(1997・9長野)
  日中国交正常化25周年と日中関係の課題
                  元共同通信社北京支局長  中島 宏先生

 私は上田市の出身で、10年ほど前にこちらで勤務していたものですから、皆様方この中にも大変お世話になった方々や友人或いは先輩もおります。今日この様なシンポジウムで皆様にお会いすることが出来まして大変光栄に思っております。
 日中関係というのは私も長年色々考える所が多いんですが、こうしたら良いとはっきり言えないことも随分多いと思います。25周年という今日のシンポジウムの中で、やはり原点に帰って日中関係をもう一度見直してみたらどうかと思いお話しさせて頂きます。
 私は日中国交が出来ました1972年にちょうど北京に滞在しておりまして、この年の始めのニクソン訪中、米中接近当初から9月の日中国交正常化を取材することができました。そういうことで、まさしく感無量という思いであります。この国交正常化の時の思い出で私一つ思い出すのは、田中首相のお別れ宴会が、明日共同声明が出るという前の日、9月28日に北京の人民大会堂で行われました。私が共同通信社の記者ということで、沢山の記者が、そこのメインテーブルのところに行く訳にいきませんので、一応代表取材ということで、メモを片手に、その首脳の回りをうろつきまして、どんな話をしているか、料理はどうなのかという大変無粋な役割を引き受けまして、これを各社に伝えるという仕事をおおせ付かって取材しました。この時の宴会が大変印象に残っているんですが、これは会談が終わっておりますし、明日は共同声明が出るばかりですから大変陽気な、終わったという派手な宴会になると思っておりましたが、ところが全く違った雰囲気でした。特にメインテーブルにおきましては、余りにも静かな雰囲気であったことが私の印象に残っております。周恩来首相は田中首相のもてなしで若干色々話しておられましたけれども、その他の首脳は、特に中国の首脳は周りの人とも余り話す訳でもなく、じっと物思いに耽っておられるような様子でございました。特に中国の対日政策に最も係わりのあった皆様よくご存じの中国きっての文化人の郭沫若先生ですが、当時は確か全国人民代表大会の副委員長というような肩書でやっておられたと思いますし、もう一人は廖承志さんという中日友好協会の会長でございます。中国で最も日本通というひとですね、この二人が特にそうでありました。じっと二人とも物思いに耽っておられる様子でありました。特に乾杯のあいさつに、田中首相が回って来られますと、杯を合わせる時の二人とも何か心なしか目を潤ませているように見えた訳であります。考えてみますとお二人とも日本への留学の経験がお有りです。長い間の戦争をした、そしてまた更に戦後の厳しい日中関係あるいはまた国内の厳しい政治情勢、こういうものを経てようやく国交にこぎつけたということですから恐らくそうしたこれまでの苦労を偲んでしみじみと噛み締めておられたのではないかと私は思いました。また恐らく今後の日中関係の将来について思いを巡らしておられたのかも知れません。この宴会の雰囲気はその年の2月に行われたアメリカのニクソン大統領の答礼宴会とは非常に違う雰囲気であったことを覚えております。アメリカの宴会は非常に日中以上に最初は緊張しておりましたので、これが終わったということだったんでしょうが、お別れ宴会が全く陽気な如何にもアメリカ人らしい派手な宴会になった訳であります。これと日中の宴会と余りにも違うということにやはり長年戦争を体験した日本と中国の関係と比較的単純な関係であるアメリカと中国との関係の違いが有るんだなと私は思っております。
 この日中正常化はご承知のようにこの前段で突然表面化しました米中接近の動き、いわゆる日本にとりましてはニクソンショックというもので日本の世論を突き動かして実現したことは皆さん良くご承知のことです。恐らくアメリカとはこの点は非常に違うと思いますが、国民運動とも言えるような日本社会の国交を求める動き、このお互いに隣国として歴史も非常に古い関係の有る中国これとの国交を求めるという本当に全国的な国民の意志が有りました。日本がニクソンショックに対応して速やかに正常化実現に至ったのはこうした長年の社会的な準備が有ったからだなというふうに思います。私が、北京におりますと、この年には与党自民党だけではなく、社会党や或いは公明党、民社党などの政治家が次々に訪中されました。