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【 11月5日 恐怖!蝿男の逆襲 】

アルジャン 〜アルジャン SS290km リエゾン190Km 計480km
 
「うへ〜っ、頭痛えや」完全な2日酔いで目が覚めた。
しょんべんすると「酒くせー」。
おまけに腹の調子も良くない。
ブッピ〜ピーヒャラララ 〜SOUNDを隣の便器でキバる奴に聞かれるのも恥ずかしいので、まっくら闇の砂丘に肥やしを
ブチまける。

今日は1年前の大会で大量の遭難者を出したRub Al Khaliステージ(サウジアラビアとの国境付近をいく死線地帯)である。
後半の 200Kmが特に手厳しいらしく「自信の無え奴は手前のPCでパンチ無し宣言しろ」とブリーフィングで言っていた。
まだ薄暗いうちにビバークをスタート。暑さ対策で胸部スポンジをむしり取ったダイダーゼ鎖帷子&ジャージ1枚では寒い。
70km先のSSスタート地に着くと同時に再び腹が痛くなった。
江連にクリネックスをもらい、朝日に輝く砂丘に再び肥やしをブチまける。

最初のPCまでは電線沿いの「砂のハイウエイ」。
大きな起伏を繰り返す幅広の道にはバイクの轍が無数に走っている。
その多くはスパゲッティ麺の様に真っ直ぐであるが、これは KTM の轍である。(まっすぐな轍は直進安定性を示す)
そしてラーメンの縮れ麺のようにうねった轍はHONDAのものだろう。
その中でも一際、縮れまくった陰毛のような轍、これはハットリさんの轍に違いない。
120Kmを超えるとブレ出す症状は相変わらずのようで、「腕の筋肉細胞が潰れる」勢 いでハンドルを押え込んでいると
夕べ語っていた。
しかし KTMの高速直進安定性はすごい。「かーちゃん、恐エ〜よ〜」とか思いながら死 ぬ思いで110km/hブレブレ走行を
している横をピタリと、微動だにしないで KTM LC 4が抜いていく。
140km/hは出ている。しかも女だ。
恐るべし砂漠のクラウンであ る。プリプリのケツが見る間に小さくなっていく。

中盤にかけては砂丘越えというよりも砂山越えというようなスケール感と高度のあるデ ューンを乗り越える。
GPSがブチ壊れているので必然的に最も数の多い轍の跡を追っていくのだが、そんな轍にかぎって砂丘の一番高い個所
を乗り越えている。
トップを走る KTMワークスライダーのハインツ・キニガードナーが煙馬鹿男だからなのか?
ルートを把握するに高い所が眺望がきいて有利だからなのか?
いずれにせよトップライダーの威嚇に応じるしかない。自分もその轍を追い、砂丘の一番高い箇所を越えていく。

ラリー中、出現した最もでけえ砂山のピークに達するには巨大な蟻地獄の様な逆バンク を登り詰めるしかなかった。
そこがどれほどの修羅場であるかは、俺をいとも簡単に抜いていった KTM達がゴキブリホイホイに引っ掛った虫ケラみたいに
うごめいている様で想像がつく。
自分の力と今までの経験だけを信じてギアを2速に入れ、蟻地獄に突っ込む。
…・・が、 力及ばず2/3ほどでリアタイヤを丸ごと砂に埋め、自分も虫ケラ4号と化してしまった。
でも、俺はただの虫ケラじゃねえ、ここからが本当の俺の出番なのだ。バイクを砂か ら引っこ抜き、押しの姿勢を整える。
そして後は、雨が降ろうが槍が降ろうがひたすら砂丘のピーク目指して、押す、押す、押す!!
押せば〜命のぉ〜泉アキ!なのだ。


この砂山のクライマックスは富士急ハイランドもビックリな、10階建てのビルほどの 高さからの直角脳天逆さ落とし砂丘下りである。
もう、失禁、脱糞、なんでもOK!すべて許す!ってな感じであった。

