日・中マスコミ時評
《教科書検定論議に欠ける「自己責任」》
                  北海道大学大学院国際広報メディア研究科教授 高井潔司


 侵略の歴史を反省した現行の歴史教科書を、「自虐的」と批判するグループが主導した「新しい歴史教科書」の検定が大きな波紋を呼んでいる。
 朝日は21日付の1面トップで、中国や韓国が懸念する「新しい歴史教科書をつくる会」が編集した教科書について、「政府はこの教科書の検定にあたって対外的な配慮から政治介入しない方針を固めた」と報じた。その上で「検定という国内の行政制度の整合性を優先し、外交的な摩擦はやむを得ないと判断したことを意味する」と解説し、「中国や韓国など反発必至」との見方を示した。実際、「日中関係に再び亀裂」「教科書問題など対日批判強める」(共同通信、見出しは神奈川新聞)など周辺諸国から強い反発が出た。一方、この教科書発行と深く関わっている産経は、教科書検定に政治の不介入は当然として、朝日の報道を批判する異例の記事を掲載した。
 こうした報道を見るにつけ感じることは、議論の中心が「外国の圧力」の是非に集中し、日本人として、この戦争の歴史をどう見るのか、日本の戦争責任をどう考えるのかという観点が欠如している点だ。
 侵略の歴史を謝罪し反省することは「自虐的」ではなく、当然の「責任」であろう。「つくる会」の教科書がいうように、「太平洋戦争をアジアの解放を目指した『大東亜戦争』」という理念は、確かに当時あったのだろう。だが、そうした側面があったとしても、それは、一側面であり、実態として「侵略」の歴史は否定でいきない。教科書の内容が公開されていないため断言はできないが、「侵略」の被害を受けた国々および国民にとって受入れ難いに違いない。
 欧米諸国が自身の帝国主義的侵略の歴史を反省してないから、日本も反省する必要がないというのも強弁である。
 それは自身が被害者の側に身を置いて考えてみればよく理解できる。
 例えば、連日のように報じられるアメリカの原潜による「えひめ丸」沈没事件。原潜の艦長は自己の責任について、自己防衛の観点から「謝罪」をしていない。それどころか査問会議の先送りを図り、日本の世論の激憤を買っている。
 艦長の言動は民主主義の形式的なルールにのっとっているのだろうが、まず責任表明があってしかるべきだ。陪審員も軍人となるアメリカの軍事法廷では、こうした事件を無罪にしたケースがあるという。形式として合法的であっても、「同盟国」アメリカへの信頼は大きく揺らいでしまうだろう。
 「検定行政の整合性」などという形式論理で、自身の戦争責任を回避し、被害者の立場を無視するなどということは許されない。国際社会の笑い者になるのがおちだ。
 24日の毎日によると、「つくる会」と同様の漫画家小林よしのりの「台湾論」が台湾で大きな批判を受けているという。自己責任を回避するものが「道化者」を演じるしかない。




日・中マスコミ時評
《一冊の漫画が引き起こした騒ぎ》
                   北海道大学大学院国際広報メディア研究科教授 高井潔司


 太平洋戦争中の台湾の従軍慰安婦について、「なりたがりこそすれ強制連行はなかった」と漫画「台湾論」を描いた小林よしのり氏が台湾で批判を浴び、台湾入境禁止処分になった。
 台湾からの報道によると、その後、日本在住の台湾華僑で、小林氏の台湾訪問を仕掛けた台湾の国策顧問、金美齢女史が急きょ台湾に戻り、「小林氏は台湾を愛している」「小林氏は日本で影響力がある」「大陸が武力侵攻して来たら守ってくれるのは日本だ」などと記者会見して巻き返しを図っている。
 漫画「台湾論」は、小林氏が台湾を訪問し李登輝前総統と会見して感動した話もあれば台湾の歴史もありと、盛沢山の内容だが、一貫して反大陸、台湾独立擁護に終始している。例によって一方的な内容で、感情に訴える手法だ。
 たわいのない漫画と無視されがちだが、巧みにコマーシャリズムに乗り、数十万部を売ったと宣伝する。私の学生なども「先生の本よりわかりやすい」といって研究室に持って来る。長い間、台湾問題をタブーにしてきた結果、台湾について知識のない若い世代は、だまされてしまうのだ。
 こんな日本の植民地支配を美化するような漫画を、台湾の人がよくもまあ受け入れるなというのが私の読後感想だった。
 案の定、日本政府を相手取って訴訟を起こしていた元従軍慰安婦らが怒りの声を挙げ、小林氏の入境禁止騒ぎにまで発展した。従軍慰安婦問題だけでなく台湾の人々を愚弄する内容も多く、小林氏と会見して持ち上げた李登輝前総統、陳水扁現総統の責任も大きいと言わざるを得ない。
 金女史の巻き返しが功を奏するかどうかは不明だが、なぜ一冊の漫画がこんな騒ぎを引き起こすのか。結局、台湾化、民主化といっても、反大陸がまずあっての台湾化であり、台湾とは何かという確信がない。だから反大陸なら植民地美化まで受け入れてしまう。
 台湾の中央通信社は27日、この騒ぎを皮肉る面白い社説を配信した。さわりを紹介しよう。「本土化(台湾化)とは本来、文化の主体性を確立する過程なのに、政治運動主導となった」「台湾独立派は中国に関する一切をかなぐり捨てようとした」「中国文化を取り除いたら台湾文化の中心に何が残るのか。まさか日本の武士道精神なのか。道理で小林氏は台湾に大和魂を探し求めにやってきたのか」
 日本でも一見強面だが、同様に自己確立のできていない議論が目立つ。2日の読売社説「日本は思想多様性許容の国だ」はその一例。日本は思想・言論の自由な国だから、中国や韓国の教科書批判は受け入れないという論調だ。教科書の編集は思想・言論の行為とは違うだろう。もしそうなら。文部省は思想・言論を「検定」していることになってしまう。論説委員でこんな疑問も出ないのだろうか。沈黙は良識でない。おかしいことはおかしいと言わないと日本がおかしくなる。

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