第18巻第10号              2005/7/1
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DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY

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毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

(kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)

 
岡部冬彦によるイラスト(左)とF・ドビアスのイラスト(右)


【これは絶対買ってはいけない】

H.バンナーマン
『ちびくろ・さんぼ』

瑞雲舎(\1,050)


 1988年12月に、ほとんど議論されることなく絶版になった岩波版の『ちびくろ・さんぼ』が瑞雲舎から復刊されて2ヶ月半がたったが、今回もほとんど議論がなされないままである。「人種差別だ」という理由で絶版になったのに、まったく同じ本がなぜ復刊できるのだろう。この16年間に人種差別がなくなったのだったら、復刊は手放しで喜ばしいことなのだが、残念ながら現実は何も変わっていない。では、なぜ以前には絶版とすべきだった絵本が今はOKということになるのだろうか?

 8年ほど前に、タイトルの一字を変えただけの『チビクロさんぽ』という挑戦的な改作本を出版して、差別と出版の問題について議論を引き起こそうとした際に、この絵本が絶版となった真の理由は別のところにあるのではないか、という疑いを持つようになった。そして、今回の復刊によってその疑いはいっそう強いものとなった。

 私たちはみんな騙されていたのかも知れない。岩波書店がこの絵本を絶版にした本当の理由は、著作権の問題だったのではないだろうか。実は、岩波書店はヘレン・バナマンの著作権を正式に取っていなかった。出版社は、この著作権問題こそが出版社の死活問題であることに気づいていたにちがいない。そこで、人種差別を理由に絶版にすることで、著作権問題に蓋をしてしまったのである。ちなみに、岩波書店は『さんぼ』の絶版後にも『ドリトル先生』シリーズで同じ団体から人種差別の指摘を同じように受けているが、絶版という措置を取らなかった。『さんぼ』の場合とちがって、『ドリトル先生』シリーズはちゃんと著作権を取得していたからである。

 この推理が正しいとすれば、今回の復刊がなぜ可能となったのかも簡単に説明がつく。国際的な著作権法では、原著者の死後50年間(さらに戦争による期間の延長がある)は著作権が保護されるのだが、その保護期間が終わったからだ。バナマンは1946年にお亡くなりになっている。戦争中であったため、戦争終結となるサンフランシスコ平和条約の発効(1952年)の翌年1月1日から50年間を保護期間と考えると、2002年までは著作権が生きていた計算となる。言い換えれば、2003年以降は原著者の著作権がなくなり、誰でも自由にこの絵本を出版できるようになったのだ。前回の絶版騒動からの16年間に解決したのは差別問題ではなく、著作権問題だったのである。

 岩波書店は2003年以降は堂々とこの本を再版することができるようになった。しかし、そんなことをしたら、前回、著作権問題で絶版にしたことがバレバレである。だからじっと黙ったままだった。一方、岩波書店が持つこの絵本の編集権は、初出の1953年から50年が経過した2004年末に消滅してしまった。この結果、この絵本は本当に誰が出版しても良くなった。そして、それを逃さなかったのが瑞雲舎だったというわけである。

 今回復刊された『ちびくろ・さんぼ』には岩波版では収録されていた「第2話」がない。これもおそらく著作権がらみの理由だろう。「第2話」の絵は最近お亡くなりになった漫画家の岡部冬彦さんが「第1話」のフランク・ドビアスの画風をまねて描いたものであった(画像参照)。ここまで、そっくりな絵を商業的な出版物の中に使うことは、岩波版が世に出た50年前には許されても、現在では明らかな著作権侵害と見なされるだろう。その後、漫画家として名をなした岡部氏もプライドが許さなかったのではないか。岡部氏の経歴には、100万部以上も売れたはずのこの「第2話」の挿絵は作品として記載されていない。芸術家として大成する前の「恥ずかしい作品」だったからにちがいない。

 上のパラグラフを書き終えてから、瑞雲舎のホームページを覗いたところ、瑞雲舎はこの「第2話」を9月に刊行する予定だということがわかった。5月に岡部氏がお亡くなりになって「障害」がなくなったからだ。この出版社はどこまで人権無視を重ねるつもりなのだろうか。人種差別も著作権無視もどちらも人権侵害である。私たちはこの絵本から、このことを学ばねばならない。そして、この本は絶対買ってはいけない。

 (守 一雄)


【追記】
(1)ベルヌ条約における著作権保護期間に加算される戦争期間の計算に誤りがありました。バナマンさんは戦争期間中にお亡くなりになっている(1946没)ので、死後50年間についてのみ戦争期間の加算をした場合は、2002年末までの保護期間となりますが、いつ亡くなったかに関係なく、戦争期間中に著作権があったものはすべて戦争期間まるまる保護期間が延長されると考えるべきで、2007年5月まではバナマンさんの著作権が生きていることになります。(さらに、これは英語原文についてであって、それを日本語に翻訳する場合にはさらに半年間の加算がなされるそうです。)
(2)原著者の著作権がまだ有効であるとすると、瑞雲舎は著作権者から許可を受けているのでしょうか?そこで、著作権者のイギリスRagged Bears社と瑞雲舎の双方に問い合わせをしてみました。その結果、Ragged Bears社から回答があり、「瑞雲舎に許可をしていない」とのことでした。瑞雲舎からは回答がいただけませんでした。
(3)これとは別に、旧岩波版のイラストを描いていたFrank Dobiasの著作権はどうなっているのかについても、関係の出版社に問い合わせのメールを出したのですが、回答がえられていません。以下は私の推理ですが、Frank Dobiasの著作権はどうやらもう切れているようです。Frank Dobiasは没年も不明ですが、旧岩波版が出版された1953年にはお亡くなりになっていたと思われます。旧岩波版には、Dobiasではなく、Macmillan社の名前でしか著作権の表示(いわゆるマルCマーク)がないからです。これは著作者がすでに著作権者ではなくなっていたことを意味します。さらに、旧岩波版はこのMacmillan社から1927年に出版されたDobiasのイラストを使っていますが、ページ割りなどに改変を加えていることを翻訳者の光吉氏などが語っています。もし、1953年時点でDobiasが生きていたならば、芸術家が自分の作品を改変することを認めるとは思えません。さらには、上にも述べた第2話での岡部による「盗作」にも当然クレームをつけてきたはずです。Dobiasの作品は1935年のものが最後のようですので、1940年までにはお亡くなりになっていたのではないかと思われます。つい最近まで、アメリカはベルヌ条約に加わっていなかったため、没後の保護期間も50年(プラス戦争期間加算)ではなく、万国著作権条約による30年間だったはずです。ですから、旧岩波版のイラストの著作権はもう切れているとみなしてよさそうです。DobiasのサンボをプリントしたTシャツとかが発売されたりすると、また問題になりそうですが・・・
(2005.7.6)

【追記の追記】
上の(3)の予想通り、ドビアスのイラストの携帯ストラップなどの商品が登場しています。ただ、私の予想に反して、特に誰も問題にしていないようです。いったい、1988年の騒ぎは何だったのでしょうか?
(2008.3.7)

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