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第2号 (2001年9月1日) 発行:まちの情熱ネットワーク
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更埴市の市議会議員選挙が平成14年1月に実施されます。和田英幸市議は2期目を目指して、立候補を表明いたしました。
前回の選挙で、998票を得て初当選を果たした和田市議は、更埴市議会では、最年少議員(当時39歳)として活躍。議会の改革を掲げ、4年間議員としての研鑚を積んで来ました。
次期の選挙は、現在進んでいる一市二町(更埴市・戸倉町・上山田町)の合併が順調に進むと、更埴市議会最後の選挙となります。
そうした重要な時期に望み、責任世代の代表として、決意を新たにし、21世紀を見据えての立候補となります。議員が高齢化する中で、唯一40代の議員として、今後とも地域発展のために、活躍を期待しております。
一期目の評価は…。議会の活性化に力が発揮できたか?
和田市議の議会活動は、どうか検証してみました。
・本会議での発言
一般質問は平成13年6月議会までに、計10回質問に立っています。また、議案質疑、賛成討論が、各1回づつ。原稿は、すべて議員自らが作成しています。
なお、和田議員の行った、質問のことが、信濃毎日新聞の記事になったことが、2回あります。(他の議員さんにはないことです)
・議会報告会の実施
平成10年2回、平成12年2回、平成13年3回(10月にも予定)、計7回開催している。
・市民からの要望に対して
市民からの声は、随時、一般質問に取り入れ、議会において発言し、市政に対し実現を要求している(ただし、結果については行政に委ねるしかない)。 また、身近な要望については、行政に相談し、すぐできるものは、実現していただいている。
議員は、市へのパイプ役と心得ているので、市民の要望はすべて行政に伝えている。しかし、すべての懸案事項が即座に解決できるとは、限らないので(和田議員の力不足と言われても仕方ありませんが・・・)、ご理解をいただきたい。
しかし、議員の姿勢として支持者の要望を実現できるよう努力するのは当然であり、今後ともいろいろな角度から検討し、実現に向けて努力いたします。
‡ ‡ ‡
支持者の声「議会の仕組みやルール等よく分からないながらも日々研鑚、研究を重ねる中で、新人議員としては、できる限りの力を発揮しているのではないか。しかし、まだまだ目標を高く持って、これで良いという気持ちにならないことが大切。2期目を目指すのであれば、プロ意識を持たなければならない。1期目は失敗も許されたが、2期目はそうは行かないことを肝に命ずることだ。いずれにしても、今後とも初心を忘れず、がんばってもらいたい。」
私のひとこと・提言 更埴市議会議員 和田英幸
まちの情熱ネットワーク会員の皆様、お元気でしょうか。
平成10年1月の市議会議員選挙では、大変お世話になりました。「議会に若い人を」という市民の声に心を動かされて、立候補を決意したのは、選挙告示まで3ヶ月を切った10月末のことでした。
当時、青年会議所の理事長をしておりましたが、「100条問題でゆれる更埴市議会」の様子を見て、市議会は一体どうなっているんだという疑問がわいてきました。市政を動かす重要な市議会議員が、職員に圧力をかけたとするこの問題は、明るい豊かなまちをつくることを願うわれわれにとって、不可解に映ったのであります。
青年会議所時代は、外部から市政にたいし、ボランティア活動を通じて、事業や提言を行い、理想の社会を描いていましたが、それを実現するのは、行政であり、しいて言えば市長であります。そして、それに対して意見を入れる公式の場が、議会であり、議員でなければそこで発言することができないのです。
私は、夢を実現するには、議会内部からでなければ、近づかないことを知り、まわりの熱い仲間からの力を借りて立候補し、議員となったのです。
議員となり、4年目を迎えた今、再び熱い思いをいだき2期目の立候補を決意いたしました。この4年間は、無我夢中、何もわからない中で、突き進みました。
その時々の判断に間違いはないと言いきれない不安定さの中で、振り返りますと、あの時ああ言っとけば良かったのにという悔しい思いもあります。
勉強不足や勇気のなさが招いた自分自身への自責の念で悩んだり、あせったり、あるいは、先輩諸氏の愛あるご指導に抵抗したり、あっという間の4年間でした。
私自身まだまだ納得できない1期目ですが、支持者の方々から見てもなおのこと、頼りのない私ではありますが、この4年間で得た力を更に増強して、2期目に向けて、再出発したいと考えております。
‡ ‡ ‡
次期選挙は、更埴地域の合併を控えたいへん重要な時期の選挙となります。更埴市議会のもっとも若い議員として、地域の皆様の期待を胸に、全力でがんばりますので、今後とも変わらないご支援・ご協力をよろしくお願いし、一言ごあいさつといたします。
合併は目的ではなく,手段である!
