末期ガンとの闘い


末期ガンとの闘い、治療の進み具合など、これも父の知り合いの医師に宛てた手紙より紹介します。


H10、3、22

ご無沙汰致しました。といっても、昨年の9月の徹の発病以来、こうしてお話を聞いていただきたくて書いたFAXが11発信にもなってしまいました。
それだけ徹も頑張ってきたんだと、考えています。

<近況>
医学的には、よくわかりませんが、親の目からして、日に日に痩せていく息子を見ていると、かなり厳しい状態なんだと思わざるを得ません。

3/1 全日本モーグル選手権出場。あのデコボコ斜面を見事に完走しました。
惜しくも決勝の12人の中には残れませんでしたが、それは見事というしかありません。涙をもって観戦しました。
3/3 再々入院。予定通りです。
入院してから4〜5日は下痢症状がひどく、抗ガン剤治療が遅れました。このころから、食べ物を口にすると腹痛を訴える。激痛。だんだん食べ物を口にしなくなりました。日に日に痩せていくのがわかりますが、元気はいい。
3/19 CPT−11、シスプラチン 抗ガン剤投与。
白血球数 3/5 5300 3/13 6800 3/19 6900
しかし、蛋白の減少が気になるので、血液で必須アミノ酸の数値を要求して調べていただきました。
シスチン 32(正常値42以上)
メチオニン 22(正常値31以上)
フェニララニン39(正常値55以上)など
ということ。心配な状態となりました。本人自身で、蛋白を造り出せない状況のようで、ガン転移のパターンということのようです。どこに転移したかは、特定出来ません。

3/20 ここに来て本人に強い鬱症状が出てきて、家族もどうしていいかむずかしい状態です。抑鬱状態で、ストレスと闘っています。・ベットを叩いたり・体を動かしたり。
昨晩は、ドライブに連れて長野市の夜景などを見せましたが、帰床後は同じように鬱症状となりました。しかし、凶暴ということはない。
「どうしてこうなるのか」と、治療にはかなりの不安感を抱いているようで、私に当たりますが、どうしようもなりません。
こうなりますと、家族の対応も急にやさしくなったりしますので、ますますダメなようです。主治医の山田副院長先生も、癌学会から戻られて顔を出してくれますが、今は「主治医の顔」を見るのが一番の薬です。

<今後の方法>
主治医は、「初診のとき、年を越せるかどうか(12月)」と思っていた。その後退院し、・家庭生活も出来た。・オリンピック(モーグル)も現地で見た。・兄の応援も出来たし、・本人も全日本モーグル選手権にも出場できた。
このことを「忘れないでほしい。治療の効果はあったと判断しています。」と私には、意味深なことをいいます。

今後、これ以上の痛みを訴え、耐えられないようならば、「麻薬(モルヒネ)を使うことになる」そうでして、来週抗ガン剤治療が終わったとき、あるいは、本人が治療拒否をしたようなとき、今後どう生きていくか、人生のこと「本人に話す必要がある」と主治医はいいます。そのときは家族同席の予定です。
もちろん諦めません。奇跡を信じて介抱に頑張りますが、どうしても心の片隅では、手の打ちようがない現状に、その先のことを考えてしまいます。

いろいろ書き連ねましたが、乱文お許し下さい。先生からアドバイスをいただければ幸福です。

 


以上、全日本選手権後の治療の様子、ガンとの闘いを、父の手紙より紹介しました。

 

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