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佐久日中友好協会 佐久市臼田2016(中沢道保) TEL0267-82-2484 |
長野県日中友好協会のホームページ |
| 三石忠勇さんの逝去を悼む(9/16) 2025 開拓団の悲惨な逃避行体験描く 満蒙開拓団の悲惨な逃避行の体験を素描と心にひびく本格絵画に描かれ、また詳細な体験記を発表された三石忠勇さんが、9月11日逝去されました。享年93歳でした。三石さんの作品は、『受難の記録』として発刊されています。三石さんは、「あまりに悲惨な辛い体験を風化させること無く、多くの皆さんに知っていただくには、当時記録するすべも無い中で、絵として残そうと情熱を傾け制作に励んだ」と述べています。 2006年の8月には、信濃教育会館において「満蒙開拓を考える絵画展と語り部の集い」が開催され、『受難の記録』に収められた作品が展示され、深い印象を与え感動を呼びました。(県日中友好協会・信濃教育会・県開拓自興会共催)*下記参照 三石さんの逝去を悼み、長野県日中友好協会は西堀正司会長名の弔電を送り、生前の日中友好、平和友好へのご貢献に感謝し、ご冥福を祈りました。 「御尊父様のご逝去を心よりお悔やみ申し上げます。 三石さんは佐久日中友好協会会員としても、帰国者支援活動はじめ友好活動に積極的に参加されました。9月16日の葬儀告別式には中澤道保・佐久日中会長はじめ関係者が弔問しご冥福をお祈りしました。 (資料)満州開拓を考える絵画展と語り部のつどい開かれる(2006.8/6) 長野県日中友好協会創立50周年を記念して満州開拓を考える絵画展と語り部のつどいが8月6日、信濃教育会館において信濃教育会、県開拓自興会との共催で開催されました。まず絵画展のテープカットが、おこなわれ、主催者を代表して神田忠亥県開拓自興会会長が「三石忠勇さんの『受難の記録』絵画展は開拓団の悲惨な逃避行を克明に描いた貴重な記録であり、戦争の悲惨さと平和の尊さを次世代に伝える格好の教材になる」と語り、「当時の軍部は、主力を南下させ、その補充に開拓団や青少年義勇隊員を召集し、更にソ連参戦の情報は何も知らせず戦略地帯に逃げ込もうとする棄民戦略をとった。その結果犠牲を多くし悲惨な逃避行となった。批判をすれば非国民とされた戦時体制下の国民はお上の指示に従わざるをえなかった。多くの犠牲を強いて塗炭の苦しみにした責任は誰が取るのかといえば、軍国主義者たちであることは明白」と訴えました。合わせて「中国は軍の手先でもあった開拓団関係者に対し『あなた方も犠牲者だ、軍国主義分子と日本人民を区別し、友好対応する』と言ってくれた」と述べ、日中の平和友好と不再戦の決意を語りました。 三石さんはあまりに悲惨な辛い体験を風化させること無く、多くの皆さんに知っていただくには、当時記録するすべも無い中で、絵として残そうと情熱を傾け制作に励んだ様子を紹介しました。会場に展示された51点の大作は見る人の心をつかんで離さない強烈なインパクトがありました。 引き続いて、講堂において170名の参加のもと、体験者による語り部のつどいが開かれました。井出正一県日中友好協会会長は「長野県日中のスタートは、開拓団の歴史と切り離せない。関係者のご協力により協会50周年にふさわしい取り組みができた。思い出すのも辛い悲惨な開拓団について語り始めた皆さんの勇気に敬意を表し歴史を正しく認識する機会としたい」と述べました。 牛越充信濃教育会会長は、戦中の青少年義勇軍派遣の歴史と戦後それを反省して、教育会が様々な努力をしてきたことにふれ、特に26次にわたって県教育者訪中団を派遣し開拓団犠牲者が葬られている方正県の日本人公墓をお参りし、平和の尊さを心に刻んできた取り組みなどを紹介しました。 続いて、中島千鶴さん(74泰阜村出身)が中国残留婦人の名を背負ってとのテーマで、悲惨な逃避行のことや、現地に1人残って望郷の念に駆られたこと、永住帰国後も子どもたちが言葉や習慣の違いで不自由したことなど切々と語りました。 また永原今朝男さん(76歳信濃町出身)は厳冬の収容所で多くの避難民が次々と倒れ亡くなって行く中で自身も九死に一生を得た極限の状態を語り、戦争を二度と繰り返してはならないと訴えました。2名の体験者の話に、参加者は水を打ったように耳を澄ませて聞き入っていました。その後西堀正司県日中理事長がコーディネーターをつとめて2人の体験発表者と小林澄男・信濃教育会館館長代理、寺沢秀文・飯田日中副理事長を交えてパネルディスカッションがおこなわれました。参加者の胸に深い思いを刻んだ意義深いつどいとなりました。 |
