シークレット オブ マリオン

作:森宮 照

第三夜「闇夜の問いかけ」



「来てないかって‥‥。姉とは、どういう関係なんですか?」

 辺りはすっかり闇夜に沈み、それでもアパートの周りは街灯の明かりで照らさ
れて、自分の前に立つ年上らしい青年の顔くらいは見て取れた。少し照れながら
微笑んだ彼の顔には悪意が無く、悪い奴じゃ無いらしいことだけは何となく伸吾
にも解る。後ろをすこし気にしてから尋ねた質問に、彼ははにかんだように頬を
かいた。

「会社の‥‥同僚なんだよ。葵さん、来てるのかい?」
「姉は確かに来てますけど‥‥、なんかやったんですか? 姉が?」
「いや! そう言うんじゃないんだ‥‥。なんて言うのかな‥‥」

 少し照れながら視線を反らす。なんとなく、ぴんときた。

「君には、話してもいいのかな。実は‥‥」
あーちょっと伸吾!! あ? あの、ちょっと待って‥‥」
「葵さん?!」



 少し裏返った姉の声が伸吾の後ろから割り込むと、目の前の青年の顔がぱっと
明るくなったように見えた。物陰から顔を出してしまった葵はすぐに再び物陰に
隠れてしまう。伸吾は少し思案した。

「マリオン、ちょっと来て」

 「はい」と返答してひょこんと顔を出したマリオンが、物陰から伸吾の方に歩
いてきた。止めようとした葵は思わず河田と目があってしまいまた顔を引っ込め
る。彼は伸吾に一度笑ってから、葵の方に歩き出した。



「‥‥じゃあ、痴話喧嘩みたいなもんですか?」
「違う!!」
「プロポーズしたら、次の日逃げられただけだよ。諦められなかったから追いか
けてきた‥‥。ただそれだけ」

 伸吾のアパートは築6年という建物にも関わらず、都心からの地の利の悪さ故
に2DKながらも月7万円という好物件である。そのダイニングテーブルは小さす
ぎて4人は座れず、彼らはテーブルを片づけ床に座布団をひき、コーヒータイム
を取っていた。伸吾の前に座った青年は恥ずかしそうにそう笑うと、コーヒーを
一口すする。真っ赤になって小さくなっている葵を見つめる視線にもいやらしさ
が無く、なんだか落ち着いていて頼もしくもあった。28歳になる彼は葵を追い
かけて、昨夜故郷から電車に揺られてきたのだそうだ。家の場所を教えたのは伸
吾の両親である。しかし姉も24歳の年頃なのだから、両親の行為を責めること
は出来なかった。

 ‥‥しかし、腑に落ちなかった。

「わざわざ逃げた女を追いかけてくるなんて、帝都大卒のエリートがやることじ
ゃないですよ。どこがそんなに良いんです? これ?」
「姉に無かって『これ』たあ何だこの! それに別に、逃げたわけじゃないぞ?!」
「‥‥じゃあ、OKなんですか?」
「え? あ、あの‥‥‥‥」

 ‥‥沈黙。

「僕の方も、少し急いてしまったと反省してるんです。ただ会社も貴方が居なく
なると、仕事が急に忙しくなるんですよ。僕の事はまたあとでもかまいません。
今は帰りませんか? みんな心配してますから」

 葵の仕事はデザイナーである。地元の「川西出版」という中堅出版社において
は女性ながらもお客の指名を受けるほどの腕前であり、またその仕事ぶりには定
評がある、とよく姉がうそぶいていたが、どうやらあながち嘘では無かったらし
い。隣でコーヒーを小さくすすっている葵姉ぇは少し顔を上げたあと、すぐに目
をそらしてしまった。

「どんな顔して帰ればいいのよ‥‥恥ずかしい」
「何いってんだよ、自分のせいだろ?」
「うっさいな‥‥それに! あんたマリオンちゃんとふたりっきりになって何す
るつもりよ! この子が居る限り、あたしだって帰れないわ?!」
「‥‥その子は? ひょっとして、伸吾君の恋人かい?」
「いや‥‥、だったら姉もとっとと追い返すんですけどね‥‥」

