「"内政干渉"は議論のすりかえ」
                           −−隅谷三喜男・東大名誉教授に聞く

 「新しい歴史教科書をつくる会」の主導で編集され、検定中の中学歴史教科書について、アジア各国から強い懸念が表明されている。2月28日、李廷彬韓国外相が寺田輝介・駐韓国大使に「憂慮している」との韓国政府の考えを伝えたのに続いて、3月2日には中国の王毅外務次官が野本佳夫・駐中国臨時大使に対し、「侵略を美化している」と懸念を表明し、日本政府が検定を阻むよう強く求めた。2月27日に「日本のあり方を誤る歴史教科書に反対する声明」を発表した隅谷三喜男・東京大学名誉教授に話を聞いた。

■このほど「つくる会」歴史教科書に反対する声明を出されましたが。
 この歴史教科書が検定に合格するようなことがあれば日本は大変なことになるという強い危惧感をもっています。一部の皇国史観の歴史観をもつ人たちが、在野で出版活動をすることは、ある種の言論の自由ともいえますが、そうした歴史観に立つ教科書を行政が認定することになれば日本の国家としての問題であり、大きな外交問題になると思われます。

■この教科書の問題点はどこにあると考えますか。
 最大の問題は、世上に流布した白表紙本で見るかぎり、この教科書が従来の教科書とは全く異なり、誤った歴史観に立脚して、日本の植民地支配と侵略を美化し、いわゆる「大東亜共栄圏」を賛美していることです。
 例えば、「韓国併合」については、「朝鮮半島は日本に絶えず突きつけられている凶器」となりかねず「日本の安全と満州の権益を防衛するのに必要であったが、経済的にも政治的にも・・・利益をもたらさなかった」「(併合は)国際関係の原則にのっとり、合法的に行われた」などとし、甚だ歴史的事実に反しています。かつて朝鮮を日本の支配下においたことを当然とみなすことは、韓国・朝鮮の人々にすればたいへんな侮辱と映るでしょう。慰安婦や強制連行など、日本が朝鮮半島を植民地とし、人々の人権を無視していた実態には一切触れていないばかりでなく、当時の朝鮮の人たちが行った抵抗をも無視しています。
 中国への侵略については「満州国は、中国大陸において初めて近代的な法治国家を目指した。五族協和、王道楽土建設をスローガンに、満州国は急速な経済成長を遂げた」などと満州侵略を完全に正当化し、美化しています。
 要するにこの教科書は、日本の戦争がアジアの諸国民に損害と苦痛を与えたことに対する反省と謝罪の気持ちがひとかけらもありません。すべては過去の美化、肯定、正当化だけです。

■中国や韓国が懸念を表明していることに内政干渉という声がありますが。
 いま申し上げたように、この教科書の内容は外交の視点から見ても大きな問題を含んでいます。中国や韓国が批判するのは、両国の国民感情を考えれば当然でしょう。それを内政干渉だなどというのは、実体的な中身を棚上げした、すりかえの議論です。自分が間違ったことをしても、それを謝ったら「自虐」だなどというのは、屁理屈にすぎません。間違ったことをしたら「済みません」というのは国際社会でも国内でも同じです。

■文部科学省は、修正に応じれば合格させる方針だと伝えられていますが。
 「つくる会」側は当初から検定段階での修正意見には極力応じ、まず検定合格教科書として実績をつくる考えだといわれてきました。昨年末に付けられた修正意見に対し、どこをどのように直したかは未だ分かりませんが(3月5日付朝日、毎日など各紙が報道した)、もし合格ということになれば、教科書とタイアップさせて、検定の対象にならない補助教材などを大量にばらまくことも考えられます。そうなることをたいへん心配しています。



  
「つくる会」の「教科書」に
           歴史教育はゆだねられない

                     浜林正夫・一橋大名誉教授ら歴史学者889人がアピール

 「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)の人々がつくった「歴史教科書」をめぐって、「強者の論理に始終」「過去の歴史を歪曲」など、いまその内容を危惧する声が内外からあがっています。
 「つくる会」の人々は、1990年代半ばから現行の歴史教科書を「自虐的だ」と非難する運動をおこし、「自国の正史を回復するため良識ある歴史教科書」をつくると、宣言してきました。そして、2000年4月、自分たちがつくった「教科書」の検定を文部省に申請しました。他方、まだ検定申請中であるにもかかわらず執筆者や発行元は、いわゆる「白表紙本」をテレビで見せたり、採択を促すために事前の学校訪問をおこなったり、さらに地方議会の決議を求めるなどの運動を行ってきています。