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| 中国留学生生をホームステイで受け入れ・交流2024
「3日間の至れり尽くせりのお世話に感謝します。今回長野の方たちと知り合いになれたことに感謝します。とても楽しくとても親切にしていただきました。私の故郷に戻ったような気持ちになりました。今度また白樺*を見に行きます。」 〇ホスト家庭:吉田敬子さん宅(佐久穂町) 〇中国留学生女性2名: ・叶楊莉(ヨウヨウリ)安徽省 国立国際医療研究センター (叶=葉) ・劉馨漩(リュウケイセン)湖北省 東京大学 〇日程: 7/23
佐久平駅出迎ー佐久市長表敬―臼田・井出家訪問(橘倉酒造・不重来館)-吉田敬子宅 7/24
八千穂高原(白駒の池・八峰の湯・松原湖・布施宅)―歓迎会(レモン) 7/25
新海神社―蕃松院―五稜郭ー昼食会(花月)-旧中込学校―佐久平駅見送り |
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『北国之春』の出版に想う(1/1)2023 佐久日中友好協会 会長 中澤道保 井出はく作詞、遠藤実作曲の「北国の春」は、国民的愛唱歌として、またアジア諸国でもそれぞれの言語に訳されて人々の心をつかみ、中国でも多くの人に歌われ愛されてきた。井出はく氏の故郷、信州佐久の南牧村の早春の情景を描いたものであることをもっと多くの人に知ってほしいと願う一人だ。このほど、作詞家の井出はく(博正)氏とご子息で新鋭画家の井出新二氏父子が共同して「北国の春」の舞台・佐久の情景をバックに信州の四季を描いた絵本『北国之春』が中国語で刊行された。多くの人にほのぼのとした感動を与え、日中相互理解促進の一助になるものと期待されている。 佐久では、7月に柳田清二佐久市長も参加して佐久市と江門市とのオンライン交流会が行われた。今後の進展に期待したい。10月に井出亜夫氏(国際善隣協会諮問委員・故井出正一会長の弟)が「日中交流の過去・現在・未来」と題し講演した。国交正常化の基礎を作った先人たちの事績を紹介され意義深かった。佐久市臼田の「不重来館」の館主でもあるので、お声がけいただければお役に立てるのではないかと思う。ともに故井出会長の友好の志をつないでいきたいと思う。 |
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| 佐久市、広東省江門市とWeb交流会議(7/29)2022 当日は、佐久市側から、柳田清二市長、平山秘書課長、荻原移住交流課長、江門市側から、趙暁斌外事局長、黎志剛副局長、葛欣東京事務所代表らが出席し、県日中友好協会から布施正幸副会長が同席しました。中澤道保佐久市日中友好協会会長から祝賀メッセージをいただきました。 趙江門市外事局長は「日中国交正常化50周年にあたり、佐久市との交流を深めたい」とあいさつし、江門市が480万の人口を抱え、香港、マカオに近接する発展地で、華僑の故郷と言われ、対外交流を積極的に進めていることを紹介し、工業、観光、医療、大学等の方面の交流を深めていきたいと述べました。 これに応え、柳田市長は、50周年を祝うとともに、「Webであってもこうして交流できることをうれしく思う。県議の時に3度中国を訪問したがスケールの大きさを実感した。佐久市は東京から新幹線で70分のところに位置しており、工業、農業、観光、医療等魅力あふれる都市」 と紹介しました。 続いて、ビデオ映像で両市の紹介が行われました。珠江デルタ地帯に隣接する江門市が近年目覚ましい発展を遂げている様子や、望楼などの世界遺産を有することが映像から知ることができました。また佐久市が風光明媚な自然環境に囲まれ、産業の発展と健康長寿都市を目指している様子などが紹介されました。 意見交換では双方の関心のある工業、医療、観光などの方面で交流を希望しているとの江門市の提案に対し賛同の意思表示がされるなど有意義な時間をもつことができました。 同席した、布施副会長は、コロナ禍にあっても両市がこのように交流し、相互理解を深め友好関係を深めていくことをうれしく思い今後に期待したいと述べました。 |