やがてPC。ガス補給後、ほとんどんのライダー達は自分達のサポートカーの所で休息を むさぼるが、俺はいつもの様に
Emarat petrol のタンクローリーの日陰で15分のレス トコントロールをとる。
陽気な白人のオフィシャルで賑わっているパラソルの下も悪くはないが、それよりもくそ暑い中、文句のひとつも言わずガスサービスを
続けるアラブのおっちゃん達のほうが俺にとっては憩いの場であるのだ。
「おまえ、中国人か?なにっ?日本から来たのか!それはたいしたもんだ。まあ、これで も飲んでゆっくり休め」
そんなふうにしてジュースだの菓子だの次から次へと俺に差し出してくれる。
ありがた いけど、そんなに食えねえ、いろんな話をしたいけどそんな英会話力も無え。
ヨタヨタと日陰に這いつくばる自分が情けなかった。













後半戦はいよいよ問題のRub Al Khaliステージである。
白目をむく様な邪悪な砂漠がいつ出るか、いつ出るか!?と緊張しながら走るが、脳天 逆さ落し系デューン下りが連続して
出たりした他は、すごいといえばすごいし、これまでにも出てきたような砂漠と変わりない気もするし、な〜んて思っているうち
にFinishまで 後5Kmとなった。
時刻は13時をまわったばかりであった。今日は陽が充分高いうちにビバークに着けそ うである。
仮設のプールにゆったり浸りオルガスムス表情でビールを飲む自分の姿が目に浮かぶ。
ダラダラとした広い裾野を持つ砂丘のてっぺんに、数人のカメラマンが見えた。 おっと、疲れた様なダサイ走りは禁物だ。
ギアは3速。絶妙のスタンディング体制をとり、アクセルを開ける。エンジンが唸る。が、スピードは落ちるいっぽうである。
やべっ 、あわててギアを2速に落とすが、カメラマンの横を通過した時は、エンジン音だけは唸っているが、速度はヨタヨタと
止まりそうであった。
何が起きたかは顕かであった。 クラッチである。
腐ったピザを粗悪な油で炒めた様な異臭から、そいつは既に絶命していることが想像つく。
調整の仕様が無いほどパンパンに張ったケーブルをいじってみるが、 リアタイヤはピクリとも駆動しない。
凶悪な暑さの中、落胆とあせりが頭ん中をグルグル廻る。

只ならぬ状況はカメラマンからも見られていたようで1台のRAV4が近ずいてきた。
例によってインチキEnglishで尋ねてみた。
「Excuse me. My motorcycle is clutch trouble. Don’t move. How far to Finish point ?」
「Three kilometer 」
・・・・・・・3Km。
いける距離・・・・だ。
押してみる。しかし3m押して、こりゃ無理と感じた。
それでも 20mは無理して押したが、砂の抵抗が半端じゃない。体がしびれ、吐き気を催しただけだった。
「絶対に無理だ…。」
たかが3Kmだが、リムまで潜る熱砂での、エンジン駆動無しでの押しに絶望を感じる。
こうしてる間にも後続のバイクや四輪にガンガン抜かれていく。
脳ミソの中のコンペモードは沸騰し、汗と共に大気の中に消えていく。
“カリ高オシャカ未遂事件”の時のハッ トリさんの言葉が頭をよぎる。

…取りあえず頭とエンジンを冷やそうと考え、バイクのわずかな日陰で本格的に横にな った。
寝っ転がって真っ先に浮かんだのは家族の顔だった。
「くそっ、ちくしょう。子供もカミさんもほったらかしの迷惑かけ放題で、挙げ句の果てがこのザマか・・」
家でマシン作りをしてた頃、工具をオモチャ替わりにして、まとわりついて遊んでた子供の姿が目に浮かぶ。

RAV4の男が車の中からマルボロのビーチパラソルを取り出し、立て掛けてくれた。 夢に見た砂の大地に抱かれ、
青空をパラソル越しに眺めるなんて、実はすげえリッチな事なのかもしれない。
パラソルの作り出す心地よい日陰にパンチが吸われていく。