課題は、「まちづくり」 =これまでの動き=
@一市三町の合併問題については、今まで議会や首長間で検討を重ねてきたが、地域事情 から坂城町が積極的ではなく具体的論議に入れなかった。
Aこのような中、一市二町議会・首長間で、将来の合併をめざし、先行して調査・研究・住 民啓発等を進めることについて、合意し坂城町もこれを了承した。
Bこれを受けて、一市二町の合併準備会が平成11年12月に発足。また、任意合併協議会が 平成12年7月に設立した。
C平成13年8月23日にまでに9回の協議会が開催されて、現在、事務レベルでの調整が行われている。また、これと並行して、「新市将来構想」が策定されているところである。
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国はいま「地方分権」の推進を進めています。住民に身近な行政は地方が担っていく。「地方の自己決定と自己責任」をより明確に示されたことにより、地方自治体はその受け入れ態勢を整えなければなりません。
すなわち、各種の権限を受け入れるに当たって自治体の規模とか職員の受け入れ体制をある程度のレベルに持っていかなければなりません。
そこで、国では全国約3300ある市町村を約1000程度にしたいという考えもあります。 長野県は北海道についで、全国2番目に市町村の多い(120市町村)県です。山や川に隔たれた地形なので、小さい町や村が散在しています。
その中でも、更埴地域は、合併するには比較的有利な地形でり、歴史的にも強い結びつきがあります。
「更埴市政治倫理条例」 連載@すりかえられた原案
◎平成13年3月定例会
和田議員は3月議会において、「更埴市政治倫理条例」議員提案した。
議案には更埴市議会16名の賛成者が署名していた。通常これで、22人の定数中、議長は外れて、21人の内16人賛成で過半数がとれて、すんなり成立するはずだった…。
しかし、議案提出を間近かにしたところで、2人の女性議員が賛成取消し、議案提出後、さらに2人が賛成を取消すという前代未聞の出来事が起こったのである。議会には訳の分からない、魔物が住むという。それがまさに動き出したのである。
結局14人の賛成者のまま本会議に突入することになった。これでも、まだ過半数を取れる人数が賛成にまわっていたのであるが。
しかし、ドラマはこれから更に凄惨を極めていったのである。 私は本議会で、議案説明を無事終え、つかの間のひとときを過ごしていた。一般質問の数日が過ぎて、議案審議の日程に入ってからが、第1段階の舞台であった。この条例案に対して、5人の質問者が議場に立ったのである。もちろん、質問に対する答弁は、提案者の私である。1人ができる質問の回数は、再質問を含めて2回。各人がそれぞれ2回ずつの質問を行い、私は、計10回の答弁のために壇上に上がったのである。ほとんどの質問者は、議案そのものの本筋を離れて、議案提出過程のことを質問した。
◎壮絶な総務委員会
なんとか議案審議が終了し、戦いの場は総務文教常任委員会(以下、総務委員会という。)の場へと移った。
ちなみに総務委員会は、金沢委員長、和田副委員長、北澤議長、原議員、田沢議員、青木議員、小林かよ子議員、唐木沢議員の8名である。当日の委員会は、唐木沢議員が欠席で、7名で行われた。倫理条例の審議に入ると委員外の傍聴者が2名。原議員が集中して、質問をする。提案者である私が、これに対し答弁するという形で、1時間ほど時間が流れました。この間、田沢議員が2回ほど発言。北澤議長、青木議員、小林かよ子議員は発言なし。そして、いよいよ条例案に対して採決がされた。
原案をそっくり変えてしまう修正案
◎修正案で対抗
総務委員会の採決は、7人のうち、賛成3名、反対2名、棄権1名(委員長は採決に加わらず、北澤議長は棄権。)という結果になった。