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| 佐久で中国帰国者との交流会140人が集う(11/23)2014 中沢道保佐久日中友好協会会長は、帰国者の皆さんが言葉と習慣の壁を乗り越え頑張って生活していることに敬意を表し、今日は1日楽しく交流してくださいと激励しました。布施正幸県日中事務局長は帰国者一世の配偶者への支援体制が今秋から整備されたことを紹介しながら一世の皆さんが幸せな老後を過ごすためにも二世の皆さん三世の皆さんが安心して働き元気に学校に通えることが不可欠で友好協会としても地域の皆さんとともに努力していきたいと述べました。 帰国者を代表して1974年に第1陣で帰国した神津よしさん(86歳=佐久市)が年はとっても元気に生活している様子を紹介し、交流会を楽しみに参加させてもらったと語りました。 来賓として、柳田清二佐久市長(代理/坂戸千代子社会福祉部長)、井出庸生衆議院議員、木内均衆議院議員(代理)、今井正子県議、桃井進県議、吉岡徹市議、朱丹陽・中国国際放送局長野孔子学堂代表らがそれぞれの立場から激励のあいさつをしました。上田、小諸、軽井沢の日中友好協会の役員も参加し交流しました。小林良清佐久保健福祉事務所長の音頭で乾杯し懇親交流会に入りました。ホテル一萬里の畠山社長も大日向村開拓団の生き残りで、自らの悲惨な逃避行の体験を話しました。今回の催しに際して、協力を惜しまず、おいしい料理を提供していただきました。 久しぶりに再会した帰国者の皆さんは懐かしく語り合い交流していました。続いて、みんなで楽しむビンゴゲームです。山のように用意された景品は、友好協会会員のみなさんが協力して提供していただいたものです。続いて古崎グループによる軽音楽の演奏、中国語学習グループによる「故郷」「夜来香」の合唱が披露されました。更にカラオケにあわせてのど自慢の皆さんが日本の歌、中国の歌を披露しました。最後に全員で佐久出身の井出はくさんが作詞した郷土の歌「北国の春」を全員で合唱して終了となりました。 参加した帰国者の皆さんは「大変楽しかった。今後も参加したい」と語っていました。佐久日中の花岡茂理事長は今後ともこのような交流機会を持って帰国者支援にとりくんでいきたいと語りました。 |
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佐久で中国帰国者等との春節交流会(2/24)2013 佐久日中友好協会(井出正一会長)は2月24日、佐久市内のホテル一萬里ゴールデンセンチュリーにおいて佐久中国帰国者等との交流会を開催をしました。佐久地域に住む帰国者とその家族らと日中友好協会会員ら約140名が出席しました。冒頭のあいさつの中で、井出会長は「昨年は日中国交正常化40周年の記念すべき年であったが、尖閣諸島を巡る対立が生まれ残念なことに日中関係がぎくしゃくし心配している。国と国は対立しても民間での友好はしっかりしていかなくてはならない。日中両国民は冷静にこの現実を理解し解決に向けて行動していきたい。両国の文化を理解できる帰国者の皆さんが架け橋になって欲しい」と述べました。 帰国者を代表して、金井徳義さんは「佐久でこのような交流の機会がたくさんもたれるようお願いしたい。私は、日中の友好が代々続くよう祈っています」と結ばれました。 来賓のごあいさつで、柳田清二佐久市長が県議時代の訪中談を披露しながら「佐久平に住む中国帰国者や花嫁さん等との交流の窓口を大きく広げ協力していきたい」と話されました。