蝿が飛んで来た。
ライディングウェアに止まり汗を舐める。
また蝿が飛んで来た。
また蝿が、
また蝿が、蝿が、蝿が、蝿、蝿、蝿、
また蝿、蝿、またまた蝿、蝿蝿、蝿、蝿蝿蝿蝿、蝿、 蝿、蝿蝿蝿蝿蝿蝿蝿蝿蝿蝿蝿蝿蝿蝿蝿蝿………
赤と白の寿カラーの日陰で、俺は真っ黒の蝿まみれになり腐乱死体に変わった。
腐乱死体のまま30分ボーッと考えた結論はやはり「押すであった。
脳ミソが冷えると気持ちはサバイバルモードに切り替わった。
疲れたら休めばいい。まだ陽は高い。暗くなる頃にはFinishにたどり着けるだろう。
ようやく冷えたエンジンにもう一度火を入れ、ギアを入れグッと押してみる。
思ったよりも軽い手応えでタイヤが廻った。
おやっ!?
更に押してみる。…動く。
こいつは死んじゃいねえ!わずかながらも自分のパワーでタイヤを廻そうとしている。

「よーーーーーし!!我に勝算ありだ!」

RAV4の男にビーチパラソルを返し、
「I push ! push !push !motorcycle go to Finish. Thank you」
と伝えた。

エンジンの回転数とタイヤのブロックが地面を食わえこむタイミングを合わせながら押 し続ける。
砂の浅い所は軽快だ。調子こいてバイクに飛び乗ってみる。だがその瞬間にクラッチがすべり、やはり止まる。
これはもう最後まで押す、押す、押忍!の精神しか無いのだ。
Finishを示す白地に黄色のPCフラッグが見えてきた。オフィシャルやサポート体の姿も多勢見える。
ゼッケン67がゴール向けてバイクを押して来ている。との情報は無線でフィニッシュPCに入れられているようだった。
3人の男がこっちに走って来た。
「どうしたんだ?大丈夫か?まず水を飲め!心配するな!No Problem !No Problem ! No Problem !!」
そう言いながらバイクに取り付きいっしょに押し始めた。
ブッ倒れそうだったヘロヘロの押しは小走りの押しに変わった。実はこれが返って迷惑で、早足になった分、息が上がる。
でも、もう休むわけには いかない。
Finish手前100mはさながらマラソン最終ランナーのゴールシーンであった。
スタッフのおっちゃん、オバチャン、じいさん、30人近い人らがみんな声援を送る。子供が飛び跳ね走り出す。
俺の前方5mでは、テレビクルーが後ずさりしながら低いアングルからカメラを廻して いる。
オフィシャルのネエちゃんが白い歯をキラリと光らせ「あともう少しよ!」とスタンプを振りかざしている。

ヤッホー!ブラボー!コンガーシュレーション!
拍手と喝采の中、俺はへたり込み、頭から何度も水をブッ掛けられた。
押しを手伝ってくれたおじさん達もへたり込み咳き込んでいる。
「Thank you very much. Thank you・・」


オフィシャルカーの影で休んでいると UAE軍用ヘリが着陸した。
うん?なにかあ〜? と思ってると、中からオヤジが登場し、俺の腕をむんずと掴むと、脈をとりはじめた。
オヤジはドクターであった。心泊数に異常無し?でもドクターは「おまえヘリに乗れ」 と言う。
“ Why?”
「だって、お前のバイクは壊れてるじゃないか、ここからビバークまで100kmあるんだぞ。
それにお前はひどく疲れている。さあヘリに乗れ」
ヘリと聞いた時、一瞬「乗って空から砂漠を見てみてー」と心が動いた、だけど乗った 時点でリタイヤが決まる。
“ No.No.. I’m strong man! I’m no problem. I think sand section is nottraction but tarmac is good traction.
Because my motorcycle is little move . tarmac is no problem.I want tomorrow start! you Understand ?”
けっこう必死こいて英語を並べたてたら「そうかい、そうかいわかったよ、まあ頑張れ! 」
と、ドクターはヘリに乗り込み去っていった。
そうこうしている間に押しを手伝っ てくれたおじさん達(KTMのサポート隊らしい)がXRのクラッチケーブルをレバー
から 外し、俺を呼び付けた。
「ノークラッチ状態にしといたから、お前エンジンかけてバイクに跨ってろ、俺達が押 してやるからスピードに乗ったら
シフトチェンジするんだ」そういって6人掛かりでXRを押し掛けしてくれた。

