ライン

まちの情熱ネットワークにもどる

ごあいさつ

「まちの情熱ネットワーク」のホームページをご覧いただきましてありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
 更埴市議会が100条問題で大きな騒ぎになっているとき、「市議会に若い人を」という声が市民の中から大いに湧き起こりました。私は、当時青年会議所の理事長をしておりましたが、市議会選挙まであと4ヶ月を切った時点でも、30代、40代の候補者予定者名は挙がってきませんでした。この頃から、私に出馬の要請が会議所内部の仲間から強く起こってきました。10年先、20年先のまちづくりを論ずるべき議会において、平均年齢が60歳を超えている議員さんの集まりでは、政策に無責任ではないか。当時、私はそう思いました。
 若い人の声を議会に反映し、市政を変えよう。そして、責任世代の意見を市政に反映することで、若者が将来に希望と夢を持てる社会の実現をめざしたい。こうした気持ちの高ぶりがまわりの仲間と同調する中で、選挙告示まであと3ヶ月を切った10月下旬、私は市議会議員選挙への出馬を決意いたしました。
 ところが、この時期、従来型の選挙で市内では有力者といわれている方は、たいがいどこかの候補の陣営に名前が入っていて、「今ごろ来ても遅いよ」という状況でした。
 私たちは、若い人を中心にネットワークを広め、みんなで草の根選挙を開始しました。そして、私たちの会は1997年11月に誕生したのです。役員は、会の責任者と会計責任者だけ。あとは、みんな同列のスタッフでした。苦しくも楽しい選挙戦の幕開けです。
 
「まちの情熱ネットワーク」は、近所のおじさんやおばさん、おじいちゃんやおばあちゃん、恩師の先生、消防団の方、商工会の方、早起き野球の方、幼なじみの同級生、上田や篠ノ井・長野の友達…等(スイマセン書き切れません)。
まさに、職業も年齢も違う多種多様な集まりでしたが、一つだけ同じモノを持っている仲間たちでした。それは、「まち(故郷)を想う心(情熱)」。確かに「若造に何ができる」「生意気だ」といった声も聞こえます。しかし、若者だからできる事、若者だから感じる事もあります。提案したからには、責任をもってやる。そんな活力と自信に満ちた、若者らしい爽やかな風を、故郷に吹かせたいと私たちは考えています。
 2001年2月、私は、いま議員生活を3年経過し、あのころの初心に返り、市民の視点に立った議員活動をしなければならないことを、あらためて感じております。
 私をまわりから支えてくださる皆様や期待をかけてくださる皆様に心より感謝申し上げ、地に足をつけてしっかり歩んでまいりますので、今後ともご支援ご協力をお願い申し上げます。


このページのトップにもどる▲

まちの情熱ネットワークにもどる
--------------------------------------------------------
HOME議員活動行政書士関塾スクール更埴中央校

ライン