また昨年暮れの総選挙で初当選された、木内均(自民)、井出庸生(みんな)両代議士が出席、両氏とも今後の日中関係の重要性を訴え、特に民間の信頼厚い友好協会に期待するというごあいさつがありました。 佐久保険福祉事務所の小林一司所長の発声で乾杯し宴会に入りました。”日本語と中国語の頭を使ったクイズなぞなぞ”、”みんなで楽しむビンゴゲーム”、”飛び入り歓迎カラオケ大会”など次々と企画されていて賑やかに会場も盛り上がり、子供も大人も楽しみました。協会員や後援者から景品が多数寄せられ、特に押絵羽子板が目玉となり、あたった人は、喜びも倍化したようでした。フィナーレに全員で「北国の春」を合唱し、お開きとなりました。帰りにはホテルのご好意で温泉に無料入浴でき、ゆっくり温まり家路に着きました。 |
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中国杭州雑技団が佐久と長野で公演、大好評でした(7/20・24)2012 日中国交正常化40周年を記念して、佐久と長野で中国杭州雑技団公演がおこなわれました。佐久公演は7月24日佐久コスモ文化ホールで行われ、800人ほどの市民が熱演に見入りました。開演に先立って、井出正一会長が公演を通じて日中文化交流と相互理解が深まるよう期待しますとあいさつしました。 国際的な賞を獲得した超絶の離れ技とまばゆいばかりの華麗な演技があいまって見る人の心を揺さぶり感動を与えてくれました。世代を越えてファンタスティック・ドリームの世界に引き込まれ、ため息と、大きな拍手が起きていました。「素晴らしい演技で本当に感動しました」と感想を語りながら帰って行く観客の皆さんを、実行委員会スタッフも嬉しく見送りました。 長野公演は7月20日、長野ホクト文化会館で行われました。1000人ほどの市民が来場し、華やかでアクロバティックな舞台に見入りました。 今回の取り組みは、日中友好協会とSBC信越放送が共催で行われました。テレビコマーシャルを見て申し込んできた方もおおぜいいました。 |
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| 第13回日中友好交流会議と貴州の旅(5/23~30)2012
「天に3日の晴れ無し、地に3里の平地無し、民に3分の銀無し」と言われた貴州省は中国で最も貧しい省といわれてきたそうです。しかし、高速道路をはじめ交通網の整備が進み大きな転換期を迎えていました。 貴州省はなかなか魅力的なところでした。中国共産党が長征途上毛沢東の指導権を確立した遵義会議の旧蹟、茅台酒の故郷仁懐、そして雄大な貴州の自然を代表する安順の黄果樹の大瀑布、日本に稲作を伝えたといわれる苗族の一大集落西江苗寨などがあります。高床式入母屋作りの堂々たる木造の建物は、この民族の華麗な民族衣装とあいまって見る人の心をひき付けます。案内いただいた姚武強さんに幅広く深く貴州省の魅力を紹介していただいたことも幸いでした。またゆっくり訪ねたいところです。 |
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佐久で中国帰国者交流会開催(4/1)2012 佐久日中友好協会は4月1日、佐久市内のホテル一萬里において佐久中国帰国者との交流会を開きました。佐久平地域の帰国者家族や友好協会会員、市民ら120人が参加し、楽しい交流の1日を過ごしました。井出正一佐久日中友好協会会長は、流暢な中国語で自己紹介した後、帰国者の皆さんが言葉と習慣の壁を乗り越え頑張って生活していることに敬意を表し、地域ぐるみの支援交流に努めていきたいと述べ、また日中友好の架け橋としても活躍されるよう激励しました。帰国者を代表して1974年に第1陣で帰国した神津よしさん(85歳=佐久市)が年はとっても元気に生活している様子を紹介し、交流会を楽しみに参加させてもらったと語りました。来賓として、柳田清二佐久市長、布施正幸県日中事務局長、鄧徳花・中国国際放送局長野ラジオ孔子学堂代表、今井正子県議、佐々木治夫小諸市日中会長らがそれぞれの立場から激励のあいさつをしました。