シークレット オブ マリオン

作:森宮 照

第五夜「彼女の消えた日」



”Dr.カウラー!! M-AI043のシステムロジック、消失しました!”
”消失‥‥って、まさか! 何があったの?!”
”マリオンのシステム、すでにモニタリング出来ません‥‥。さっきのB反応です。
あれが突然、システムを浸食して‥‥!”
”B反応が‥‥?”
”ただ、リンクチップは生きています。伸吾君が近くに居れば、観測は続行出来ま
すが‥‥”
"内部バッテリーはもう限界でしょ? これ以上は‥‥。伸吾君のI反応は?”
”規定値に達しようとしています”
”コネクションがあったの?”
”いえ、そう言うわけでは無いようですが‥‥”
”B反応に犯されたマリオンにも関わらず、コネクションも無くか‥‥。他のサン
プルは?”
”いずれも駄目です。B反応ばかりで‥‥。マリオン回収の用意は終わっています”
”この時代も、もう終わりって事かしらね‥‥。仕方ないわ、M- AI043以外のマリ
オンは即時回収。伸吾君のI反応、レコード開始して”
”解りました”
”‥‥B反応か。生体ベースで作ったことが、仇になったのかしらね‥‥”



「そんなことを‥‥、言ったのか。君は‥‥!」
「‥‥ええ。」

 そう呟いた伸吾の口調は全てを諦めたような印象があったが、しかし表情には
何かの決意がこめられていて、その目はじっと河田を見つめ返していた。向かい
合って座る河田は何かを言いかけ、そして直ぐに諦めた。声を荒げて見たところ
でどうにもならないのだ‥‥。部屋の中で向かい合って座る二人の男は、静寂の
中で、静かに話し続けた。

「その顔じゃあ、こうなることも予想してたみたいだね‥‥。『自分の欲するま
まに生きろ』か。確かにその通りだな。やりたいことだけをやろうと思えば結局、
ああなるしかない‥‥」

 ため息を付きながら、河田は手元のコーヒーを一口すすった。その黒い液体は
舌を巡り喉に流れる。なぜか普段よりもにがい気がした。

「後悔はしてませんよ。‥‥結局これが、自分の望んだことだったんですから」
「‥‥ああした動物のような女性をか? 君は彼女にそんなのを望んでたって言
うのか?! 君は‥‥!!」
「じゃあどうすれば良かったんです!! 手取り足取り『奴隷としての』礼儀を
教えれば良かったって言うんですか?!」

 伸吾の叫びは隣室の葵にも伝わり、葵はびくりとして手元に目をやった。布団
を被り、安らかな微笑みを浮かべて寝ていたマリオンがぴくっと動いたが、少し
微笑みが消えただけでマリオンは起きなかった。思いつくままにあちこち手を出
すマリオンは連れてくるだけでも大変で、彼女は部屋についてもしばらくは伸吾
達の手を焼かせ、それに疲れてようやく眠ってくれたのだ。ほっとしながら葵は
視線を回した。壁の向こうに伸吾と、そして優矢は居るのだ。

「‥‥え?」

 不意に聞こえたつぶやきに、ぎくりとして振り返る。その視線の先で‥‥、マ
リオンが身じろぎした。



「‥‥すまない。」
「いいんですよ。‥‥マリオンは俺の言うことなら何でも聞いてくれた。あのま
ま俺が望めば、多分理想の女性になってくれたんでしょうね。美人で優しくて、
俺の言うことなら何でも聞いてくれて‥‥」

 伸吾はそこで言葉を切った。言い出せない思いはそれでもはけ口を求めていた。
河田は黙っていた。昔の自分が、そこにいるような気がした。

「俺のことを、好きだって言ってくれる女性に‥‥‥」
「‥‥どうして、君はそれを求めなかったんだ?」
「求めてどうなるって言うんですか!! あの子は聞いてしまうんだ、俺の望む
ままに、俺の言うとおりに!! ‥‥あの子、ジェットコースターで泣いたんで
すよ。怖いのかって聞いたら、涙を流してさ‥‥!」
「‥‥‥」
「彼女だって、本当は解るんだ。怖いとか、おいしいとか、ただそれを、夢の連
中に押し込められていただけなんですよ!! 俺が彼女にどんなことを求めたっ
て‥‥、それは、彼女の望んだ事じゃないんだ!! 俺の思いの押しつけなんだ、
俺の身勝手さでしか無いんです! そんなものに、どうして彼女が従わなくちゃ
ならないんですか‥‥。」
「‥‥そうか」
「泣き出したマリオンを抱いてた時に、なんか、自分はなんて惨めな存在なんだ
ろうって思って、そしたら、自分に出来ることがあるならこのくらいしかないっ
て思って‥‥。いいんです。後悔は‥‥してません」
「‥‥これから、どうする?」
「彼女がああなったのは俺の責任です。俺が守ります。大学を辞めてでも、‥‥
最後まで」
「‥‥そうか。」

