば‥‥。悪い虫など、近寄らせませぬ」
『その方が、いいかもしれんがな‥‥。儂のことなど忘れてくれれば、自分も‥‥』
「ジックス様‥‥」
沈黙が、登りかけた朝日の中に漂った。昨夜の喧噪を乗り越え、今は眠りに落ちる人々を乗せ、ライズは一路、ガルトスに向かう。その個室でエドワードは通話を切った。誰にも知らされぬ計画を、胸の中にしまい込みながら、彼は窓の外を上る朝日を見つめた。
AREA6 Final。
タイトルページに戻る 小説ページに戻る <AREA5 あとがき>