したがって、総務委員会では、提案された条例案に対して、賛成が過半数で採決するものと決したのである。
(条例制定に向けて、ひと山越え、これで制定が決まったかのように思えたのもつかの間、一寸先は闇といわれる、政治の世界が現実のものとなったのである。)
議案提出のときに、賛成していた議員のうち、4名が原案に対し、反対を表明しだしたのである。このことは、またまた前代未聞の出来事であった。賛成の署名をした議員が、反対するという行動は、議員としてのその資質を疑うものである。一旦委員会で、採決された議案に対し、もはや本会議では、廃案にはできないのである。反対派にとって、残された方法は、修正案で対抗するしかなかったのである。しかも、全体を修正するという手法で…。なりふりかまわず、いろいろな手段を用いて成立を阻止しようとする様は、これが言論の府である議会のある姿なのか目を覆うばかりでした。
修正案は、原案の一部を修正するものでなく、原案を骨抜きにする、(条例とはいいがたい、)後粗末なものでありました。まるで、議員間の申し合わせとも言うべき代物でありました。
◎本議会において修正案が採択
結局、本会議最終日に議案の採決がありました。その結果、修正案に対する賛成多数(11人が賛成)で、修正案が採択されました。その時点で、原案は採決の対象にもされませんでした。なんと言うことか。こんな議会でいいのか。
この続きは、次号で詳しくお伝えいたします。
「三省」とはどんな意味?
われ日に三たびわが身を省みる ― 吾日三省吾身 ―
▽わたしは、毎日、三つのことを反省する。
◎明治財界の指導者だった渋沢栄一は、この教えを座右の銘としていた。かれは、「三省とまではいかないにしても、わたしは、一日の仕事が終わって床についたとき、その日の行動を思い起こすことにしている。行動の点検と整理ができるばかりか、深い印象が頭にやきつき、記憶力の増進にも役立つ」といっている。
◎これは孔子の弟子である曽子のことばだ。「三省」は「三省す」「三つ省みる」などいろいろな読み方がある。その内容は、渋沢のように自分に合わせて決めればよいが、曽子のいう反省の内容は、次の3点である。
1 人のために尽くすと言いながら、いいかげんにやらなかっただろうか。
2 友人に対して誠実さを欠くようなことをしなかっただろうか。
3 自分が確かめもしないことを人に吹聴しなかっただろうか。
◇わたしは、毎月第2日曜日に、屋代駅前の西沢書店2Fで開催される、丸善食品工業渇長の吉川公介講師による「三楽塾」で中国古典を勉強しています。 孔子・韓非子・孫子・孟子の世界に入っていくことは、まるでタイムカプセルの中で歴史をさかのぼっていくような、不思議な時間です。
「孔子の時代から現代まで、約二千年、人間の考えはほとんど変わっていない」と吉川先生はおっしゃいました。
◇「三省」は「三政会」として、市議会のわが会派の名称として使用しております。
これも、吉川先生のご助言によるものであります。
「中国古典」は今やわたしにとっては、市議会議員としての政治姿勢を指し示す大事な羅針盤となっております。
まだまだ、浅学の身ではありますが、この言葉をいつも身近におきながら初心を忘れずに、議員活動をおこなっていく所存です。
今後とも会員皆様のなお一層のご指導ご鞭撻のほどをお願い申し上げます。
※「三楽塾」に関する問い合わせも、受け付けております。
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詳しい事業の日程につきましては、会報やホームページ等でご連絡いたします。
▼ 何かございましたら、ご意見をお寄せください。
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