あとがき(都築誉史)
本書と関連した最初のワークショップは,1997年・日本心理学会大会であり,
2回目のワークショップは1998年・日本行動計量学会大会であった。筆者は前
者でも話題提供を行ったが,特に後者では主催校の実行委員として,ワークシ
ョップの企画・運営にも関わっている。「読者へのガイド」でも述べられてい
るように,1998年のワークショップの内容を論集にまとめようという電子メー
ルが,本書の出発点となった。
筆者は本書の原稿の執筆・編集とほぼ並行して,高次認知過程に関するコネ
クショニストモデルの研究動向を展望する論文(都築・河原・楠見,2001)を
まとめる作業を行った。この論文では,記憶,学習,言語,思考,発達の6領
域を扱ったが,認知障害,統計・データ解析,数理などの分野は,掲載論文の
枚数制限のため割愛せざるをえなかった。本書ではこうした研究領域に関して
も,興味深い論文(5, 10, 12章)が収録されている。
エルマンら(Elman et al., 1996)は,コネクショニストモデルにおけるシミ
ュレーションの意義を,以下の3点にまとめている。
(1) 曖昧性を排除した厳密なモデルの構築が要求される。
(2) モデルの実証的な実験の役割を果たす。
(3) モデルの内部表現(特に,隠れ層)の分析が可能である。
コネクショニストモデルは,構造化された明示的な認知過程のモデルを追求す
るというよりは,ブラックボックスに近いものになってしまうのではないかと
批判されることもある。つまり,訓練した後のネットワークの隠れ層に,主成
分分析やクラスター分析などを適用して内部表現の解析が行われるが,従来の
素朴なボックスアローモデルのように,どのような内的処理が行われているか
が明示的ではないため,複数の関数の働きを含めて簡潔に説明することは難し
い。また,コネクショニストモデルでは非線形ダイナミクスによる認知特性の
創発という特徴が強調されるが,非線形のダイナミカルシステムはカオスや統
計力学と関連し,その挙動を数理的に理解することは簡単ではない(たとえば,
Elman et al., 1996の第4章や,Herz et al., 1991を参照)。とは言え,特に1980
年代後半以降,高速に複雑な非線形の反復計算を実行できるパソコンのめざま
しい発展と,コンピュータシミュレーション技法の進展によって初めて,我々
心理学者は,脳における知的情報処理の秘密に迫る可能性を手に入れたのかも
しれない。
1988年に発行されたPDPハンドブック(McClelland & Rumelhart, 1988)に
添付されていたシミュレータソフトは,IBMパソコン用で当時の日本製パソコ
ンでは動かすことができなかった。筆者による本書の2章では,このソースプ
ログラムに関数を追加し,MS-Windowsの32bitアプリケーションに移植した
ものを用いているが,もともとユーザインタフェースが複雑であり,決して使
いやすいソフトとは言えない。たとえば,因子分析がSPSSなどの普及によっ
て,また,共分散構造分析がAmosなどの普及によって広く心理学研究に浸透
していったように,tlearnのような使いやすいソフトが普及してゆくことが,
コネクショニストモデルの今後にとって重要であろう。
最近,個人的には,ハメルとホリオーク(Hummel & Holyoak, 1997)のLISA
(Learning and Inference with Schemas and Analogies)などで用いられた,ユニッ
トの同期的発火による動的変数束縛の手法に興味がある。この方法は,神経生
理学における神経細胞同士の周期共振仮説(Gray & Singer, 1989)に基づいて
いる。小脳パーセプトロンモデルをふまえたシナプス可塑性の発見や,シグマ
-パイユニットに相当するシナプスの発見などの例に見られるように,コネク
ショニストモデルと実証的研究とが相互作用し合うことが,今後ますます重要
であろう。心理学の分野では,コネクショニストモデルによるデータの記述に
とどまらず,モデルから導かれる新たな予測(仮説)を,実験で検証してゆく
ことが必要になると思われる。
言語が知能の大きな構成要素であることは明らかであり,筆者も長年,言語
に関わる心理実験とモデル構成を行ってきた。しかし,音声に由来する言語が
系列的であるため,我々は脳で行われている知的情報処理が超並列分散処理で
あることを,軽視しすぎているのではないだろうか。フォンノイマン型コンピ
ュータの発展も,基本的にはこの傾向をさらに助長してきたと考えられる。意
識的処理は系列的で,無意識的処理は並列的であるといった二分法も,脳にお
ける知的情報処理の本質をうまくとらえていないと思う。たとえば,思考や社
会的認知などの領域では,コネクショニストモデルの可能性を検討する余地が
まだまだ残されているように感じている。
<引用文献>
エルマン J. L.ほか 乾敏郎・今井むつみ・山下博志訳 1998 認知発達と生得
性――心はどこから来るのか ―― 共立出版
(Elman, J. L., Bates, E. A., Johnson, M. H., & Karmiloff- Smith, A. 1996
Rethinking innateness: A connectionist perspective on development. Cambridge,
MA: MIT Press.)
Gray, C. M., & Singer, W. 1989 Stimulus specific neuronal oscillations in
orientation columns of cat visual cortex. Proceedings of the National Academ
y of
Sciences, USA, 86, 1698-1702.
ハーツ J., クロー A., パルマー R. G. 笹川辰弥・呉勇(訳) 1994 ニ
ューラルコンピュータ――統計物理学からのアプローチ―― トッパン
(Herz, J., Krough, A., & Palmer, R. G. 1991 Introduction to the theory
of neural computation. Redwood, CA: Addison-Wesley.)
