産経新聞の連載が意図するもの

西堀正司:(社)日中友好協会常務理事
『日本と中国』2001年4月5日号掲載

★日中関係は大発展
 昨年は、20世紀最後の年であり、日中関係が大きく前進した年であった。ギクシャクしていた関係も、様々な人の努力によって、調整と改革が行われ、素晴らしい友好の1年となった。
 日中国交正常化時と現在を比較すると、貿易額は年間10億ドルから850億ドルへと伸び、人的交流は年9000人から220万人へと拡大。文化交流も豊富・多彩な内容を持つようになり、日中関係はいわば、大発展をとげた。一方我が協会は、創立50周年を機に、社団法人としての体制を整えた。
★両国の先人の努力 
  しかし、この半世紀は、様々な困難を伴っていた。故内山完造先生(初代理事長)をはじめ、先人の努力がこの50年の歴史を刻んでいる。故松本治一郎氏、故黒田寿夫氏、故宇都宮徳馬氏は会長として、命懸けで民間交流を進めてきた。
  これら指導者の功績は、永遠に記憶されるだろう。日本の将来を考え、日中両国の平和と友好の、まさに21世紀への布石を打ってくれたのである。先人の努力は我が協会の財産であり、ひいては日本の財産である。
  また中国でも、故周恩来氏、故郭抹若氏、故廖承志氏、故孫平化氏はじめ、留日経験のある人々が、両国の友好のために、その生涯を捧げてくれた。ただ単に、今日の両国が存在しているのではない。両国国民の努力なくして、今日の発展はなかったのである。このような歴史を知らないものが、歴史を批判することはできない。
★会員はボランテイア
  平山郁夫会長は、第4代として健康に問題ありとしながらも(広島被爆)、世界の文化交流と平和のために東奔西走されている。この事は日本国民ばかりでなく、世界の良識ある人々なら皆知っていることである。
  我が協会は、各人がボランテイアとして、全国各地で毎月会費を支払って、会を支えている。日本では、ボランテイアの歴史は短いが、我が協会はそれで半世紀の歴史を創ってきた。だから協会は、日中関係がギクシャクするのをなんとしても修復したい、と考えているわけである。
  幸い昨年は、5月に江沢民国家主席が、日中関係の重要性を強調する講話を発表。また朱鎔基総理の訪日活動による成果があった。このような中で、協会創立50周年北京大交流が開催された。平山郁夫会長も、人民大会堂の日中両国友人2000人の前で、21世紀を日中友好の世紀にするための挨拶をしたのである。
★産経新聞の連載
  そこに、古森義久氏も、取材で同席していたと思われる。その直後の10月23日から産経新聞に、「日中再考 以って非なる隣人@」を執筆した。
  第2部の独善的原稿は、今年の2月6日から掲載された。こんな原稿を書く記者も記者と思っていたが、やはり北京に滞在することができず、アメリカへ行ってしまった。
  第3部は、2月27日から始まった。内容は主に、歴史に関するものだった。日中友好に対する総攻撃である。古森氏が歴史について書くとは、何とも滑稽である。
★古森氏のねらい
  古森氏の本性と目的は、回を重ねることに明らかになってきた。古森氏は大勢の人々の努力によって発展している日中関係に危機感を持ち、何とかそれを阻止したいと考えているようだ。
  日中共同声明、日中平和友好条約、日中共同宣言、そして今年の日中民間交流宣言。これらは、日中両国友好の憲法とも言うべき成果である。この両国民の努力によって達成された成果に、古森氏が何本の毒矢を打ち込もうとも、問題にもならないだろう。
  日中間は現在、友好の発展が主流である。ただ古森氏の原稿は、最近の歴史教科書問題や一部政治家の反中活動には、一定の慰みになっているのかもしれない。我々会員は以前にもまして古森氏に言おうではないか。まじめで公正な記事を書くように、と。
  日中両国国民は、相互信頼と相互理解、相互尊重、相互学習という友好活動を続けて、この21世紀にはアジアの平和と世界の平和に貢献することができると、確信している。


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