 河田はうなずいた。伸吾の顔を見つめる河田のその顔は、微笑んでいた。

「今日はもう寝よう。寝ると言うのは思考の整理にも成る。明日になれば、きっ
と何かが変わるさ」
「‥‥本当ですか?」
「そう信じてるだけだよ。僕は、そうやって生きてきた男だからね」

 そう言って、河田は恥ずかしそうに笑った。立ち上がりながら、ふと伸びをし
たその時だった。

「伸吾ー!!」

 伸吾は立ち上がった。隣室には葵姉ぇとマリオンがいる。葵姉ぇの声は、急を
告げていた。



「葵姉ぇ?! マリオンが‥‥!!!」
「ほら!」

 扉を勢いよく開いた伸吾の胸に、何かの固まりが不意に飛び込んできた。金色
の束がくしゃくしゃに成りながら伸吾の胸にぶつかって、伸吾は危なく後ろに倒
れるところだった。伸吾の胸の中に飛び込んできたマリオンは一度顔を離すと、
伸吾を見上げた。涙がたまっていたその瞳は、嬉しそうだった。

「‥‥伸吾さんだ」

 そう確認してから、また顔をすりつける。葵は満願の笑みで伸吾を見つめてい
た。顔を赤らめながら、しかし伸吾には訳が分からなかった。

「‥‥ど、どうしたの?」
「マリオンちゃんがね、音が怖いって言って、起きちゃったのよ」
「音?」
「今怒鳴ってたでしょ?」
「‥‥うん」
「起きちゃったからなだめてまた寝かせようとしたんだけど、なんだか泣きやま
なくて‥‥。そのうち私の胸の中で、彼女なんて言ったと思う?」
「‥‥?」
「彼女ねぇ、『伸吾さんじゃない』って言ったのよ」

 葵の口調はこれ以上無いと言うくらいに嬉しそうだった。ぽかんとして、伸吾
は胸の中のマリオンを見つめる。後ろの河田があっと声を上げた。

「‥‥伸吾君、ジェットコースターって、うるさかったね?」
「ま、まあ‥‥」
「怖がって泣いた彼女を安心させたの、君だったんだよな?!」
「それが、何か‥‥?」
「そうなんだ、自分を守ってくれる人だって思ったんだよ! それで君を『好
き』になったんだ。赤ん坊って親がいないといつまでも泣くじゃないか、今の彼
女はあれと同じなんだ!」
「‥‥え?」
「そうか、これでいいんじゃないか!! 感情のままに行動する‥‥それって何
も解らない赤ん坊と同じなんだ。彼女が大きいから異常に見えただけで、当たり
前なんだよ、だって彼女、君の一言で『生まれたばかり』なんだからさ!!」
「‥‥ねえ河田さん、解るように説明して下さいよ、何が一体‥‥」

 笑いながら、河田は得意そうに話し始めた。伸吾の夢の話が正しいとすれば、
マリオンは最初から本当に「人形」だったのだ。自分の意志を持たず、命ぜられ
るままに行動する。感情すら無いただのロボットだったはずが、伸吾の一言で
「自分の思うとおりに生きる」ことを始めてしまったのである。赤ん坊のように
なってしまったマリオンにとって、記憶の中で「怖い」感情から自分を守ってく
れたのは伸吾だったのだ‥‥。抱きついたまま、安心しきって眠ってしまったマ
リオンに目を落としながら、伸吾は思わずどもってしまった。

