いただいたメールより

 

皆さまより頂いたメール中に、徹に関係のあった人などから、思い出話やメッセージなどがありました。ぜひ紹介したいと思いましたので、ここに載せました。一部編集したり、名前を匿名にしてあるものもあります。(もし、紹介されては困るものがありましたら、ご連絡下さい)


全日本フリースタイルチーム アクロの選手より(7月17日)

私は種目が違うこともあり、なかなか森君とは接する時間が短かったのですが、私なりにいろいろ思い出はあります。
96年のワールドカップ遠征が最初で最後の遠征となってしまいました。その5、6年程前から野沢温泉に元気のいいモーグルスキーヤーが出て来たよ、ということで何回かは会ってはいましたがそんなに親しい間柄では無かった気がします。でも夏にブラッコムで会ったときや試合ですれ違うときに、いつもにこにこと笑顔で声をかけてくれるのは、森君でした。
その人なつっこい笑顔や言葉は、いつも試合で殺伐としている雰囲気や私の心を和ませてくれました。 

今年のオリンピックのモーグル会場で、そしてコンバインドのジャンプの試合後ごりゅうかんで会ったときそして全日本に出ていたときもその滑りを私は見ていましたし、二言三言言葉を交わした覚えがあります。まさかそんなに病気が進行しているとは思われないほど自然でした。いつもと変わらない、笑顔を絶やさない森君がそこにはいました。病気なんか忘れさせてしまうほどでしたから、私も記憶にとどめていなかったようです。今思うと苦しかったのだろうと思いますが、そんなことおくびにも出さ無かった森君に対し、自分の鈍感さに悲しくなります。

先日整理していたオリンピックのモーグルコースでとった写真の中に森君が写っていました。透き通るような色白でしたが、ひょうきんなしぐさはそのままでした。今度お手元にお送りします。

今年の遠征に森君がいないことは非常に残念です。かさねがさねご冥福と、残されたご家族の方の悲しみが少しでも和らぐ事を心からお祈り申し上げます。


埼玉県でモーグルをやっている人より(7月27日)

私は埼玉県在住で、4年前からモーグルを始めたものです。
一昨年のシーズンに白馬さのさかで、何度も徹さんの姿を見かけました。
長野県の堀米良樹さんにスクールで教わった際も
”今日は徹さんがきてるから、よく見て盗めるところは盗んで下さい。”とか言われて、一生懸命見てました。スゲー!!とか思いましたが、あまりにすごすぎて、何も吸収出来ませんでした。
ちょっと僕とは次元が違いすぎって感じでした。比べたら失礼かな。
それから、japana主催の大会でゲストに来ていた際も、その時は肋骨が折れているのにヘリコプターをやっててビックリしました。あと、ズートニックもかっこよかったな。ズートニックなんて、それまで全然興味なかったのに、徹さんのを見てから、僕も練習するようになったんだなあって思い出します。
その大会の際に、連れの女の子がキャーキャー言ってたら、徹さんが親切に大会テントに誘ってくれて、上村愛ちゃん達と一緒におしゃべりできて、非常に喜んでいました。
そんな訳で徹さんのことは、私たち一同(6人くらいですが)とても応援していたのですが、こんなことになるとはとても残念です。

新聞で徹さんが亡くなられた事を知ったときは、本当に衝撃的でした。それから、このホームページを見つけて、毎日チェックし続けています。身近にガン患者等が今まで居りませんでしたので、闘病記録を読んで、ガンとは本人も周りも本当につらいんだなと思いました。
また、体がぼろぼろになりながらも、それでも気丈に滑り続けた徹さんの姿に本当に感動しました。これだけつらくても、これだけがんばっている人もいるんだから、私もどんなときもあきらめず、前を向いてがんばらねば。生きるとはそういうことなのかなとか思いました。
このホームページを読んだ事で、たぶん私の人生は少なからず変わると思います。
つらいときは徹さんの事を思い出し、自分を鼓舞しながらがんばろうと思います。


埼玉県スキー連盟の人より(7月27日)

私が森徹選手が、ガンで亡くなられた、と聞いたのが、1998/7/5千葉県のザウススキ ー場での誰かの噂でした。信じられませんでした。1998シーズンの埼玉県上越国際で の公式戦に前走で凄い滑りをしていたのに・・・

私が、初めて、生の森選手を見たのが、1993-94シーズンの全日本フリースタイルス キー長野県大会(飯綱高原)の公式トレーニング中でした。このシーズン、私は、初 めてSAJ公認の大会に出場し、この大会が初めての公式戦でもありました。
公式トレーニング中、当時からナショナルチームにいた附田雄剛選手や原大虎選手な どの強い選手もいて、自分の実力のなさを痛感するとともに、レベルの高さを思い知 らされました。でも、私の中で、この時、一番凄い選手だな!と思ったのが、森徹選 手でした。というのは、以下のような強い印象が私のなかにはあるのです。
確か前日の公式トレーニング中でした。公式トレーニングも後半にさしかかり、コブ が深く削られ、特に真ん中のラインは縦ミゾの、滑ることさえ非常に難しいバーン状 況になったときでした。私は、自分の実力以上のこの真ん中のラインをよっこいしょ よっこいしょと何回かラインを外しながら、なんとか下のエアー台前までたどり着い たときでした。森選手が、もの凄いスピードで、私の立っていた第二エアー台に突っ 込んでくるのです!”
やばい!!ぶつかる!!!”(自己中心的ですが・・・自分が怪我をする!!と思い ・・・)
私は、咄嗟に頭を抱えてしまいました。
誰かが「徹!止まれ!!!」 叫びました!
森選手は何事もなかったかのように私の立っていた場所から2つくらい上のコブで止 まりました。雪煙は一つもこちらにはかかりませんでした。そして、森選手は、友人 にひとことふたことなにやら、喋ってました。私は、このとき、森選手がどんなに凄い選手かという印象が強く印象つけられるとと もに、自分が森選手のラインを妨害してしまったことに申し訳ない!って思いもしました。

