この人が主催者のモハメド・ビン・スレイアム氏&ハットリさん
世界で17番目の大富豪。(石油王らしい)
ベンツのスポーツカーをサンダル替わりに、タバコを買いに行く。
(って自分じゃタバコなんか買いにいかねえって!)
俺のCanon Autoboyをみて日本製GOOD!とヨイショ。
FINISH PC
特設のスーパースペシャルステージは有名ライダーが紹介され、
大勢の観客と歓声の中、スーパーパフォーマンスを決めるのだ。
まあ、確かに俺なんかの有象無象ライダーが走ってもシラけるだけか・・・。
期待のハットリはスタート直後にエンスト・・・・・・・。
【 11月6日 Arabian my friends 】
アルジャン 〜ドバイ SS256km リエゾン181Km 計437km
あっという間の最終日である。
今日は再び Dubaiに戻るルートであり慌ただしくテント
をたたみ、砂丘に肥やしをブチ撒け、ひと噛りのパンと砂糖たっぷりの
ミルクティーを胃に流し込み出陣体制を整える。
今日は絶対に…と決めていた事が2つあった。
ひとつはカメラを持って走る事。
2つ目は昨日俺を助けてくれた人々や瀕死の状態ながらも頑張ってくれたマシンの為にも悔いの無い走りをする事である。
SSスタート後はガタゴトの舗装路が続く。疲れのせいでシッティングが多くなり、激し
い振動が全身を襲う。
通常だったら耐え切れずにアクセルを戻してしまうか、無理がたたって脊髄が粉砕し二度とチンポの起たない体になって
しまうかだが、野口英一が魂を吹き 込んでこしらえたOROTEX入りアラジンレザーシート(別名:鮫肌シート)がケツを通して
俺を守ってくれている。「あにきー!負けたらいかんよー!!」と奴の息吹がケツの穴か
らジンジンと伝わってくるのだ。
男と男、ケツとケツ!の薔薇族の息吹なのだ。
4日目ともなると砂丘越えもだいぶ慣れ、急登急下降の砂丘でもスムーズにこなせる。
背中のキャメルバックの水の消耗も少ない。
今日は乗れている。
レストPCに到着すると俺の数分前スタートのエバが15分の休憩を終え出て行くところだった。
今日は給油個所が1ヶ所 でEmarat petrolのタンクローリーはアラブのオッちゃん、にいちゃん達がフルキャストだった。
行くと「オー、マイフレンド!!」と嬉しそうな顔をして歓迎してくれる。
たと えるならば小学生の頃、夏休みに田舎の親類の家(農家で土間に牛飼ってる)に遊びに行き、
「おお、俊之!よく一人で来たなあ!まあ上がってスイカでも食え」
という暖かみがあるのだ。俺も気持ち的には完全子供になっている。
予定通りオッちゃん達と写真を撮り片言ながら話をする。
みんな普段はサルジャという 街のサービスステーションで働いているようで、
「いつ日本に帰っちまうんだ、レースが終わったらサルジャに遊びに来い」
ハ と言われた。
ゴーグルを拭いてもらったりジュースを頂いたり
Emarat petrolオリジナ ルボールペンを土産にもらったりしつつ
親愛なるマイフレンド達に別れを告げた。
抜きつ抜かれつつしながらも日々だいたい同じようなペースで走る顔ぶれは決まってい
る。
#64 ルクセンブルクのMr.ARENDTはもみ上げが似合うナイスガイだ。2mの長身、奴のHONDA600は超アンコ盛りシートで
その高さは江連の肩ほどもある。
スタート前とか目が 合うと必ずウインクしてくる。俺もやり返すがなぜか両目をつむってしまうのが情けない。
日本びいきの#20OHLSSONは砂丘のさばき方がとってもステディだが、愛機フサベルが
かなり粗悪らしく1日に1回は
炎天下でマシンをいじる彼を抜く、かなり修行チックな大人の紳士とみうけた。
#94の恩人SNODAHLさんは昨日の巨大蟻地獄キャンバーでクラッチをつぶし戦列を離れ、今日はいない。
共通して言える事は、みんなタフで個性的でトラブルをも楽しんでる余裕が感じられる
強いライダーなのである。
今日のステージは人間の匂いのするグラベルや桑畑の中を走っているような錯覚をおこ
す砂漠が多い。
やがてガレた枯れ川(ワジ)の横断にはいる。
かつて水が流れた箇所が凹みになっているのだが、この凹みが10m位の間隔で
100本分続く。
スピードが上がった状態 で侵入したら前後のサスが何度も底突きを起こし、タコ踊り状態となった。
枯れ川の次には、この日最大級の砂丘越えが待ち受ける。ものすごいサラサラで赤黒い色をした砂山は地獄の3丁目、
閻魔大王の棲み家のようにオドロオドロしている。
1回のアタックでは登り切れず、2度目にクラッチの焼ける匂いを発しながらなんとかクリアし
た。
後方から4輪のエンジン音が聞こえ、振り返るとクラインシュミットがドライブする三菱ラリーアート“Play
station”の赤い
パジェロが猛々と砂丘を上って来た。
世界最速のバギーを操るジャン・ルイ・シュレッサーの愛人?であり、世界最速の女ドライバーのパ
ンチのほどをとくと
見させてもらうぜ。とギャラリーに変身。
「ブウォォォォ…」
“さすがワークス、速え〜”
「ギョワォウ オゥオゥ…」
“おいおい、砂丘の向こうは10mも切れ落ちてんだぞ、そんな勢いでいったら落ちる
ぞネエちゃん! ”
「ブウォォォ…・・、ブッ、ボーーーーーーーーーン!!!」
“とっ、とっ、飛んだ〜、信じらんねえ!カッコイー!男らしいー!抱かれてみてー!!”
