シークレット オブ マリオン

作:森宮 照

第二夜「スーツ姿の来訪者」



”どう? マリオンの調子‥‥、上手く行ってる?”
”いえ‥‥。どうも女性の同居者が居たようです。コネクション、失敗しました”
”女性の?”
”はい"
”シングルじゃ無かったの彼?”
”姉‥‥という関係のようです。数日の宿を借りに来たと言っています”
”家族か‥‥”
”どうします? イレギュラーな事態ですけど、回収しますか?”
”まって、面白いケースかもしれない‥‥。そのまま観察を続けて?”
”はい”



 大学生の朝は‥‥少なくとも伸吾の朝は‥‥遅い。大橋文化大学1年の彼は選
択講義を殆ど午後に回すような取り方をしているために、すっかり夜型人間にな
ってしまっていた。枕元の小さな赤い目覚まし時計が9時を指そうとしている頃、
彼はまだ静かな声に誘われ、どこともしれぬ野原を彷徨っている。その姿無き美
しい少女(?)が、伸吾を呼んでいた。

”伸吾様‥‥”
”‥‥誰だ?”

 まどろみの中で聞こえるその声は、まるで竪琴の調べのように心地よい。身じ
ろぎした伸吾はそのまま再び睡魔の誘惑に導かれていった。その気配は唐突だっ
た。

「起きろってのが、わからんのか貴様ー!!」

 耳の中に突然放り込まれたその音声爆弾に海老ぞりになって跳ね飛んだ伸吾の
頭部に、隅においてあったラジカセの角がめり込む。曲面を多用するデザインの
ために厳密には「角」では無いが、その堅牢な作りは十分鈍器として通用したよ
うで、伸吾は後頭部を抱えたまま強引に目を覚まされてしまった。痛そうに片目
を開けると、敷いた布団の脇で見知らぬ金髪の美少女と故郷に居るはずの葵姉ぇ
が自分を見つめている。記憶障害から立ち直った伸吾の前で、葵はマリオンに指
導した。

「ね? 起きないときはこうやって起こすの。分かった?」
「はい」
「妙なこと吹き込むんじゃない!!」
「あんたが素直に起きればいいんでしょーが!!」

 伸吾の朝は、こうして普段よりも1時間ほど早く始まった。



「‥‥はあ」
「気の滅入るようなため息つくなとゆーのに」
「あんな起こし方されて明るくしてられるか! 全く突然押し掛けてきおってか
らに、東京見物に来るならそうと、前もって知らせときゃーいいだろうが!」
「マリオンちゃん、コーヒーのお代わり飲む?」
「人の話を聞けっちゅーに‥‥」

 キッチンにあるテーブルは座席ふたつ分の小さな物だったが、そこに折り畳み
の椅子を追加して、3人は簡単な朝食を取っていた。品目はトーストにコーヒー、
目玉焼きといった簡素な三品目ではあるが、取らないことも多い最近の伸吾にし
てみれば十分豪勢な内容である。目の前にあったコーヒーを飲み干したマリオン
は、不意の問いかけに少し小首を傾げた。

「‥‥?」
「だから、コーヒーもっと飲みたいかなって聞いてるの。どう?」
「誰がですか?」
「貴方が!」

 不思議そうにコーヒーカップを見つめたマリオンは、何を言われたのか分から
ない表情で葵を見つめ返した。肩をすくめた葵は「まあいいわ」と言いながら自
分のカップにコーヒーを注ぐ。バターを塗ったトーストにかじり付きながら、伸
吾は目を細めた。

「やっぱり変だよな、この子‥‥」
「まーねー‥‥。あんたの話、あながち嘘でもないのかもね」

 静かに見つめる二人の前で、マリオンは何も付けないトーストを、ただ無表情
に食べていた。昨夜からずっとこんな調子である。何故伸吾の所に現れたのか、
誰が彼女に「行け」と命じたのか。そうした問には全て「分かりません」と応え
る為に警察で話をすることも出来ない。水気のないトーストを食べにくそうに思
った伸吾が「コーヒーお代わりしたら?」というと、彼女は今度は、「はい」と
応え、コーヒーが注がれるのを待って、それを静かに飲み干した。



「じゃあ俺は大学行くけど、葵姉ぇはどうする?」
「あんたいつ頃返ってこれる? マリオンちゃんの服、いつまでもこのままって
訳には行かないから買いに行ってあげたいんだけどさ。あんた道案内してよ」
「だったら昨日買いに行ったときついでに‥‥!」
「あんたに女物買わせてもろくなの買ってこないでしょ? 昨日の下着、何よあ
れ?」
「知るか!!」