「じゃ、じゃあ、マリオンはこのまま‥‥」
「いや、多分そうは成らないよ。もう彼女はしゃべれるだろ? 知能はもう大人
と変わらないレベルにあるし、記憶だって持ってる。君を求めて君の名を呼べた
って事は、思いを言葉に出来るくらいに精神が再構成を始めたって事じゃないか
な。寝った事で思考の整理がついたんだろうね。このままだと一晩開けたら、君
よりも頭が良くなってるかもしれないよ?」
「そう言えばマリオンちゃん、日本語以外もしゃべれるみたいだったもんね?」
「‥‥う”」
「まあ彼女がそれを求めたら、そうなるだろうね。ただ幾らしゃべれるとはいえ
人生経験皆無だからなぁ‥‥。下手な箱入り娘よりずっと純粋でぽーっとしてる
かもしれないけど、まあその都度、君がちゃんと教えてあげれば何とかなるよ。
はは、なんだか親が子をしつけるみたいだね」
「あ、あの‥‥、それで良いんですか? 欲求のみに従うって言ったのに、マリ
オンがあんなに成っちゃったのに‥‥!」
「じゃあ君は、子供の頃に自分が解らなくなって悩んだりしたかい? 赤ちゃん
の時、人付き合いで苦悩したりなんかしたか? 純粋に好きなことをして、出来
なくて泣いて、嫌なことはやらないで、でも親に怒られるのが嫌で、しょうがな
くやって‥‥。そう言うことを繰り返して今の君に成ったんじゃないか。今の彼
女も同じだよ。これからいろんな事を経験して、その中で自分が「こっちが良
い」って思う方を選びながら自分を作っていく‥‥。『生きる』ってのは、そう
言う事さ」
「‥‥はあ」
「明日になれば、多分もっとよく解ると思うよ。ま、今日はもう寝よう。夜が明
けてみれば、もっと何かが変わるさ」
「なんだか随分寝ることにこだわりますね」
「寝る子は育つって言葉、知らないかい?」

 そう言って、河田は笑顔で立ち上がった。一緒に立ち上がろうとした伸吾を引
き留めたのは、何故か葵だった。

「マリオンちゃんを1人にする気? また泣き出すわよ?」
「だ、だって、そんな‥‥!」
「幾ら貴方を好きな子だからって、こんな子に手を出したら承知しないけどね。
あたしは今日は隣で寝るわ。何かあったら、すぐ呼びなさい」

 そう笑って、葵は部屋を出ていった。取り残された伸吾はただ、マリオンの可
愛らしい寝顔を見つめながら‥‥、胸の鼓動を感じつつ、呟いた。

「俺の言葉で生まれたって‥‥。マリオン、君は‥‥!」

 マリオンのその金色の束を、手でおそるおそる掬う。マリオンはくすぐったそ
うに身をよじった。その寝顔はとても、幸せそうだった。



”あの、Dr.カウラー‥‥。I反応です”
”伸吾君のでしょ? 上手く撮れてる?”
”いえ、あの‥‥‥”
”何よ?”
”これ、M-AI043からの反応なんです。強くなってます。だんだん‥‥”
”‥‥‥‥‥‥‥‥‥え?”
”規定値に迫ってます。これ‥‥、私達と同じレベルの‥‥”
”! 研究室の外部接続を緊急閉鎖! 急いで!!”
”は、はい!! 全ラインゲート、クローズします!”
”‥‥B反応に犯されたんじゃなかったの、あのマリオンは?!”
”犯されたんです! なのに、そこから‥‥!!”
”こんな事が、評議会に知れたら‥‥‥!”



「起きろー‥‥」

 一応、葵の真似をしてみたつもりだった。朝の日差しはカーテン越しに部屋の
中を照らしており、寝ている伸吾のところにも、その淡い光は差し込んでいた。
仰向けになって半分だけ布団を被っている伸吾は全く起きる気配が無く、枕元の
時計は9時を指そうとしている。この布団の中で昨日、自分も伸吾と一緒に寝て
いたのだ。顔を赤らめながら、ちょっと伸吾の頬をつついてみる。伸吾はしかし、
くかーっという寝息を立てたまま、身じろぎもしなかった。

「早く起きないと、葵さんがまた‥‥」

 そう言いつつも、彼女はきょろきょろと辺りを見回した。人の来る気配はない
‥‥。そっと、彼女は伸吾の胸に顔を近づけてみた。胸の鼓動が早くなって、頬
が上気してゆくのが分かる。昨日も感じていたこの「思い」は、今朝になって、
少し感じ方が変わってきているように思えた。安心するっていうよりも、もっと、
ずっと気持ちいい‥‥。

「何してんのマリオンちゃん?」
「きゃい!!」

 ぴょこんと飛び上がったマリオンは、部屋の扉から顔を出した葵に慌てて振り
返った。赤い顔のまましどろもどろで弁明をする。マリオンは「直ぐに朝食だか
ら伸吾を起こして」と葵に言われて、だから伸吾を起こしに来ていたのだ。