自民党の古井喜実さん、田川誠一さんとかですね、社会党の佐々木元委員長或いは公明党の竹入委員長らの与党野党の政治家が次々に訪中されまして当時の周恩来首相と会談したわけです。この過程で政府間交渉の基礎が実は出来てしまったんですね。その後の竹入さんの回顧録でも皆さんご承知だと思いますが中国側の条件と日本側の条件の突き合わせが出来て、その後の政府間交渉の元になった訳です。従いまして、田中首相が訪中して、政府間交渉が極めて短時間に、色々問題が有ったにも拘わらず行われたのはやはりこういった非政府関係者の事前の打ち合わせの結果だということが言える訳です。こうしたことも日本国内の動きや国際的な空気とあいまって出きた訳ですが、当時の条件というものを考えてみますと中国側には大変日中国交正常化という面でみるとラッキーな条件があったと考えます。当時中国内の反日的な空気の強かった中でこれを押さえる力を持っている毛沢東、周恩来という強力な政治家がおりました。そしてこの人達は長年に亙って日本との戦争を体験している、観察をし尽くしている強力な指導者であったわけです。これに対しまして日本もまた田中首相と大平外相のこのコンビ、こういった事態を非常に良く理解出来る姿勢を持った政治家だった。こういったお二人がおられたことです。それからまたここに米中接近という国際情勢、それに伴う日本国内の世論のたかまりということで、正に非常にラッキーな時と人を得たということを振り返ってみて思い起こしております。当時考えてみますと毛沢東主席は既に老人の病におかされていたわけですし、それからまた周恩来首相はその春だったと思いますが、癌が判明して、それからまた歴史にIF(もしも)ということはないんですが、田中首相と大平外相この二人が手を組んで、中国との国交を公約し総裁選に勝利した訳ですね。このチャンスを逃せば国交自体はかなり遅れた可能性が有ったんだなと思っています。例えばアメリカのケースで言いますとニクソン大統領二期目には必ず訪中したいと当時約束したようですけれど、彼がウォーターゲート事件で失脚したものですから9年がかりでようやく次の次の政権になって、カーター政権になって国交が出来たわけです。また平和友好条約も、ソ連などが入ってきて結局6年位時間がかかった。こういうことであります。ですからやはり大変ラッキーな、今考えると当然のように思いますが、大変ラッキーなこのなかで国交ができた。後の日中関係というものを少し眺めてみますと、この正常化の後には、色んな往来が急速に進みました。特に来年20周年を迎える1978年の日中平和友好条約の調印がなりましてからは、ケ小平さんという中国の新しい動きを、日本国民も知ることが出来たと思います。この他相互訪問ということでみますと正常化以来、日本の首相はほとんど全員が訪中しておりますし、中国の首脳もほぼ全員が頻繁に訪日しております。来年は日中平和友好条約20周年ということで江沢民国家主席が訪日するというようなことで、日中の首脳の間の対話というものは、常に問題は沢山有るにせよ正常に行われているということを私共認識すべきだと思います。勿論後で申し上げるような幾つもトラブルは常にある訳でありますが、全体的にみますとそういった首脳往来もうかがえて、ある程度通常の国家と国家の関係になっているということも事実であります。こうした点を私共しっかりと見据えて、あまりその時その時の問題によって中国との関係を考える目を混乱させない方が良いんではないかと思います。そういう意味で通常の関係も非常に深まっております。
 それから往来という中で、今思い出しますと大変に変わったということですが、5年前の国交正常化20周年に実現しました天皇陛下の訪中があります。これは考えてみますと恐らく両国関係強化に非常に役に立っているのではないかと思います。特に圧巻だったのは、皆さんテレビなどでもご覧になったと思いますが上海市内のパレードでございました。中国側の歓迎ぶりは大変なものであったわけです。これは市内の中心部を1時間余り車で回った訳です。上海というのは皆さん訪問されたことがおありと思いますが、もう人の波と言いますか怖い位人が沢山いるわけであります。中国の人口の多さをあそこへ行きますと一番象徴的に分かるような感じが致します。この中を車で、オープンカーではありませんが、回ったんですね。警備の人は大変後でびくびくしたようですけれども車のスピードを緩めて回ったということがありました。この時には南京路を始め鈴なりの市民たちが大歓迎したようであります。