 赤面しながら、ふとマリオンに視線を移す。今マリオンが着ているトレーナー
にズボンは、実はみな伸吾の物である。男物の上に身長で15cm程度の差があるた
めにだぶだぶで、首周りの余裕から葵が貸したタンクトし見えていた。だが長す
ぎる袖からちょこんと覗いた指先が逆に可愛らしくもあり、おまけに下着は昨日
自分が買ってきた物という‥‥。伸吾はわざとらしい咳払いをした後、頷いた。

「じ、じゃあ3時には帰って来るようにするよ。電話は留守電になってるから出
なくていいからね。じゃ」
「はいはい、いってらっさい」
「伸吾様?」

 一歩前にでようとしたマリオンに気が付いて、伸吾は振り返った。

「君は葵姉ぇと留守番してて。‥‥それと、俺のこと『伸吾様』なんて呼ばない
でよ。『伸吾さん』くらいでいいからさ?」
「はい」
「じゃ、行って来ます」

 伸吾が扉を閉めたあと、葵は思わず吹き出した。いっちょまえにカッコつけて
いる弟の様子が、なんだかおかしかったのだ。

「なーにが『伸吾さんでいいからさ?』よ。呼び捨てで十分よ? あんなのは」
「マスターは伸吾さんです。伸吾さんのご希望が優先します」
「はいはい。そーだったわね。全くあたしがいなけりゃ今頃どうなってたか‥
‥」

 肩をすくめた葵はマリオンと部屋に戻ると、腰を下ろしてTVをつけた。電話
がかかってきたのは、その奥様番組が始まったすぐあとだった。

”はい、橘です。ただい‥‥”『あ、あの河田と申します。そちらに今、橘 葵
さんが‥‥!』”‥‥ま留守にしております。ご用のある方は、ピーっという発
信音のあとに‥‥”『‥‥ああ、なんだ留守電じゃないか‥‥』

 残念そうな声のあと、通話がそれで「がちゃり」と途切れる。目を丸くした葵
の頬は、目に見えて赤くなっていった。



「さぁーってと、終わった終わった‥‥」
「あれ? 伸吾もう帰るの?」
「ああ、ちょっと野暮用でさ‥‥」
「へええ、‥‥女か?」

 言語学の講義が行われていたその講堂から、そそくさと出てゆこうとする伸吾
に隣の友人がからかい半分に声を掛ける。伸吾の身長は姉の葵よりも高く細身で、
比較的甘いマスクの彼は同年代の女性からもそれなりに人気が高い。だが合同コ
ンパなどのお誘いでも、彼はあまり女性とつき合おうとするそぶりを見せなかっ
た。周囲は彼が「硬派ぶっている」と思っているし、まだ彼自身そう演じても居
る。実際どうかは怪しいものだが、少なくとも葵のような姉を持つと、外見的な
美醜で女性を見られなくなるのは事実だった。知人の問に、ふとため息をつく。
 
「‥‥そんな所かな。これから一緒に、お買い物‥‥」
「おー?! 硬派を気取ってるくせに、やることちゃぁーんとやってんじゃん?
 どんな子? どこで知り合ったんだよぉ?」
「残念ながら俺の姉貴だよ。いっきなり昨日宿借りに来てさ。おまけに‥‥」
「おまけに?」
「‥‥あ、いや、まあそう言うわけ。先帰るわ」

 流石に「朝目が覚めたら全裸の美少女がさー」などという話をするわけにも行
かず、彼はそう濁したまま講堂を出ていった。まあアパート付近のデパートで買
い物をするくらいなら、誰か知人に見つかることもないだろう‥‥そう思って歩
いていた伸吾はふと気が付いた。前方から歩いてくる学生の多くが、口々に何か
語り合っているのだ。

「‥‥外人さんかな、あの金髪の子‥‥。なんかすっげー可愛い感じじゃん?」
「一緒に居る女の人もさ、なんか格好良かったねー。モデルさんみたいだった」
「誰か待ってんのかな? くっそー、男だったら許せねぇなぁ。いい思い、して
んだろうなー」
「何よ、あたしじゃ不満だって言うの?!」
「‥‥あ、いや! 君は君で可愛いよ‥‥」