「あ、あの! 伸吾さんが、起きなくて‥‥!!」
「だから昨日やったみたいに起こしなさいって言ったでしょ? 全くもう、甘や
かす必要なんか無いのよ?」

 そう言って、ずけずけと部屋の中に踏み込んでくる。マリオンは両手で耳をふ
さいだ。大きな音は、怖いので嫌いなのだ。

 ‥‥‥そうして。

 ユニットバスの隣にある洗面台で顔を洗っていた河田は、その「葵の罵声と何
かがぶつかる鈍い音」を聞きながら、ふと、嘆息した。

「くわばらくわばら‥‥。早起きは三文の得だっけか?」

 ダイニングからおいしそうなソーセージの匂いが流れてくる。河田が顔を出し
たとき、伸吾は部屋から顔を出したところだった。

「おはよう伸吾君。よく眠れたかい?」
「眠れると思いますか? あんな状態で」

 ぼーっとした視線で河田に向いた伸吾の顔は、それでも嬉しそうに笑っていた。
後ろのマリオンが恥ずかしそうに頬を赤らめる。葵が元気よく手を叩いた。

「さあさあみんな、ご飯ご飯! 冷めちゃうと美味しくないわよ?」

 4人がそれぞれの位置に腰を下ろす。マリオンが来てから4日目の朝食は、そ
うして始まった。



”Dr.カウラー、準備完了しました”
”‥‥じゃあすぐに始めて。ちょっと危険だけどね‥‥”
”大丈夫なんでしょうか? B反応は‥‥”
”分かってる。でもマリオンは私達とは違うんだし、リンクチップ以外を覗こうと
しなければ多分大丈夫よ。‥‥始めて”
”はい”



「‥‥じゃあ、やっぱり分からないんだ。マリオンちゃんに伸吾の所にいけって
言った人の事」
「すいません‥‥。なんか、全部忘れちゃったみたいなんです。とっても大切な
事だったって覚えはあるんですけど‥‥」
「分かったら面白かったが、まあしょうがないか。あんまり気分のいい話じゃ無
さそうだし、記憶の再構成中に捨てられちゃったんだろうね」
「でも、マリオンは気がついたら俺の部屋に居たんですよ? また知らないうち
に連れて行かれるなんて事は‥‥!」
「あり得るよ。僕の先輩の場合もそうだったんだからね」

 河田のその声は真剣で、伸吾はそのままマリオンを見つめた。心配そうに伸吾
の袖を掴んでいるマリオンを見つめ、微笑み返す。彼女はもう人形ではない。夢
の連中の玩具ではないのだ。

「‥‥大丈夫。俺が守るよ」
「はい!」
「おーおー、カッコつけちゃってぇ」
「‥‥茶化すなというのに」
「とにかく、彼女を1人にしないことだね。『向こう』は想像しているよりも遙
かにたちの悪い相手かも知れないんだ。人形じゃなくなったマリオン君を、早急
に処分しようとする可能性だってあり得る」
「でも、一体どうしてこんな事を‥‥」

”永遠の命と楽園を維持する為よ。こんな事になるとは思ってなかったけど‥‥”

 その声は葵の疑問に答えるかのように、不意に響きわたった。

「‥‥誰?!」
「‥‥この声は! あんたか?!」

”ご明察。お久しぶり、伸吾君‥‥”

 伸吾はマリオンを抱き寄せた。部屋の中に響き始めたその声は、しかし以前に
聞いたような余裕が無かった。その声を始めて聞く河田と葵が言葉を失う前で、
突然マリオンの額についていた小さな金属板が光を放ち始める。声は続けた。

”悪いんだけど、彼女は帰してもらうわ‥‥。どうしても、調べなきゃならない
ことがあるの”

「ふざけんな! 誰が貴様の言いなりになんか‥‥!!」

 だがその言葉が終わらないうちに、やがてマリオンの額から発せられた光が彼
女を包み込んでゆく。彼女の体に走った電流に弾かれてしまった伸吾が直ぐに身
を起こしたとき、彼女の体は光の中に見えなくなっていった。スパークに包まれ
たマリオンの悲鳴が伸吾の胸を突く。

「いやぁー!!」
「マリオン!!」

”彼女はね、狂ってるのよ。B反応に犯されたマリオンなんだから‥‥。だか
ら”

 その声と共に、マリオンを包んでいた光が‥‥不意に消えた。

「マリオンどこだ?! マリオン!!」

 伸吾の叫びはむなしくこだまする。部屋の中に、すでに彼女は居なかった。



第五夜「彼女の消えた日」 了

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