シークレット オブ マリオン

作:森宮 照

第一夜「彼女の名はマリオン」



 ふと目が覚めたとき、自分の右手はおっぱいを握っていた。

ぅのわあぁぁぁぁあ!?」

 蛙の如く跳ね起きた自分の足に薄手の毛布がからみつき、バランスが崩れる。
「彼女にも」かかっていたそれを引きずりながら、伸吾はベッドの向こう側に勢いよく
転げ落ちた。予想される落下の衝撃に肝を冷やした伸吾だったが、地面はほわんとした
感触だったために全く痛みがない。ほっとしながら、伸吾は絡まった毛布の中からおそ
るおそる顔を上げた。伸吾の目の前で1人の少女が横たわっている。その金髪の美少女
は毛布がはだけていることなど全く気が付かないのか、ベッドの上で「仰向けのまま」、
安らかな寝息を立てていた。

‥‥全裸だった。

「な、なんなんだ、何なんだよこれ?! お、俺知らないぞ、こんな子‥‥?!」

 は!? そう言えば昨日はサークルの飲み会だった。確か仲間と別れた所までは覚え
ている。昨夜は結構飲んでいたのだろうか? だとすればぐでんぐでんのままどこかの
女性を「買い」、そのままホテルに連れ込んで、などという暴挙をしたという事もあり
得る‥‥。いや、そんなに酒癖が悪かったはずは‥‥まて、見れば自分も裸ではないか!
ああ、なんて事をしちまったんだ俺は‥‥!!

”君を連れ込んだのは私達だから安心しなさい。お目覚め? 橘 伸吾君‥‥”

「‥‥誰だ?!」

 勝手に完結した自己分析に苦悩していた伸吾は、その声にびくりとして振り返った。
反射的に少女の裸体に視線が動いてしまい、慌ててもう一度振り返る。機械を通したよ
うなその声音はどこか女性的で、発生源は反射してしまっているのかどこを見回しても
特定できない。周囲はガラスのような半透明の物体で囲まれ、地面は羽毛のような材質
で敷き詰められ、その中にダブルベッドよりも一回り大きいベッドがおかれていた。天
井は単なる光の板のようで、ちらつかない蛍光灯のような光を放っている。室内は裸で
居ても大丈夫なほどに暖かい。毛布を着物代わりに巻きながら、伸吾は後ろの少女を見
ないようにして声を荒げた。見たいという欲求を抑えることが、こんなに大変だとは知
らなかった。

「誰だ?! 俺を連れ込んだ‥‥って、何のことだよ! 何なんだよこの子!!」

”‥‥元気ね。なら大丈夫かしら‥‥。安心しなさい。私達は君を解剖しようとか、そ
ういう事をするつもりは無いの。ただ、ちょっと頼みがあるのよ”

「頼み‥‥?」

”そう”

「‥‥断ったら?」

”貴方にその権利があるかどうか、聞く方が先ね”

「それって、『交渉じゃない』って事じゃねーか!!」

”受け取り方は自由よ。‥‥マリオン、起きなさい”

 その声と共に、ベッドの上で何かが動く音が聞こえた。赤面しながらつい振り返って
しまった視線の先で、上半身だけを起こしたその少女がゆっくりと自分の方を向く。緩
やかに波打つ金髪は腰まで届くほどにみごとで、胸にもかかるそれが形の良い少女の乳
房を僅かに隠していた。腰はくびれ、素晴らしい曲線が腰から足のつま先に流れている。
幼さの残るその顔はまるで人形のように整っていて美しい。伸吾の喉がごくりと音を立
てる前で、少女の視線はまっすぐに彼を見つめていた。

”彼女の名はマリオン。‥‥ふふ、気に入ってくれたみたいね。”

「き、気に入るって‥‥、べ、別に、そう言う訳じゃ‥‥!」

”‥‥気に入ってもらわなくては困るわ。無理はしなくていいの‥‥。頼みというのはね、
貴方にその子を預かって欲しいのよ。”

「‥‥は?」

 不意に気配を感じた瞬間、細く白く華奢な腕が自分の首にからみついた。思わず背筋
を伸ばした背中越しに、押しつけられた柔らかいふたつの感触が伸吾の胸を高鳴らせる。
感じる加重はあまり重くない。流れる金色の束にくすぐったさを覚えて少し首を回すと、
その美少女は肩越しに自分をじっと見つめていた。声が出なかった。自分は今裸で、彼
女も今‥‥。

「‥‥ま、待ってくれよ、こんな‥‥」

”預けている間は、その子は君の自由。どんな命令でも聞くようになってるから‥‥、
ふふ、貴方の好きなようにして良いのよ? それじゃあ御願いね‥‥”

 何とか絞り出した自分の声は無視されてしまった。辺りに敷き詰められていた羽毛の
ような「物」が急に重量を失い、空に舞い始める。ひとつひとつが発光しながら自分の
周りを包み込んでゆき、辺りがゆっくりと見えなくなっていった。緩やかに、不意に足
下の感触が消える。自分は白濁の世界に落ちていった。首筋にかかる細い腕の感触だけ
を最後に、自分の記憶はやがて、そこで途切れてしまった。

「まって、待ってくれよ‥‥‥!!」

 自分は最後に、そう情けなく叫んでいたような気がする。



「ふんふんふんと‥‥‥。お、あったあった」

 秋の朝日に照らされて、アパートを見つけたその女性は軽やかな足取りで階段を上っ
ていった。紺色のジャケットはどうやら男物らしい。その懐から小さな鍵を取り出しな
がら、彼女は「橘」と書かれたその表札の前に立った。モデルのように背が高く、ジー
ンズもショートの髪型によく似合っている。差し込んだキーをかちゃりと回すと、彼女
は何の躊躇いもなくそのドアを開いた。