 マリオンは葵の隣でちょこんと腰掛けたまま、殆ど身じろぎもしなかった。た
め息を付きながら事の顛末を話してみた伸吾だったが、河田は興味深そうにうな
ずいている。まさか信じて貰えるとは思わなかった。

「じゃあその子は突然現れて、君の言うことなら何でも従うと‥‥。ふうん‥
‥」
「‥‥信じるんですか? こんな話?」
「いや‥‥、そう言う訳じゃないが‥‥」

 そう言葉を切ってから、彼はマリオンに目を向けた。鋭さが混じる視線で、再
び伸吾に向き直る。

「実は似たような話なら、聞いたことがあるんだよ」
「‥‥優矢さんにも?!」

 これは葵の反応である。

「あ、いや! 僕じゃないんだよ? 僕がまだ大学生だった頃だけど、サークル
の先輩が突然出てこなくなってね。心配して部屋に行ってみたら、青白い表情で
彼が泣いていたんだ。『彼女が居なくなった』って‥‥」
「‥‥?」
「それもやっぱり、従順なとびきりの美少女だったらしい。人付き合いの下手な
人で恋人も居なかったから、その時は妄想だろうってみんなは言ってたんだけど
ね。でも話に共通点が多すぎる。夢の内容なんか、そっくりだよ」
「夢の‥‥」
「その人結婚まで考えて、プロポーズもしたらしい。で、OKをもらった次の日
にはもう居なくなってたと。それからの落ち込みようなんか凄かったよ。ほんと、
ゾンビみたいだったからね」
「へえ‥‥。でも聞いた? あんただってこのままほっとけば、きっとそうなる
わよ?」
「なんで?!」
「言わせる気?」

 これには反論したい伸吾だったが、反論するだけの実績が無かった。恋人も居
ないし見つける努力もしない伸吾だったが「隠しておきたいいわゆるそれらの品
々」はきちんと存在しており、保管場所はすでに明らかにされている。河田が面
白そうに目を細めた。

「ふうん、なかなか面白いな‥‥。ねえ伸吾君?」
「はい?」
「僕も数日泊まらせてもらってもいいかな。休みは取ってきてるし、君の両親に
も『葵さんをつれて帰ります』って言って来ちゃってるんだ。嘘つきにはなりた
くないからね」
「嘘?!」

 素っ頓狂な声でそう叫んだのは、真っ赤になった葵だった。なんというか意外
に押しの強い優男である。自信家なのかもしれないが、そのくらいでなければこ
んな葵姉ぇを好きになどならないのかもしれない。伸吾はつい、笑ってしまった。



”Dr.カウラー。M-AI043で、再びイレギュラーな事態ですが‥‥”
”‥‥今度は何?”
”姉である「葵」に、男性が接触を求めてきました‥‥。
 どうやらまた、同居するようです”
”あらま、「オトコ」って奴ね‥‥。伸吾君のI反応は?”
”依然反応無し‥‥。不思議ですね。年頃の男性なのに”
”欲求も十分強い個体を選んだつもりだったけど‥‥”
”M-AI022、M-AI035、共にコネクションに入りました”
”I反応は?”
”‥‥ありません”
”この時代には、もう始まってるって事なのかしら‥‥。
 解ったわ、そのまま調査続行‥‥”
”了解”



 伸吾の部屋は一部屋が自由に使えるために知人連中が泊まりに来ることも多く、
そのために寝具は余分に用意されている。夜も更けたその部屋でマリオンにも彼
女自身の寝場所を作らせながら、葵はふとため息をついた。