そして赤いパジェロはあっと言う間に視界から消えていった。
閻魔大王の砂丘を超えると鮮やかな色彩の岩山が目に飛び込んだ。
今まで肌色を基調と したボヤけた色の中で生活してきて、突然の藍色の岩肌の出現は日本の山々を連想させ、
改めてその素晴らしさを思い起こした。
全然砂漠っぽくない河原を走っていると、俺より前を走っていたはずのエバが奇声を上
げて抜いてく。
(奴は先程の PC のすぐ先でパンクこいたらしい)外人のゴツイ後ろ姿ばかりを見慣れた後に、エバのきゃしゃで白いFOX
ジャージをヒラヒラさせて走る姿は体に 毒だ。かなり色っぽい。
で、そのエバの後を憑いていったら行き止まりのミスコ
ース。かなり間抜けなジャパニーズライダー2名であった。
プレランで走った砂漠に似た、キャメルブッシュとアップダウンの多い速度の上がらな
い砂漠に入る。だいぶ疲れが溜まってる
感じでボテゴケするエバと前後して走る。
やがてお互い別々のトレールを進み、GPSも無く山勘だけで走っている俺のほうが当然ロストルート。
やべえと思いつつオロオロしてると#20のOHLSSONも同じようにオレオロしていた。
上空にUAE 空軍ヘリが見え、そちらの方向に走っていくとGAULOISESバギーの2号車がブッシュをなぎ倒しながら
GPS走行をしていた。砂漠のゲロトレセクション
なら相手がバギーでも楽勝で尾行できる。
やがてルートは砂のハイウェイに変わり、残りの距離が秒読みになった。
ゴールが近ずくに従 い、緊張がはしる。
やがてFinishフラッグが目に飛び込んだ。
オフィシャルのネエちゃんが「今日は全然問題無しね、おめでとう!」と白い歯をキラ
リと光らせた。
うねる砂丘はどこまでも続き、上空にはスッコーンと抜ける青い宇宙が無限に広がっている。
Desert challengeは幕を閉じた。
リエゾンにある昼休み中のガスステーションに入るとパンク修理を終えたハットリさん
とエバがいた。
パーフェクトな完走を祝いガッチリと握手を交し、良く冷えたコーラを飲みながら最後の1本となったショートホープを吸い合った。

NEVADA Rallyの時はパンク地 獄と部品が次々にブッ飛んでく
KTMに苦戦し、マレーシアの時は'86XR600の電装ト
ラブルに泣き、
なかなか本来の実力が結果に結びつかないハットリさんの姿を見続けて来ただけに、今回は満足そうだった。
エバは自分のスタミナの無さをしきりに反省していた。
オーストラリアンサファリで上 位入賞し、国内EDでも輝かしい成績を残しているが砂漠での体力消耗は予想以上のものだった。
でも奴はまだ若い。次回は今回の経験が大きく生きるだろう。
俺はいつも通りの自分の走りができた事がうれしかった。長野の山ん中を「冒険の扉」
の試走で走ったり、六甲ゲロを走ったり、
気仙沼のフォレストレイドを走ってる時とまったく変わらない走りが、世界レベルの端っこ位には引っ掛り通用したと勝手に納得した。
数回の立ちゴケ以外は転倒・クラッシュ一切無かった事は家族に対する最大の自慢である。
全コース時間内で走り切った日本人は吉友18位・服部19位・江連24位・江幡 32位・青沼37位の5名であり、ノーペナルティで
走りきったMOTOライダーの中では俺がビリ欠だった。
最後のメインイベント、Dubai郊外のスーパースペシャルステージ会場に向けリエゾンを
走行していると、あと2km でガスステーション
というところでタンクのガスが空っ欠になってしまった。
「アレレ、又 押しかぁ?」なんて思いつつ惰勢に身をまかせてスロー
ダウンしていくと、突如後ろから押され、速度が上がった。
おやっ?っと振り返ると OHLSSON氏が走行しながら、足で俺のバイクを押
してくれていた。
まったく最後まで俺の場合「Thank you very
much」なのである。
スペシャル開設までパークフェルメし、高級ヨットクラブの庭でくつろぐ。江
連が上半身裸のいつものスタイルで
「青沼さん、海入ってきたらどうですか?ペルシャ湾ですよ、サッパリしますよ〜」
と例によって、すべてを悟りきった口調で薦めるので、海に浮いてみる。ぬるめの温泉って感じで気持ちいい。
陽が傾き涼しくなってきた頃、スーパースペシャルが開設。
観客席も設けられスーパー クロスばりにレイアウトされたショートコースを上位入賞者から二輪・四輪交互で走る。
同じレースに出ていてトップライダーの走りを見るのはこれが初めて。
ゲロゲロ・・・唖 然。速すぎる。
でもこれも 24 位の江連が走ったとこまでで、暗くなって危険という理由から中止。
「順位がカスの有象無象が走ると返って盛り下がるからかぁ?こんちくしょう、緊張して
待ってて損こいた」
表彰式は夜の6時からHyatt Regency Hotelの屋外パーティ会場で豪華ケンラン盛大に
開催されたが、俺達はカヤの外のよその世界
の出来事ってかんじだった。
表彰されたのもトップの極一部だし、完走賞のメダルも無し。
ヨーロッパの格式高い大会だからこうなのか?
取りあえず食うもの食ったし、飲み飽きたんで懐かしの我が家MAREDIAS
Hotelに帰還し、
ドロの様に眠る。