これ以来、いくどとなく、森選手のでる大会に私もでてきましたが、森選手は、私に とって雲の上の存在であり続けました。森選手とは、私の方が年齢的には3歳上ですが、公認大会のデビューは確か同じか、1 年森選手のほうが、先輩という、モーグル歴的にはほとんどかわりません。ですが、森選手は私の心の中では、モーグルの師匠でした。勿論!森選手は私のことは知らないでしょう。
ですが、森選手のことはみんな知ってますし、これからもモーグルを志す者の心のな かに生き続けるでしょう!!!
森徹選手!ほんとうにどうもありがとう!!
森選手の滑りの真似は、私には一生出来ませんが、あなたのモーグルシーンは私の脳 味噌から離れません!


同じ埼玉県スキー連盟の人より(7月29日)

1995-6シーズン、森徹選手は、春、新潟県湯沢町の神立高原スキー場で行われた草大 会(神立高原モーグル大会)の第1戦にゲストとして、また、ジャッジとデモ滑走を するため、来ていました。(いまでも私のビデオに残っていますが・・・)この大会で、私は幸いなことに、予選で1位になりました。(現在、公認大会、全日 本で上位に入っている選手にも、このときは、なぜか勝てたのです。また、あとにも 先にも予選1位になったのはこのときだけです。)
この予選の時、スタート順は後半だったのですが、私は滑走後、ジャッジの前を通り ました。いまでも強く印象に残っているのですが、このジャッジの前を通る時、森徹 選手が私に向かって、笑顔で、
「今まで(滑った選手のなか)で、一番ターンがうまいよ!」
って、言われて、ちょっと、私は照れて、軽く会釈をしました。そして、徹選手が、ジャッジをしてくれたせいではないでしょうが、幸い予選で1位 になれたのです。
そして、決勝です。私にとって草大会とはいえ、初めての予選1位!でした。気合いがいつもの2倍位は いりました。僕が決勝進出者のトリでした。でも、後走と、デモ滑走を含めて森徹選 手が私の後ろにいました。
スリー!ツー!ワン!ゴー!!(森選手が私にガンバレ!って、「ゴー」のところで 声をかけてくれました。)
私は、我を忘れてました。
「折角の予選1位。絶対優勝だ!」
そして、観客も多かったので、こんな無謀なことまで考えちゃいました。
「そうだ!デモ滑走する森徹選手より、<あいつのほうがうまいぜ>って観客に言わ せて、驚かしてやろう。」って。(徹選手、敏さんごめんなさい・・・)で結果、あえなく、私はエアー台前で、失敗。半転倒・・・
森徹選手は、春のアイスバーンをいとも簡単にトリプルエアーを決めて、ギャラリー の喝采を受けてました。私はちょっと、草大会で予選1位になったくらいで ”いい気” になってました。

ごめんなさい。でも私にとっては、いい思い出です!


(7月29日)

僕は趣味でモーグルをやっている者です。
2ー3年前のリステルでの公認大会での森君の滑りは本当にすごかった。
強烈な印象で今でも残っています。森君との直接の交流はありませんが、森君がモーグルで力いっぱい滑って飛んでいた姿は、本当にたくさんの人たちを感動させてきたと思います。
同じモーグルを愛する者として、本当に残念であり、ショックです。安らかに眠ってください。 本当にありがとう。そしてお疲れ様でした。


Freestyle-ski ACROの選手より(8月6日)

徹君とは、ナショナルチームのメンバーとしてnoram,world-cupなどで一緒に遠征していました。
私は、彼の病気のことは全く知らず、先日カナダにてトレーニングしていた際に、モーグルの知人や、メールより話を聞き、ただただ驚くばかりでした。たまたま、その場に徹君を知る人達がいたもので、その夜はずっと徹君の話をし、あんなこともあったなーと思い出していました。
14日には是非とも送り出してあげたかったのですが、自分が怪我をしてしまい行くことができず、非常に心残りに思っています。

徹へ、、

こないだのシーズンは、海外でも遠征に一緒に行けるチャンスがなくて残念だったよ。だからあんまり滑りを見れなかったんだよね、、、
でも、遠征中はだれかがビデオを持っていたので見せてもらったときは、相変らずきれいなヘリを決めていて、さすがだなーって感心してたんだよ。やっぱりどんなところでも自分の持ち味であるエアーをかけて、しかも決めるのは、さすがすごいね。
夏にはさかや旅館に遊びに行くって約束してたけど、結局一緒に遊べなかったね、今度必ず時間を見つけ、会いに行こうと思ってるから。
遠征では、97年の北米ワールドカップ戦で一緒に回ったね。 あのときが一番印象に残ってるよ。 ワールドカップに上がれてよかったねー 今度からは遠征一緒だからよろしくね。なんて言っていたよね。
そのときは、PSを持ってきてて、しかもテレビのコネクターまでしっかりあって、「おれは待井さんと違ってどこでもできるようにしてあるから、まかせてくださいよ」なんて言ってたね。とくにレイクプラシッドでは、ゲームやりまくってたよね。あれで俺もうまくなったかも、、
こないだはブラッコムでたまたま、滝沢さんと知り合って君のこと話してたんだよ。薫君もいたしね。今後も遠征で酒やゲームがあったらきっと思い出すと思うし、そしたら一緒に酒でも飲もおね。
ばいばい!!


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