第9巻第6号              1996/3/1
IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX

DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY

IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX-IX

毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

(PDC00137, kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)



  戦後50年目にあたる1995年は大震災やオウム事件にまぎれて他人事のように過ぎてしまいました。そもそも、私たち戦後世代は、昭和の現代史を学校でまったく習ってきていません。よく考えてみると、「戦争が悪いことであること」は幼い頃から良く聞かされてきましたが、それは「負けちゃったから」であって、戦争そのものがなぜ悪であるかについても教わってこなかったように思います。私自身も、勝ち戦だった(といわれる)日清・日露戦争や、太平洋戦争でも真珠湾攻撃まであたりは、なんとなく「悪くないような」気さえしてしまうのです。1人勝ちしている貿易戦争を日本人自身がまったく問題視しないのも、本当の戦争と違って「人を殺さないから」なのではなく、「日本が勝っているから」なのではないでしょうか?明治・大正・昭和の武力による対外拡張政策と、戦後の経済による対外拡張政策とは、結局同根で、そうした「対外拡張政策」そのものが戦争を引き起こしたのではなかったのでしょうか?このままではまた同じことが起きます。(守 一雄)

【これは絶対面白い】

森嶋通夫『日本の選択』

岩波書店¥950


  5年前のDOHC第4巻5号で森嶋通夫さんの本7冊を紹介した。その中で「一番お奨め」だったのが、『自分流に考える--新・新軍備計画論』(文芸春秋社)であった。しかし、この本は1981年に出版された後、残念ながら絶版になっていた。本書は、その本の主要部分を再録し、戦後50年を過ぎた今、改めて日本がこれからの国際社会でどう「生きる」べきかを論じたものである。
 本書の核心となる部分は、軍備論、すなわちいかにして日本という国を守るかという防衛論である。軍備論を論じるとそれだけで鷹派的なイメージをもたれやすいが、森嶋氏の防衛論は徹底した「平和主義」である。しかし、ただただ平和を愛するという夢想的な平和論ではなく、具体的で現実的な平和論である。(ちなみに、昭和天皇は平和主義者であったことがよく知られているが、具体策を知らない夢想的な平和主義者であったために、結局は戦争をすることになってしまった。)
 森嶋氏の防衛論は、突き詰めれば以下の2点に集約できる。その第1は、ソフトウェアによる防衛論である。「つね日頃から国際場裡でもっと積極的に活躍し、東西間の公平で信頼できる仲裁人であるという定評を確立しておく。」そのためには、GNPの2.5%分だけ防衛費を増額し、「タンクや飛行機やミサイルの購入に費消するのでなく、広い意味での防衛費、すなわち文化交流や経済援助や共産諸国との関係の改善や、欧米諸国との間の貿易黒字差額の縮小用に追加する」べきである。さらに、高等教育を大改革して国際人の大量養成をはかるべきである。(「いまの日本の大学からは国の運命を託しうるような外交官や、外国からも尊敬されるインターナショナル・ネゴシエイターは絶対に生まれてこない。」という厳しい指摘もなされる。)この防衛論は、東西間の冷戦が収束する前の1979年に発表されたものであるが、今でもその本質は変わらない。要は、「みんなと仲良くしてケンカをしないように努める」ということである。
 森嶋氏の防衛論の特徴は第2点目にある。「それでも、もしどこかの国が日本に攻めてきたらどうするのだ?」という問いに対し、森嶋氏は「毅然として、威厳を保ちつつ秩序整然と降伏する」と答える。つまり、「無抵抗降伏論」である。「徹底抗戦して、玉砕して、その後に猛り狂った敵軍が来て惨憺たる戦後を迎えるより、秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代わり政治的自決権を獲得する方が、ずっと賢明だ」というわけである。
 こうした結論に至る過程が、猪木・関・福田氏らとの論争を通して、理路整然と論じられている。その論理を追うだけでも勉強になるが、その他にも「歴史に学ぶ」とか「文民統制」とかいうことはどういうことなのかについても勉強になり、納得できる。
 本書の後半では、教育・経済などを含めた日本の進むべき進路が示される。卒業生みんなに是非読んでもらいたい本である。             (守 一雄)


DOHCメニュー