勿論歓迎する市民の間には中国側はこういう時には、警察も事前の点検をしていることは間違い有りません、相当な準備をしたことは確かであります。しかし、あれだけの人がいて何も事故が無かった。非常に意外だと中国に常駐している外交官、或いは日本の関係者は非常に驚いているような次第です。卵一つ投げられたらそれで大失敗になってしまうんです。それが一つも無かったということ、そこに中国側の歓迎ぶりが現れていて、日本の関係者また天皇ご自身もですね、非常に感激したということが有ったようであります。このパレードは、上海市当局の強い申し入れと中国の民衆に是非会いたいという天皇の気持ちで実現したということを聞いております。何れにしても、これは成功だったというふうに、当時の関係者の間で今でも語り種になっています。この時の上海の当事者が、上海から現在中央に行っている江沢民さんの下で働いている呉邦国副首相ですとか黄菊さんという政治局員でありますが、このひとは日本で1年間位滞在したことがあるんですが、この方々が、上海の当事者でいたんです。そういう意味で中々スマートでまた一糸乱れぬ対応をしてくれたことが日中関係の一つの交流史の中のエピソードになろうかと思います。 日中関係にトラブルはあるんですが、友好ムードも有る中で、実際の関係を考えてみますと、なかなか進展しているんだなというふうに思います。いろいろ例は有りますが、ほんの僅かなケースを見ただけでも両国は今やしっかりと結び付きつつあるなと、まだまだこれからも勿論紆余曲折はありましょうけれども、25年間にやはり大きく発展しているんだなあと思います。例えば貿易は72年当時の11億ドルが昨年は624億ドルと57倍位に、これは日本の対外貿易でアメリカに次いで2位になります。まだ大分アメリカよりも少ないですけれど2位であります。それから中国の貿易でいいますとトップであります。ちなみに、日本と台湾の貿易額はようやく411億ドルであり日台貿易を追い抜いています。そして日中貿易は過去5年間、日本の赤字であります。日本の輸入超過ということであります。これは部品を中国の日系の工場で製造して日本に輸入し、これを日本ブランドで輸出する方式が定着しつつあるからですが、ずっと輸入超過ということであります。中国にとっても日本との貿易は大変大事なわけであります。それからまた輸入の内容を見ましても、例えば野菜の輸入額もこれはいろいろ数え方はありますけれど表示したものなんかをここで見ますと91%というような数字が去年も出ていたようであります。それから衣料品が多いんですね。これはいろんな品目が有るんですが、大体60〜70%位が中国からの輸入だということで、非常に中国に依存している状態のようであります。また民間投資は、実行ベースで142億ドル、契約ベースでいうと264億ドルになっております。昨年は確か4位ということですが、日本は92年以降、過去5年間急増しているわけであります。中国の外資優遇策見直しなどのために昨年は、減少しておりますが実行ベースでは勿論増えております。そういう形ですけれども、このところずっと急増していたことは間違いありません。特に日本は80%が製造業で恐らく他は香港あるいは台湾なんかより少ないですけれど製造業が中心という点で非常に中国にとってメリットが有る。不動産とかあるいはレストランとか第三次産業よりもですね、80%が製造業が中心という日本の投資は中国にとって意味をもっている投資であろうと思います。長期投資、これは長期になりますから日中関係が安定していることによって初めてこの投資が生きて来るわけです。危なくなるとすぐ逃げてしまう仕事ではないわけです。日本の投資は大変実直と言いますか愚直なまでにしっかりした投資だというふうに中国から見ればそういうことが言えるんではないかと思います。この他日本の政府の円借款なんかも含めると96年までで約2兆円になっております。これは毎年のドル換算ということはなかなか難しいですが、大体250億ドル位になるだろうと言われております。その他輸出入銀行も開発銀行とか民間銀行の融資そういったものを含めて大変な中国に対する経済協力というのは進んでいるわけです。こうした中で人的往来なんかを見ましても、70年当時は私も居ったんですが、本当に日本人が北京に来ることは数少ない状態でありました。ですから日本人が中国に来て要人と何らかの接触をされたということを聞くとすぐに私共がそこへ行ってですね、お話しを伺うということが、殆どの方にお話しを伺うといってもいいような位数の少ないような状態でした。