[つくる会」の「”新しい”歴史教科書」を笑う
−−「この教科書では、他の民族と共存し、対話し、たくましく国際社会に参画していく日本人を育てられない」−−


 「新しい歴史教科書をつくる会」の中学歴史教科書が検定を通過した。国内の多くの歴史学者や文化人らの批判と反対、中国・韓国・アジア諸国からの批判と非難の声を無視して自国の内部の都合だけで押しとうした結果について日本の国際的評価はどうなったのか、国民一人一人が考えていかなくてはならなくなった。この問題について当事者のサンケイ新聞は喜びの記事を特集し、朝日新聞は批判の中にも「つくる会」会長の寄稿も載せたりしてバランスに腐心していた。4月5日付け朝日の「日本@世界」欄に載った船橋洋一氏(朝日新聞コラムニスト)の「近隣条項より国益条項を」は「つくる会」教科書の問題点をもっとも鋭く批判した内容だと思われるので、ここに紹介させていただく。船橋氏は、「次の世代に日本のよさとともに日本の失敗の教訓をも正確に教えることが、正しい歴史認識を持ち、自らを冷静に省察し、他国民から信頼される国民を育てていく糧になる。そうして生まれる国民の雅量こそが長期的な国益と世界に通用する指導力を育む泉となる」と指摘している。ドイツの徹底したナチス批判と被害者保証、アメリカの戦時における日系人収容に対する保証は民主主義の健全さを証明し世界の国々から賞賛されている。「つくる会」の「”新しい”歴史教科書」は、日本を「恥知らずな国」、「未熟な国」との評価を国際社会に撒き散らす結果となるだろう。まさに「この教科書では、他の民族と共存し、対話し、たくましく国際社会に参画していく日本人を育てられない」。この歴史教科書にNOを突きつけよう。

  <近隣条項より国益条項を>

                            船橋洋一氏(朝日新聞コラムニスト)


 文部科学省は3日、「新しい歴史教科書をつくる会」主導の中学校歴史教科書を137項目の修正を施した上で検定、合格させた。
 意見箇所をいくつか例示的に挙げると、次のようである。
 「日本の満州領有化」
 日本の満州領有化が、主として中国側の動きによって引き起こされたかのように誤解するおそれ・・・
 「対米開戦」
 交渉に臨んだ日本側の態度についての記述がなく、ハル・ノートの提出によって日本が対米開戦に追い込まれたように誤解するおそれ・・・
 「アジア・アフリカの独立」
 日本の緒戦の勝利がアフリカの人々の独立運動に影響を与えたことを裏付ける資料的根拠がなく、不正確・・・
     *****
 1930年代の世界のブロック経済化で日本製品を締め出す「こうした仕打ち」によって日本は満州領有化へと向かったとか、日中戦争後の「翻弄される日本」とかの、受動形の表現が出てくる。修正後も、真珠湾攻撃のくだりはそれが奇襲だったことは触れていない。
 この教科書の記述には、近現代の日本の歴史を弱肉強食的な世界権力政治の被害者の立場に置いたような、いわば"いじめられっ子"の強迫観念が感じられる。修正されたものの、そうした暗いいじけた被害者史観の歯型は残ったままだ。
 同時に、ここでは決定的瞬間に立ち至った過程、その中での日本の政治指導者の責任、国益が組織益に簒奪される政策決定過程の問題、外交の不在、外に向けての表現力、発信力の欠如、苛烈な国際社会で生きていく術とそれに対する国民教育の不足、などの検証と記述がほとんどない。
 次の世代に日本のよさとともに日本の失敗の教訓をも正確に教えることが、正しい歴史認識をを持ち、自らを冷静に省察し、他国民から信頼される国民を育てていく糧になる。そうして生まれる国民の雅量こそが長期的な国益と世界に通用する指導力をはぐくむ泉となるはずなのだ。教科書はいまのプライドのためではなく、次の世代の未来のために書かれるものでなければならない。
 90年代の日本の金融・経済政策の失敗を振り返るとき、日本の弱さを改めて私たちは反省する必要があると思う。失敗したとき、その失敗の原因を徹底的に突き止め、できるだけ早く「損切り」し、代案に切り替える、つまり自らを裁き、新たに出直すこと−−のできない弱さである。
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 私が心配するのは、こうした教科書で育てられれば、次代の日本人は被害者意識の強い、内向きの、切れやすい日本人になりはしないかということだ。他の民族と共存し、対話し、たくましく国際社会に参画していく日本人が今後、ますます必要だというのに。
 今回は米国内でも不信感と不快感が表明されつつある。
 「これらの細かい記述はそれぞれは大したことはなくとも、それが全体として重なると、日本はアジアが必要としているリーダーシップの役割を果たすにはまだ未熟であるとの印象を受ける」とウォールストリート・ジャーナル紙は社説(3月21日付)で書いた。
 「未熟」という表現に、日本にアジア太平洋でのより大きな役割を期待しながら、それがこうした問題で思うようにいかない米国の失望感がにじむ。
 要は日本が歴史問題にどう取り組むかという課題にほかならない。それも、世界とアジアでの日本の役割を含む国益の観点から、過去と改めて対決し、それを克服する「過去克服政策」とも言うべき公共政策が必要である。歴史教科書問題もその一環としてとらえていくべきものであろう。
 この歴史教科書の記述にはこうした国益の視点が驚くほど希薄である。それが国益を守るかどうか、国益を損なわないかどうかという戦略的反射神経が働いていない。検定に当たっては「近隣諸国条項」に基づく中国、韓国との関係配慮も大切だが、それは何よりも日本の開かれた国益上、重要なのである。
 昔の日本に大甘な歴史教科書の記述に比べると、やはり同グループの主導の公民教科書は今の日本を取り上げて、なかなかの辛口である。
 いいことも書いてある。
 「日本の役割は私的な感情ではなく、公的な国益から考えなければならない。」
 この歴史教科書にもっとも欠けているのは、この「公的な国益」の観点である。

                                       (4月5日付け朝日新聞「日本@世界」より)


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