 などというアベックの会話に、冷や汗がたらーりと流れる。まさかと思いつつ
歩を進めた伸吾だったが衝撃は大きかった。入り口付近の広場に設置されている
ベンチに腰掛け、やってくるヤロー共のお誘いを適度に断る女性の隣に可愛らし
い金髪の美少女が座っている。気が付いた葵が伸吾の名を呼ぶのと同時に、マリ
オンは伸吾の方に振り向いた。肌が少しちくちくする。周囲の知人連中が、自分
に視線を集めたからだ。



「何考えてんだよぉぉぉぉぉ!!?」

 と伸吾が叫んだ場所は彼のアパート付近にある「林部」という駅の架橋下であ
る。日も暮れた今の時間帯は人通りもあまりなく、伸吾はようやく鬱積した思い
を姉にぶちまけた。姉の態度はちょっと顔を渋らせただけで変わらない。腹立た
しいが、予想したとおりだった。

「うっさいわね、隠し立てするような事でもないでしょー? 別にマリオンちゃ
んが恥ずかしいカッコしてるわけでもないし、ちょっと予定早めただけじゃな
い」
「何で予定を早める必要があるんだよ?! わざわざ大学まで来て‥‥!」
「可愛い弟の通うところが、どんなところか見てみたくなっただけよん。いいじ
ゃない、どうせ買い物みんなで行く事になってたんだしさ?」
「まったくも〜〜。いっつもそうなんだからな〜〜!」

 姉の気まぐれは今に始まった事じゃないのでそれ以上腹も立たない。明日から
みんなになんて言い訳しようかと思案していた伸吾の視線がふとマリオンに動い
た。真ん中を歩くマリオンは先ほどのデパートですでに着替えを済ませている。
Tシャツの上にデニムのシャツをはおり、カーゴショートのパンツをはいて、前
よりはかなり普通の女の子らしい出で立ちになっていた。彼女が着ていた伸吾の
衣服は紙袋の中であり、それは伸吾がぶら下げている。照れた伸吾を見る葵は、
すこし面白そうな表情になった。

「んふふ〜、あんたも結構、いいセンスしてんじゃん?」
「あ? そう‥‥かな。ちょっと目に付いただけだったんだけど‥‥」
「どうマリオンちゃん? その洋服、なかなかだと思わない?」
「?」
「‥‥さてと、着る物も買ったし日も暮れてきてるし、ねえどっかでご飯食べて
いかない? おいしい店、紹介してよ?」
「俺、あんまり外食しないからなぁ。旨い所っていっても‥‥」
「どっかその辺にファミレスでもないの? 24時間やってるようなのとかさ
ぁ」
「‥‥なあ、葵姉ぇ?」
「‥‥なに?」
「やけに外出したがってないか?」

 ぎくっ。

「べ、別に‥‥。そう言う訳じゃないわよ」
「ふぅ‥‥ん。そう」
「そう。何でもない何でもない」
「ねえマリオン。家を出る前に、何か無かった?」
「はい。電話が‥‥」

 言いかけたマリオンの口を両手で押さえた葵の態度は、あからさまに怪しかっ
た。



「あれ? 部屋の前に誰か居る‥‥?」

 道路沿いにあったファミリーレストランで時間を潰した彼らが帰途についた頃、
すでに時計は夜の9時を回っていた。部屋の前で表札を眺めるその男は数回チャ
イムをならしたあと、諦めたようにため息を付いて階段を下り始める。後ろで驚
きの表情を見せた葵が、声を掛けようとした伸吾を急に引き留めた。

「ね、ちょっとまって? 隠れなきゃ‥‥!」
「なんで? 知ってる奴なの?」
「そ、そんなんじゃないけど、駄目なのよ‥‥!」
「????」

 伸吾が疑問符を顔に張り付けているうちに、その男は伸吾達の居る方に歩いて
きた。興味がわいた伸吾が前に出て声を掛ける。彼は眼鏡にスーツ姿がよく似合
う、知的で柔和そうな優男だった。

「こんばんわ。いま‥‥、部屋の前にいましたよね? 俺に何か用ですか?」
「え‥‥ああ! じゃあ、君が橘 伸吾君かい? そりゃ良かった!! 僕は河
田と言う者なんだけど、‥‥葵さん、来てないかな?」
「は?」

 伸吾が後ろを振り返ったとき、しかしすでに葵の姿は見えなかった。影に隠れ
ながら、葵は赤面のままマリオンに「しー!」っという仕草をしていて、マリオ
ンはそれに「?」という顔をしていた。



第二夜「スーツ姿の来訪者」 了

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