Hummel, J. E., & Holyoak, K. J. 1997 Distributed representations of struc
ture: A
theory of analogical access and mapping. Psychological Review, 104, 427-466.
McClelland, J. L., & Rumelhart, D. E. 1988 Explorations in parallel distr
ibuted
processing: A handbook of models, programs, and exercises. Cambridge, MA:
MIT Press.
都築誉史・河原哲雄・楠見孝 2001 高次認知過程に関するコネクショニスト
モデルの動向 心理学研究(印刷中)
あとがき(楠見 孝)
本書では,コネクショニストモデルを用いた学習,記憶,言語,思考,発達,
社会,障害,生理などの心理学研究に新しい研究手法を紹介した。そして,コ
ネクショニストモデルが,心と脳に関する科学的研究の統合的なモデルや理論
を構築するための重要な武器になることを示した。
これまで日本の心理学研究は,実験とデータの分析で終わり,そこからシミ
ュレーションをしたり,モデルや理論構築に進むこと,さらに,他の学問分野
に向けて発信したり,共同でプロジェクトを組むことは多いとはいえなかった。
私たち執筆者が本書をまとめた動機は,心理学者が伝統的な手法や枠組みに
閉じこもるのではなく,コネクショニストモデルに基づくシミュレーション技
法を身につけることによって,理工学の研究者とも協調して,心と脳の研究に
取り組むことの重要性を感じていたからである。脳科学の進歩によって脳のミ
クロなレベルでの振る舞いがとらえられた時,また,計算機科学の進歩によっ
て人と同じ振る舞いが工学的に実現できた時に,心理学の役割はなくなるだろ
うか。そうではないだろう。マクロなレベルの行動や心を説明するのが,心理
学の目標である。そのためにも,これまで心理学が積み上げてきた理論やモデ
ルと脳科学や計算機科学の研究の架け橋として,コネクショニストモデルは重
要な役割を果たしていると考えている(2章参照)。
そのためにも,これからの心理学教育における実習は,実験法やデータ解析
法だけでなく,コネクショニストモデルを用いたシミュレーション実習を導入
することが必要と考える。そのことが,実験心理学に脳科学や計算機科学等の
成果を取り入れ,また逆に発信するためのステップになると考えている。すで
に,アメリカにおいては,コネクショニストモデルに基づく実習が行われ,教
科書が出版されている(文献案内参照)。しかし,日本にはそうしたコネクシ
ョニスト心理学の教科書はなく,多くの大学の心理学教育には,コネクショニ
ストモデルはまだ本格的に導入されていない。したがって,本書がコネクショ
ニストモデルを心理学教育に導入するきっかけとなり,また多くの読者を得る
ことによって,研究の発展に貢献できれば,編者としてこれほどうれしことは
ない。
これまで,日本におけるコネクショニスト(ニューラルネットワーク)モデル
に関する本の多くは,理工系の研究者が書いたものであった。とくに,ニュー
ラルネットをシステムの最適化や学習のツールとして位置づけている場合は,
人間の認知機能との対応が言及されていない,計算論的な展開が主であるもの
も多かった。こうしたことが,日本の心理学者を,コネクショニストモデルか
ら遠ざけていた一因として考えられる。したがって,本書では,文系の学生が
数式やプログラミングなどで挫折することがないよう,数式のテクニカルな展
開よりもコネクショニストモデルのもつ心理学的な意味に重点を置いて解説し,
容易に利用可能なソフトウェアの紹介をおこなった(リンク集参照)。
個人的な経験を述べると,私の前任校の東京工業大学では,脳研究をテーマ
に,人工知能,制御工学,応用物理,生物,化学などの研究者が,ニューラル
ネットワークモデルを用いて研究を進めていた。学内の研究会に参加するたび
に,心理学者が他の学問の研究動向に目を向けずに,心理学の世界だけに閉じ
こもっていては,取り残されてしまうという焦りを感じていた。私は,幸いに
も繁桝算男教授(現在,東京大学),中川正宣教授という心理学で同じ関心をも
つ上司から刺激を受け,学生や院生たちと一緒にラメルハートとマクレランド
ら(Rumelhart & McClelland, et al,1986)の本を読むことから,コネクショニ
ストモデルを学ぶことができた。さらに,1998年から1999年にかけてのカリフ
ォルニア大学サンタクルーズ校,ロサンゼルス校で在外研究では,ホリヨーク
教授,ハメル準教授らの研究を身近に知ることができた。また,授業で,コネ
クショニストモデルの実習が行われていることを知った。サンタクルーズ校で
カワモト準教授の下で在外研究をしていた都築さんとの出会いはこの本を生み
出す伏線でもあった。京都大学の教育学研究科に1999年10月に転任してからは,
大学院のゼミで,最初の年は,プランケットとエルマン(Plunket & Elman,1997)
の本を使って,tlearnで学習を進め,つぎの年はSTATISTICA Neural Networks
を使いながら学習を進めた。学生たちは,熱心に参加してくれ,本書の2章のコ
メントもしてくれた。さらに、学会のシンポジウムや本書の編集、そして研究
活動を通して,編者の守さん、都築さんをはじめ多くの方から刺激を受けるこ
とができた。こうしたすべての皆さんに心から感謝申しあげたい。
<引用文献>
Plunkett, K. & Elman, J.L. 1997 Exercises in rethinking innateness. Cambridge,
MA: MIT Press.
Rumelhart, D. E., McClelland, J. L., & the PDP research group (Eds.) 1986
Parallel distributed processing: Explorations in the microstructure of cogni
tion.
Vol. 1, 2. Cambridge, MA: MIT Press.
【 www版掲載2001.3.14】
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