教科書の最低基準

 私たちは、所定の手続きをへて教科書を発行する権利自体は、誰もがもっていると考えています。しかし歴史教科書はもとより、いずれの教科の教科書でも、教科書であるならば求められる最低の基準があるはずです。それは、少なくとも「教科書に虚偽・虚構があってはならない」ということではないでしょうか。
 1890年前後から1945年の敗戦にいたるまでの日本では、国家や軍の機密、あるいは皇室に関することは、たとえ事実であっても、自由に話したり、記録して公表したりすることができませんでした。歴史教育の目的は、天皇に忠義を尽くす「臣民」の鋳型にはめるためのものとされました。これに合致しない事実は退けられ、架空の物語りが日本の歴史教育の根幹を占めました。こうしてつくりあげられた独善的で排外的な意識や思想にもとづいて、日本と日本人は戦争をくりかえし、内外に多大の犠牲を強い、ついにはあの惨憺たる敗戦を迎えるに至ったのです。私たちは誤った歴史教育が果たしたこの重大な役割を忘れることができません。

神話は史実ではない
 ところが、いままた、架空の物語りによって子どもたちを教育しようとする「歴史教科書」が、この日本に登場しようとしているのです。「つくる会」の「歴史教科書」については、新聞などですでに報道されているように、さまざまな批判がおこなわれていますが、私たちは、とりわけつぎの2点について注意を喚起するものです。
 第1は、記紀神話をあたかも歴史的な事実であるかのように、記述していることです。たとえば、「神武天皇の進んだとされるルート」を地図入りで示すなどして、「神武東征」をあたかも歴史的な事実であるかのように描いています。また、学問的な研究をいっさい無視して、「神武天皇即位の日」を「太陽暦になおしたのが2月11日の建国記念の日」であるとまで書いているのです。
 全国の学会・個人によって構成されている日本歴史学協会は、1952年から今日まで、一貫して「紀元節の復活」に反対しつづけていますが、それは学派のいかんを問わず、神話を歴史の事実とすることはできないという歴史研究者・歴史教育者の共通の認識があってのことです。

歴史をゆがめる
 第2は、近代日本のあいつぐ戦争を正当化しているばかりでなく、「大東亜戦争」はアジアの解放のための戦争だったと描いていることです。日本はイタリアやドイツと同盟を結んではいたが、ムッソリーニのファシズムともヒトラーのナチスとも違い、人種差別反対を国の方針としていた、「大東亜会議」の際の「大東亜共同宣言」(43年11月6日)は、60年の国連総会での植民地独立付与宣言と同じ趣旨のものであった、とまで書いています。
 しかし、大日本帝国が45年の敗戦を前にしても、なお「朝鮮ハ之ヲ我方ニ留保スル」との方針をとり、あくまで植民地として維持しようとしていたことは、日本政府が公表している文書からも明らかです(45年5月14日、最高戦争指導構成員会議「対ソ交渉方針」=我譲渡範囲)。こうした事実を無視して大日本帝国があたかも「植民地解放の旗手」であったかのように描き出すのは、まさに歴史をゆがめ、「現代の神話」をつくりだすものと言わざるをえません。
敗戦後の日本の歴史学・歴史教育は、国民を戦争へと導くのに大きな役割をはたした戦前の歴史学・歴史教育のありかたに対する深い反省から出発し、多くの学問的な成果をあげてきました。「つくる会」の「教科書」は歴史の事実をゆがめるばかりでなく、こうした歴史学・歴史教育の学問的な達成を真っ向から否定する非科学的なものでもあります。

憂慮を表明する
 私たちはこのような、「教科書」を日本政府が公許し、それが採択されて子どもたちの歴史教育に供されることは、まさに敗戦に至るあの戦前の独善的な歴史教育の復活に道をひらくものだと考えます。同時に、教科書検定基準に「国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていること」との1項を設けた日本の国際的な約束に背くばかりか、平和と民主主義を希求する世界、とくにアジアの世論に挑戦するものであり、日本を国際的な孤立に陥れるきわめて危険なくわだてにほかなりません。
 私たちは、歴史研究者・歴史教育者としての自己の良心にもとづいて、このような「教科書」が登場することに対する深い憂慮を、広く内外に表明するものです。

                         2001年2月15日


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