日本と中国(2001年8月15日号)

日・中マスコミ時評ーー靖国神社参拝問題  
《あいまいな日本では通らない》
          北海道大学大学院国際広報メデイア研究科教授 高井 潔司


 小泉首相の靖国神社参拝問題は、首相自身がきちんとした説明をしないため、迷走を続けた。
 その中で、読売新聞社説(7月27日)は消極的賛成論を展開した。朝日、毎日社説がすでに反対論を明確にしており、読売の態度如何によって世論が大きく左右されるだけに、注目されていた。
 読売社説は「『公人』『私人』で騒ぎ立てるな」という見出しを見てもわかる通り、正面からの論議を避け、参拝にゴーサインを出した。その一方で「将来的には宗教色のない国立追悼施設を設けるしかないのではないか」というから、全くの肩すかしだ。
 靖国神社問題では、首相をはじめ賛成論者はあいまいな議論で問題をかわそうとする傾向がある。首相自身「日本人の国民感情として、亡くなるとみんな仏様になる」(3日朝日3面)と宗教観の違いを挙げ参拝を正当化するが、「仏様」を「神様」で追悼するのは、日本的あいまいの典型だろう。揚げ足取りをするつもりはないが、この記事が指摘するように「小泉流循環論法」では、説得力がない。
 むしろ明快なのは産経だ。2日3面有識者の対論で、反対論の勝田吉太郎鈴鹿国際大学長は、参拝、教科書問題などの動きは、A級戦犯を罰した東京裁判を「戦勝国の復讐裁判」としてその評価を覆す動きと見る。その上で、「サンフランシスコ講和条約によって東京裁判判決を受諾した」のも、「南京だけでなく中国各地で甚大な災厄を与えた」のも厳然たる事実であり、日中国交正常化の賠償請求権放棄も東京裁判が前提になっていると指摘し、「度量の広い大国民なら互いに隣国の心理を斟酌すべきであろう」と説く。産経正論人としては珍しく責任ある議論だ。
 歴史は単なる事実の寄せ集めではない。連関しているから、一つを見直せば全体を見直す必要が生じる。都合の良い部分だけ見直すというわけにはいかない。
 31日毎日社説は大局観に立った正論だった。社説は、パウエル米国務長官の訪中で、米中関係が正常化の軌道に乗ったとし、日本も東アジア外交を再構築すべきと提唱する。「米国のアーミテージ国務副長官も、過去の問題に責任をとろうとしない日本政府の態度は受け入れがたいと疑問を投げた」と指摘し、現状では「首相の恐れる『国際的孤立』は深まるばかり」と批判する。靖国は首相の気持ちだけの問題ではない。

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