ホスピスに転院


長野県小布施町、新生病院のホスピスに転院したときの様子などを、これも父が知り合いの医師に宛てた手紙より紹介します。


H10、5、1

ごぶさたしました。
「転院」ということが、これほどむずかしいものとは知りませんでした。
ことは、二転三転四転して、本日(5/1)急転直下「転院」が完了しました。

3月中旬、抗ガン剤治療の第3クール1回目の投与ののち、精神的な不安発作が起きて、2回目の投与が出来ないまま治療中断状態で、一ヶ月半が経過しました。
死への恐怖が頭をかすめるようになったのは、その頃でした。心療内科の先生(他院)との会話に救われて、しばらく転院と考えたのですが、主治医の山田副院長の強固な転院反対に会って、二転三転していました。
ところが、昨日夕方突然、主治医から転院話が出され、5/1退院ということになりました。

<理由>
精神的立ち直りを期待して、時間を稼いで来たが、その見通しが立たない。
治療は方法なし。
・点滴拒否(静注ダメ)
・1ヶ月半 改善なし
このままでは、ガンでやられるよりは、脱水症状からの死が予想される・・・。

などなどでしたが、私は「何を今さら」という気持ちで、反論する気もなく、家族全員の相談通り転院に同意し、本日(5/1)夕方、新しい病院の新生病院(小布施町)に入院しました。
骨と皮だけになった徹には、新しい環境はつらいと思うけれど、緑豊かな自然の中で穏やかな時を過ごして貰いたいと思うようになりました。

新生病院は、かつては結核療養所(戦前)だったため、周囲には信じられない程の自然があり、静かなたたづまいです。
キリスト教の行事なども行われていますが、信者かどうかは関係ありません。
長野県内では「ホスピス」を開いた最初の病院です。そこで、徹は緩和ケアに入ります。

いろいろありましたが、親としてつらいことは乗り越えなければならず、こうした結論に達しました。

今後ともよろしくお願いします。

 


以上、父が知り合いの医師に宛てた手紙より、紹介しました。

ホスピスに転院前は、精神的につらい日々を過ごしていて、転院するかどうかでかなりもめました。家族もどうすることが一番良いことなのかわからず、話し合っても結論がなかなか出ませんでした。
転院した新生病院は、まわりが緑に囲まれていて、静かで落ち着いていて、ゆっくりと過ごせるところでした。徹本人は、緩和治療をしに行ったのではなく、あくまで精神的休養が欲しいと転院しました。この後精神的には大きく立ち直るも、体の中の症状は悪化をたどる一方だった。

 

戻る