毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]
(kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)
と、勝手なことを考えていたら、ふと目に留まった本がこの本でした。最初は小説かなと思ったのですが、副題に「恋愛論を超えて」とあり、帯にも「くるおしい男の精神史」とあります。どうやら、著者の小谷野氏の体験に基づく「もてない男の擁護論」のようなのです。うーん、バレンタインデーにちょうどこんな本を手にするとは、なんたる皮肉でしょうか。
それにしても「もてない男」と思われることへの恐怖心は強いものです。かなり過激な装丁がしてあった上野千鶴子さんの本でさえ、そのまま通勤電車の中で読めた私ですが、この本は表紙のままではなんとなく抵抗がありました。 (守 一雄)
「歌謡曲やトレンディドラマは、恋愛するのが当たり前のように騒ぎ立て、町には手を絡めた恋人たちが闊歩する。こういう時代に「もてない」ということは恥ずべきことなのだろうか?本書では「もてない男」の視点から、文学作品や漫画の言説を手がかりに、童貞喪失、嫉妬、強姦、夫婦のあり方に至るまでをみつめなおす。これまでの恋愛論がたどり着けなかった新境地を見事に展開した渾身の一冊。」と表紙の裏にある。
確かに世の中「もてるヤツが勝ち」という考えが圧倒的に優勢である。田中康夫チャンや宮台真司センセイが、強気な発言ができるのも私生活におけるモテモテぶりがあるからであろう。なんやかんやいってもクリントンも菅直人ももてるヤツなのである。しかし、考えてみれば男の過半数以上は「もてない男」である(と思う)。だが、「もてない男」の発言権はないに等しい。なにを言っても「もてない男のひがみ」と受けとられてしまい、あるいはそう思われてしまうのではないかという恐れから、もてない男たちは声を上げることもできないのである。(「バレンタインデーなんかやめろ」とはなかなか言えない。)
そうした中で、この小谷野氏は待望久しい「正義の味方」である。「ここまで書いちゃっていいの?」という内容は読んでのお楽しみである。わははは。各章の最後には「ブックガイド」があって、古典からマンガまでが対等に紹介されているのもいい。
この本の面白さは取り上げられたテーマだけでなく、作者の人柄や実生活がそのままわかるような文章スタイルにあると思う。「あとがき」にも「この本は研究なのか評論なのか、と問われたら、私としては、エッセイであると答えたい。なにか最近の私は、研究とか評論とかの、しかつめらしく客観性を装って「私」の出てこない文章というのが嫌で、こんなふうに適当に四方山話をしながら「私としては・・・」と感想を差し挟むのがいちばん好きなのである。」と書かれている。確かに、「もてない男」擁護論者の現実がモテモテ男だったら何か裏切られた気がしてしまうと思うのだが、この本には気取りや装いがなく「著者もホントにもてない男なのだろうか?」という疑いを感じないのである。この本のきっかけとなった前著『男であることの困難』(新曜社)でも、このスタイルで書かれたところが特に面白い。小谷野氏は大阪大学助教授。1962生まれ。独身(らしい)。
(守 一雄)