「‥‥はあ、なんでこんな事になっちゃったんだろう‥‥」

 隣の部屋には河田優矢がいて、彼はあろう事か三日前、自分に求婚した男なの
だ。心臓がどきどきしていて、とても眠れそうになかった。プロポーズは突然で、
返事を返す勇気が出ないまま、葵は伸吾の元を訪れた。帝都大卒のエリートであ
り若き企画部長である彼は人柄故に女性社員の人気も高く、社長からの信頼も厚
い。自分が「彼の事を好きだ」と気が付いたのは最近だったが、言葉に出せない
まま時は流れた。デートらしいデートもしたことはない。人手がないときにお客
への納品を手伝ってもらった、らしいと言えばそれくらいだ。自分は諦めようと
していたのに、彼はなぜ自分を選んだのだろう。葵は部屋の電気を消した。同性
が近くにいることで、なんだが自分は饒舌になっていた。

「‥‥ねえマリオンちゃん、起きてる?」
「はい」
「‥‥マリオンちゃんはさ、どうして伸吾の所に来たの?」
「そう命じられました」
「だれに?」
「シークレットです」
「そう‥‥。じゃあ、別に好きだからって訳じゃないんだね」
「‥‥好き?」
「分からない?」
「はい」
「ホントにお人形さんみたいね、マリオンちゃんて‥‥」

 河田の話では、彼の先輩はそうした女性にプロポーズまでしたという。「男性
が望む女性像の具現化」、それが彼女のような存在では無いのだろうか。そうし
た女性と比べれば、自分などは単に「扱いにくいはねっかえり娘」でしかない。
葵はため息を付いた。

「‥‥どこがいいのかしら」

 だがどのみち高卒の、学も教養も無いオトコ女などすぐ嫌われるに決まってる。
彼に嫌われるくらいなら、最初からハッキリと‥‥。

(‥‥断われば良かったのよね。その場で泣いたっていいから‥‥)

 やがて瞼が重くなり、葵は静かに眠りについた。



「どこが良かったんです? うちの姉、男勝りだし性格悪いし、そりゃカッコは
それなりにいいかもしれないけど、扱いにくいと思いますよぉ?」
「自分のお姉さんだろ? 随分ひどいこと言うんだねぇ」
「見たくれで結婚してから、『あんな女だとは思わなかった』なんて愚痴をこぼ
されるよりはましですからね。予防線はっとかないと」
「‥‥なるほどね。ま、大人の世界は複雑なのさ。一見したその裏側にこそ真実
がある。彼女の魅力が解らないうちは、君もまだまだ未熟って事だよ」
「‥‥未熟な子供の方が、カンは鋭いって話ですけど」
「君は自分がまだ、子供だと思ってるのかい?」

 明かりの消えた部屋の中で横になりながら、伸吾はあっけなくつまってしまっ
た。

「すまない。少し気恥ずかしくてね‥‥。それよりもあの子‥‥」
「マリオン?」
「そう。君はあの子をどう思う? 素直にいってさ」
「どう‥‥って‥‥。別に、綺麗な子だなとは思いますけど‥‥」
「若くて綺麗で従順な、全くこれ以上ないくらいに素敵な女性が手に入ったとは
思わないかい? 抱いてみたいと思っても、それは全然恥ずかしい事じゃない
よ」
「‥‥俺、そんな男に見えましたか?」

 少しむっとした伸吾だった。発情した雄犬じゃあるまいし‥‥。

「ならいい‥‥。あの子はさ、君の言うことなら何でも聞くって言ってただろ?
 そしてそれに疑いも持たない。‥‥洗脳に近い事をされているのかもしれない」
「洗脳?!」
「人の心なんか、催眠術や暗示で幾らでも操れる物だからね‥‥。何の目的で君
の元に来たのかは解らないけど、君に従うことが今の彼女にとって全てなんだと
したら、逆に君次第で、彼女はどうとでもなる‥‥」
「‥‥‥」

 言葉を失った伸吾の方に、河田が顔を向けた。それは眠気が吹き飛ぶほどに真
剣な表情だった。

「君次第なんだよ。‥‥君は彼女に、何を求める?」

 河田の声は、その狭い室内に小さく、響きわたった。



第三夜「闇夜の問いかけ」 了

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