ターマックをビバーク向けて 80Km/hで移動する。それ以上に速度を上げるとクラッ チがすべり始めてしまう。
その俺の後ろを、押し掛けしてくれたおじさん達が2台の車に分乗してサポートしてくれている。
途中で止まる事態が発生した時に再び押し掛けする為 である。感謝と祈りの気持ちでいっぱいであった。

ビバークのPCにたどり着いた時の感動は今でも忘れられない。サポートしてくれたオジ さん達と抱き合って喜んだ。
「Thank you very much 」を繰り返す事しかできなかった。

うれしさと感謝の気持ちで涙がにじんだ。


「今日もプールに入っちゃったもんねー」
相変わらずハットリさんは涼しい顔で調子が良さそうである。
でも、けっこう派手にブ ッ飛んだらしく、MDのスイッチが壊れてたり、肩も強打したらしい。エバは超悲惨で、 GPSは粉々で
フロントゼッケンプレートはふっ飛び、ゼッケンをマジックで書いていた。
この日時間内(ノンペナルティ)でSSを走りきったのは57台で、昨日に引き続き日本 人では吉友・服部・江連・江幡・青沼の
5名が完全完走で生き残っている。もっと早い段階でクラッチが終わっていたら俺はダメだっただろう。
運にも救われた1日だった。

相変わらず夕方になると風が砂を運ぶが、今日はそんな事も気にしてられず予備のクラ ッチに交換した。

UAE 入りしてからというもの辛い物、油っこい肉、酒、そんな食生活ばかりに輪をかけ て夕べの深酒、昼間の事件の際に
水をガブガブ飲みすぎた事なんかでタブーに耐え切れず、ついに胃腸が悲鳴を上げた。
ハットリさんがうまそうにワインを飲むので、俺も・・ と口にするがみぞおちが絶叫するので今日は禁酒とした。

多くのジャパニーズは元気が無いように見受けられた。みんな若いのに全然覇気が無く 目が死んでる。
連日、ことごとく砂漠のラリーの洗礼を受け、「こんなハズじゃなかったのに…」と顔に書いてある。
日本人のテント周辺はさながら難民キャンプの様である。
元 気のいいのは 30 代半ばの俺達オジさんで、(自分じゃオジさんなんて微塵も思って無いケドね・・)バイクでくぐった修羅場
の数や深さがここに来て試されてる気もする。

森の熊さんも座り込み放心した目をし、「いや〜、なんか人生に疲れちゃったんですよ」 と静かに語っていた。
初日クラッチトラブルで途中棄権。2日目規則に従い走れず。今日もスタート早々に砂の餌食となり棄権し、納得できる走りが
できないらしい。しかし、彼 はまだ28歳と全然若い。まだまだこれからなのだ。
この日、元「孤高の人」の彼のあだ名はハットリさんにより「人生に疲れた男 森の熊さん28歳」と戒名された。

カリ高クンはムッとしながら整備を続ける。
森の熊さんのクラッチトラブルにより、1 日目の夜、再び焼き付き
クラッチプレートに組み戻さなければならなかった。
作業終了は夜中の2時を廻っていた。
不発弾を抱えながらの砂丘越えにはそうとう神経を使う。
が自分がまいた種である。
己に対する怒りと根性が彼のパワーの源である。