小泉−胡錦涛初会談,動き出した対日新外交
   朱建栄・東洋学園大学教授に聞く「日本と中国」(6/25号)

 この数年、経済貿易や人的交流など日中間の実務諸交流は急速に拡大する一方、歴史問題や台湾問題などをめぐり、両国政府間ではギクシャクした関係が続いてきた。そうしたなか、7ヶ月ぶりに両国首脳同士が顔を合わせた。5月31日の小泉−胡錦涛会談で、首脳相互訪問が決まった。中国新体制の発足後に初めて行われた日中首脳会談は、どんな成果があったのか。中国指導部が対日姿勢を変えた背景は何か。日中関係にくわしい東洋学園大学の朱建栄教授に聞いた。

大きな成功への第一歩に

−首脳会談の結果をどう評価しているか。 
 一言で言えば、成功だった。正確には「大きな成功への第一歩」ということだ。
「ポストイラク」の世界について、中国新指導部がどのように考えているか、世界が注目していた。それに応えるものとして、今回の胡錦涛外交の基調の一つとなったのが「新思考」だ。それは、中国はG8の一員ではないが、国際社会の共通課題について、傍観者ではなく能動的な立場で、世界主要国との対話に積極的に加わり、討議していく、というものだ。中国新指導部は対日関係をその一環として捉えている、と私は見ている。
 この数年、日中関係はモヤモヤした状態が続き、瀋陽総領事館問題のように、何か突発事件が起きると、たちまち硬直した状態に陥るということを繰り返してきた。
 胡氏は、中国の対日姿勢を表す「歴史を鑑とし、未来に向かう」(中国語は「以史為鑑、面向未来」に、「長期的な視野に立って、大局を計る」(中国語は「着眼長遠、籌謀大局」)の8文字をつけ加えて、新しいアプローチを提示した。従来の言葉は過去と将来を等分に量り、バランスをとるものだが、新たなフレーズを加えることで、「未来志向」と同時に「戦略思考」を日中関係に求めてきたとも言えよう。

方向を明確にした胡氏

 両首脳は会談で、適切な時期に首脳訪問を行うことで合意した。さらに、共に関心を持つ問題についても協議を行い、中国指導部が北朝鮮の核問題や拉致問題に関心を示したことに意義がある。
 胡氏が国家主席就任後わずか2ヶ月しかたたない時に、これほど新しい方向を、ここまではっきりと示したことは高く評価されてよい。対日関係は、国民感情もあり、指導者が一気に引っ張っていけるようなものでない。
 現実を踏まえつつ新しい方向を模索する必要がある。その意味で、今回、新たな方向への模索を堅実に行ったといえよう。

歴史問題が全てではない
−胡氏は会談で「靖国参拝」に言及しなかった。これは、歴史問題についての方針が変わったということか。それは対日政策全般の変更を意味するのか。
 歴史問題は、指導者が消そうとして消せる問題ではない。胡氏が靖国参拝問題にあえて言及しなかったからといって、日本の首相がA級戦犯を祀っている靖国神社を参拝して、日中関係が素直にそのまま進むかといえば、中国国内の事情から見て、それは難しい。
 今回、胡氏も歴史認識に触れたし、台湾問題でも注意を促した。この点は中国の指導者に変化はないと思う。しかし、今までと比べて、大きな違いが出てきた点に注目したい。
 第一は、歴史問題を、大きく広がった日中関係の一部であるとした点だ。もちろん、問題がなくなったわけではないし、局部的には問題が大きくなる可能性もある。しかし、それは日中関係の一部であって、全てでも前提でもないということだ。従来は、歴史を問題を全てに優先する日中関係の政治的基礎であり、歴史問題の解決なしには他の発展はないとしてきた。その結果、自分の手足を縛る状況をつくった。
 二つ目は、江沢民氏が歴史問題を「入口論」としたのに対し、胡氏はこの問題を、日中関係全体の発展の中で解消されていく「出口論」として扱った点だ。
 日中関係を本当の意味で「未来志向」にするには、国民感情のレベルでわだかまりを解消していく、少なくとも薄めていくことが重要だ。中国も、この問題をすべてに優先させ、無理矢理に日本に迫るというやり方では、かえって心理的、感情的な対立をつくる結果に終わってしまう。
 関係全般を改善していくなかで、日中関係の大切さと必要性を、日本の政界を含めもっと多くの人に理解してもらうことが必要だ。そうなれば、中国との関係だけではなく朝鮮半島問題などをめぐる協力においても、足を引っ張るような阻害要因は解消しなくてはいけない、或いは妥協の道を見いださないといけないという声が、自然と日本自身の中から出てくるようになる。
 日本外交は近ごろ、内向きになる傾向がある。さらに経済状況も悪いということになれば、心理的な受容能力も弱くなってくる。そういうことを配慮せずに、一方的に原理原則を強調しても、必ずしも有効な解決の方法とはならない。こういう認識が新指導部に生まれてきたのだと思う。