「おっはよー伸吾! ちょっと宿借りにきたんだけどぉー‥‥?」

 明るい口調とは裏腹に、部屋に入っていった彼女が最初にしたことは、「女の子と」
寝ていた弟の頭を蹴り飛ばすことだった。



「‥‥まったく東京ってとこは進んでるわね? 親の金でアパート借りてる半人前のく
せしていっちょまえに女の子と同棲だぁ? 人が見てないと思って随分派手なコトして
んじゃないのよ、ええ?」

 蹴り飛ばされた後頭部の痛みはまだ続いている。元々きつい目つきをさらにつり上げ
た葵姉ぇの前で正座させられながら、伸吾は実家にアパートの合い鍵を渡しておいたこ
とをかなり後悔していた。隣で毛布にくるまって座るその金髪の美少女にちらと視線を
向けてから、彼は果敢にも反論を試みる。身に覚えの無いことで説教されるのはあまり
気分の良いものではない。

「だ、だから言ってるじゃないか、本当に知らないんだよこの子! 変な夢見て、それ
で起きてみたら彼女が‥‥!」
「‥‥あんた、そんな言い訳が通じる私だと思ってるわけ?」
「いや、自分もかなり無理があるなー‥‥とは‥‥」
「やっぱり‥‥。ああ故郷のお母さん、貴方の息子はこんな奴に‥‥」
「やめっちゅーの!!」

 それから約二〇分程の労力をつぎ込んで、伸吾はこの不名誉な疑惑を晴らす事に成功
した。「彼女は完全に全裸だった」‥‥つまり服も靴も、彼女は何も持っていなかった
のだ。それを指摘した伸吾はしまったと思ったがもう遅い。突然家宅捜索を始めた葵は
「適齢の男性が隠しておきたいいわゆるそれらの品々」まで完全に探索し付くし、「ま
あ、見なかったことにしてあげるわ」などというざーとらしい一言のあと、ようやく真
顔で伸吾の顔を見つめた。傍らの少女はただぼーっと座っている。伸吾は息を呑んだ。

「‥‥あんた、どっかの人身売買組織と取引でもしたんじゃないでしょうね‥‥?」
「やめんかい!!」
「まあ冗談はさておき、ホントどうしたのこの子? 見たところ日本人でも無いようだ
けど、本当に夢の中で押しつけられちゃったって訳?」
「信じてくれるか?」
「まさか」

 言下にそう言ってから、葵は金髪の少女の前に腰を下ろした。

「貴方、名前は? 日本語分かる?」
「M−AI043、マリオンです。現在の言語がディフォルトです。変更しますか?」

 鈴のような美しい声音が、その部屋の中に静寂を呼んでいた。

「へ、変更しなくていいけど‥‥。ねえちょっと、貴方何者? なんでこんな所にいる
の?」
「質問の内容はシークレットです。マスター以外に公言する事は出来ません」
「マスター‥‥って?」
「伸吾様です」
「さま‥‥」

 再び沈黙が訪れたあと、葵は視線を固定したまま隣の耳たぶを掴んで引っ張り寄せた。
痛みで顔を歪ませた伸吾に「マリオン」の視線が集中する。顔が上気した。

「‥‥聞け」
「い、痛いってば‥‥。き、君の目的は?」
「伸吾様の望む、どんな要求でも聞くよう指示されております。伸吾様」
「どんなことでも‥‥って、たとえば性的な要求でも?」
「はい」

 最後の質問をしたのは葵姉ぇだったが、その躊躇も恥じらいもない返答に三度目の静
寂が辺りに漂う。硬直した伸吾の方をゆっくりと振り向いた葵の瞳はつり上がり、伸吾
は本気で怖かった。

「伸吾、部屋ひとつ開いてたわよね。あたし一週間くらい休み取ってあるから、よろしく」
「ちょっと、葵姉ぇ?」
「あんたみたいに欲望の歯止めもきかなそうな男とこーんな無防備な子一緒においとけ
るもんですか!! 東京見物なんかしてらんない、なんとしてもこの子の正体突き止め
るのよ! まずはこの子の服を調達します。寸法計るから、あんた隣の部屋に行けー!!」
「は、はいい!!」
「伸吾様?」
「あーマリオンちゃん、あなたはここにいるの!!」
「マスターは伸吾様です」
「伸吾!!」
「あー、葵姉ぇの言うことは聞くように、いいね?」
「はい」
「何でも言うこと聞くんじゃない!!」
「どないせーっちゅーんじゃ!!」

 ‥‥やがて計測の終わった葵姉ぇは隣室の伸吾を呼ぶと、一枚の紙切れを涙ながらに
手渡して、彼に買い物を命じた。葵の持ってきていた予備の下着では「足りなかった」
らしく、伸吾はその日、朝からデパートの女性下着売場をうろつくハメになる。きらび
やかな(‥‥)女性下着の間を歩きながら、伸吾の意識はくらぁーく沈んでいった。夢
のとおりなのだとしたら、いつまで彼女は預かればいいのだろう? 夢の声は言っていた。

 ふふ、その子は好きにして良いのよ‥‥

 葵姉ぇだって仕事があり、いつまでも居られる訳じゃない。自分の自制心にそれほど
自信があるわけでもなく、彼女はしかも「自分の言うことは何でも聞く」というのだ。
手に持ったブラジャーのサイズに頬が上気する。夢の中で感じた背中の感触を、ふと思
い出した。

「ちょっと、待ってくれよ‥‥」

 呟いたその一言はどこにあたるでもなく、下着売場の中で小さく消えていった。だが
彼は知らない。突然降りかかったその「信じられない幸運」は、まだ始まったばかりな
のだと言うことに‥‥。



第一夜「彼女の名はマリオン」 了

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