片岡正夫佐久保険福祉事務所福祉課長の音頭で乾杯し懇親交流会に入りました。ホテル一萬里の畠山社長も悲惨な逃避行体験者で、今回の催しに際して、協力を惜しまず、おいしい料理を提供していただきました。 久しぶりに再会したメンバーもおり懐かしく語り合っていました。続いていよいよお楽しみなぞなぞクイズ、みんなで楽しむビンゴゲーム、カラオケの時間です。山のように用意された景品は、友好協会会員のみなさんが協力して提供していただいたものです。「手紙」「娘」「汽車」・・日本語と中国語は意味が違います、分かりますか?元気に手を上げて答える様子に拍手が起こります。ビンゴゲームは相変わらずみんな熱くなります。景品を獲得して皆さん満足そうでした。最後に当たらなかった人にも景品が贈られ、役員に感謝の拍手が起きました。カラオケにあわせてのど自慢の皆さんが日本の歌、中国の歌を披露しました。最後に全員で佐久出身の井出はくさんが作詞した郷土の歌「北国の春」を全員で合唱して終了となりました。 参加した帰国者の皆さんは「大変楽しかった。今後も参加したい」と語っていました。佐久日中の花岡茂理事長はこれを契機に臼田日中時代にとりくんでいた交流会や日本語教室を復活させとりくんでいきたいと語っていました。 |
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佐久日中友好協会が誕生(6/4)2011年 佐久日中友好協会の設立総会が6月4日佐久市野沢会館で開かれました。80人あまりが出席し経過報告のあと規約を決定し、役員を選出、事業計画と予算などを承認し140名余の会員参加のもとスタートを切りました。発起人を代表してあいさつに立った井出正一氏(旧臼田日中会長)は「臼田や望月浅科などが旧佐久市に合併して新しい佐久市が誕生して5年が経過し、この間臼田日中と、佐久市日中(休眠)が並存するかたちで歩んできたが、佐久市全体の再活性化を目指して佐久日中友好協会の設立準備が進められてきた。日中友好協会は新中国誕生のときから日中不再戦、平和友好を掲げて全国の心ある人々によって結成され種々の困難にめげず歩み続けてきた。現在は1万4千人の会員がおり、長野県内には1800人余の会員が参加している。両国は互いに戦略的互恵関係を確認し交流を深めている。中国とは好き嫌いではなく正面から向かい合い付き合っていかなければならない。佐久日中友好協会の設立を機に地域に根ざした友好交流をすすめて行きたい」と述べました。 新役員として、会長に井出正一、会長代行に中沢道保、副会長に田島弘・荻原新七・宮森武久、理事長に花岡茂、事務局長に水間正久の各氏らを選びました。来賓として、柳田清二・佐久市長、西堀正司・県日中理事長、中澤兵衛・市会議長、今井まさ子・桃井進・両県議らが出席し祝辞を述べました。また総会に先立って満蒙開拓団の悲惨な逃避行を体験した中島多鶴さんが語り部として講演し平和の大切さを訴えました。 |
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臼田日中・「春節をともに祝う会」開催(2/11) 中国のお正月「春節」をお祝いして、臼田日中友好協会(井出正一会長)は、2月11日、佐久市臼田の総合福祉センターあいとぴあにおいて、恒例の「春節をともに祝う会」を開きました。臼田日中友好協会の役員・会員、日本語教室の関係者、佐久在住の帰国者や中国からの花嫁さんら70名が参加しました。 井出会長は、日中関係が好転してきている中で、帰国者の皆さんにとって良い一年になることを祈念しながら、政府の帰国者援護の特別措置を早急に実現するように訴えました。帰国者お手製のおいしい中国料理と水餃子をいただきながら交流会が和やかにおこなわれました。日本語教室で学ぶ皆さんで「故郷」、「北国の春」を合唱、頭を使ったクイズゲーム、みんなで楽しむビンゴゲーム、のど自慢など楽しい3時間でした。 |
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