広がる客観的な対日認識
−新指導部の中で、そうした認識が生まれてきた背景は何か。
 昨年来、人民日報評論員の馬立誠氏や中国人民大学の時殷弘教授らが「対日関係についての新思考」という考えを発表した。この二つの文章の要点は「一方的な対日批判では建設的な結果は生まれず、それは中国自身の外交戦略と国益から見ても得策ではない」というものだ。
 こうした論文は一部偏った表現があるとして国内で異論も出ているが、公式マスメディアにそれが登場したのは、決して孤立した現象ではない。日本を過去の歴史だけで見るのではなく、日本の戦後の変化に着目すべきである。もはや日本が軍国主義復活や対外侵略を行う状況にないし、中国のこれからの発展にとって日本が重要なパートナーになる、という考えが中国社会の中で広がっている。
 中国自身も経済発展の中で自信をつけ、対日関係をもっと客観的に見ようという動きが出てきた。そうした流れの中で、この二つの文章が出てきたと見ていい。
 中国のマスメディアも変わりつつある。これまで、中国の国内報道は、歴史問題だけがクローズアップされ、日本のその他の面を知らせることが少なかった。そのことが、現在の結果につながっている面も否定できない。これから報道の自由が進む中で、胡氏が述べたように、過去の日中だけでなく、世界のなかの日中、未来志向の日中、戦略的・大局的な日中という視点が中国の中で広がっていくだろう。
 日中双方とも、プライドが高い反面、お互いにコンプレックスを抱いている。それで、相手を見るときに、過大に評価したり、過剰に反応したりする。もちろん、歴史を完全に忘れることはできないが、より冷静な対日分析という流れは今後さらに大きくなっていくと思う。

場当たり対応から積極外交へ

−胡氏の一連の首脳外交が世界の注目を集めた。WTO加盟後の中国は、これまでよりも一歩踏み出して、国際社会とくに東アジアにおける責任と役割を果たそうとしている印象を受けるが。
 WTO加盟により、中国経済の世界とのつながりは想像以上に深まった。外交面でも、この2〜3年に示された一つの流れは、二国間関係から多国間関係へ、さらに周辺地域の重視というものだ。これは安全保障の面もあるが、それ以上に、周辺諸国とWIN−WIN関係(一人勝ちではなく、共に勝つ関係)を結ばなくては、いずれは中国自身の発展に限界がくるという意識が出てきたからだ。それは、自由貿易協定(FTA)を東南アジア、さらには日本や韓国にまで提案してきたことに表れている。3〜4年前にはとても考えられなかった顕著な変化だ。
 もう一つ言えば、これまでは経済や安全保障などいろいろな問題を、分野ごとに対応してきた。ところが、この数年の間に、日本が80年代初めに唱えていた「総合安全保障」という考えに近い、つまり、「ただ自分を守るためだけではなく、地域全体の安全を考える、経済発展があってこその安全保障、信頼醸成や国際協調を通じて安保を求める」という意識が出てきた。これが中国で言われる「新安全保障観」であり「総合安保」という考え方だ。
 今回の胡錦涛新体制の特徴の一つは、これまでのような、原則を掲げながらも情勢に動かされて場当たり的な対応をするという受動的な姿勢から、自分の考えを自ら進んで世界にPRし、行動するという能動的な姿勢に変わってきたということだ。
 もう一つの特徴は、外部の目と、世界における自分の責任をはっきりと意識するようになったことだ。
 今年4月に温家宝首相がASEAN諸国とのSARS国際会議に出席した。各国から責められると思われたが、結果は意外に好評だった。温首相は、中国の対応に不備と認識不足があったと率直に語り、これからどのように各国と協調していくか、自らの考えをはっきり述べた。こうした自分の責任を果たすという姿勢が評価された。
 これは、今までの中国外交にはあまりなった面だ。共通の問題を建設的に討議し、周囲が理解できる形で積極的に行動するとい姿勢が出てきた。

先入観を捨て相手を理解
−これからの日中交流の中で、どういう点に気を配って関係構築を進めていくべきか。
 今起きている新しい動きを一つの変化と捉えると同時に、現在の局面を日中関係の発展過程の一つの段階と理解することが必要だ。
 国交正常化当時、日中交流に携わっていたのは、外交官や政治家、一部の商社にすぎず、民間人同士の交流や相互理解はきわめて限られていた。
 しかし、日中関係はいまや2000年の交流史上、はじめての「国民同士の対話の時代」になった。その中で、以前には考えられなかったほど深い関係が築かれた。昨年、両国の貿易額は1000億ドルを超えた。いままで世界で1000億ドル台の貿易額に達した二国関係は日・米、米・加、米・墨(メキシコ)、仏・独の4組にすぎない。日・中が5組目になったということは、両国関係がまさに運命共同体になったことを意味するものだ。
 これほど関係が深くなった両国だが、その反面、人間同士の付き合いは希薄で、相手への理解不足が目立つ。
 日本人が中国について知っているのは、三国志とか、周恩来は偉かったとか、孔子の論語とかであり、多民族国家で発展途上国でもある中国の実像はあまり知られていない。また中国人にも、日本人は漢字を使っているから我々と全く同じだ、といった誤解がある。
 つまり、心の準備不足のまま、相手との付き合いが始まった。しかも、いきなりこれほど至近距離の関係になると、恋愛時代のように、相手にいい格好を見せるだけではすまない。運命共同体というのは、例えれば夫婦の関係で、一緒に暮らすうちには隠れていた相手の欠点も目についてくるものだ。日中間の最大の問題は、お互いに表面的には似ているところが多いため、無意識のうちに自分のモノサシを当てて相手を見てしまうことだ。だから、距離的には近い中国と日本あるいは韓国も含めて、お互いの間の心理的距離は遠いということになる。
 この点から見ると、日中関係がさらに発展する上で、現在はたいへん重要な第二段階にあるといえる。
 したがって、日中友好協会が求められる役割は大きいと言える。
 第一に、日中関係がもはや国交正常化当時のように、政治や政略などではなく、双方の共通利益と共同責任で結ばれていることを理解することだ。
 第二に、先入観を排除し、相手の社会や心理、発展段階を客観的に理解するよう努めることが大切だ。
 第三に、問題をただ言いっぱなしにするのではなく、どうやって問題を乗り越えていくのか、どうすればよいかを建設的に考え、提案することが重要だ。
 中国の弁護でも日本の弁護でもなく、民間交流の中で起こる様々な問題をどのように解決すればよいのかとうい積極的な討論や議論があっていいのではないか。
 まとめて言えば、日中関係の大切さを互いに理解しあい、先入観をまじえずに相互尊重と相互理解をいかに深めるか、さらに、さまざまな問題を未来志向的に建設的に乗り越えていく方法をどのように模索していくのか。とくに、日本のなかで社会的な裾野がいちばん広い、友好の架け橋である日中友好協会と『日本と中国』紙に心から期待したい。


TOP