当時は1年間に9000人ということだったんですが、現在は昨年あたりには約178万人で20倍近くに増えております。これも台湾との関係が曾て多かったんですが、台湾167万人ということですから既に台湾より10万人ほど増えております。その他在留邦人これも約2万人ということで、私が居りました当時確か1000人ちょっとでしたからこれも20倍近く15倍にはなっております。それから留学生、これは国費の留学生はまだ少ないんでしょうが、いわゆる就学生を含めて大体これは全留学生の中で44%で最大ということであります。それから日本から中国へ1万5000人位の留学生が行っております。さらにまた友好都市友好県省ですね。これは外務省の資料ですが、今年の春位までの数字で、230位行われておりまして、それこそもう日中友好協会の皆様が直接携わっておられると思いますが、経済交流、中高生同士のサッカーの試合とかですね、その他相互訪問を含めまして非常に草の根の大変立派な交流が行われて日中友好の一つの大きな柱になっているのではないかと思いますが、こうした交流が行われていることはご承知のとおりであります。
 こういう具合に非常に交流が進んでおりますが同時に幾つかのトラブルがあることはいつも新聞等で皆様ご覧になるとおりであります。このトラブルは、挙げていきますと数限りありませんけど、恐らくこれは中国側から見ますと一つは過去の歴史認識の問題、これが最大であります。戦争に対する見方であります。とくにこれは要人の発言などを通じて問題になる。それからまた日本要人の靖国神社参拝の問題があります。それからもう一つは言うまでもなく台湾問題であります。この二つが恐らく中国側からみて何としても大きな問題だということであります。日本側からみますとこれは例えば一昨年、昨年の中国の核実験或いは台湾海峡でのミサイル発射の問題、そういった中国の軍備強化にからむと思われるような問題ですね、それからまたこれ以外では経済交流問題で中国の契約が或いは法律がなかなかそのとおり守って実行してくれないといった悩み、或いはまた中国の社会体制の問題などですね、中国側の混乱と秩序の無さに対する不安といったとうなものが日本側からの不安だと思います。この結果各種世論調査、最近いくつも色々出ておりますけれども両国国民レベルで相互の印象が非常に低下している。相手国を見る目が変わりつつあるということが憂うべき問題として挙げられるわけであります。そうしたトラブルの原因は、色々有る訳ですけれども、まあ核実験の問題などは、中国のモラトリアム宣言で当面は一応核実験問題は落着しております。こういったものを除きますと日ごろの経済交流、その他別にしまして、やはり非常に大きな政治対立になるものは何としても過去の歴史認識の問題と台湾の問題だろうと思います。やはり共同声明から25年も経った現在もまだ解決していないのは私共としても大変残念でありますし、日本と中国のためにも大変残念な問題だと思います。これに対する対応は、やはりこうした25周年といった機会に私共やはりもとの原点に立ち変えるということが必要ではないかと思います。まず例えばこの歴史認識の問題、過去の日本の侵略戦争の問題がありますが、これにつきましては日中共同声明で、実は日本側は戦争を通じて中国国民に多大な損害を与えたことについての責任を痛感し深く反省するという言葉が入っている訳であります。それからまた更に、一昨年8月、敗戦50周年で村山首相が植民地支配と侵略によって特にアジアの人々に多大の損害を与えたことに心からお詫びの気持ちを表明したいという、談話を発表している訳であります。橋本首相も最近の訪中の際にはこの二つを強調して日中関係の原点を強調して帰って来たようでありますけれど、何れにしても日中はこういった表明を基礎に日本の過去における侵略戦争という客観的事実、これを認める姿勢が有って、この原則の上に立って中国側と、いろいろ支障が有ればいろいろ意見の交換をするということが可能になって来るのではないかと思います。恐らく靖国神社あるいは南京大虐殺の問題などにつきましても日本側としての主張というものも有ると思いますし、いろんな考え方もあるいは出るかも知れません。そういう中で、何としても一番基本的なことは過去の戦争でどういうことが有ったということです。一般的な客観的事実というものを認めた上で話をしないとやはりこれはどうにも話し合いにならないだろうと思います。従いましてそういった非常に簡単なことでありますけれど、そういった事実があるということは何としても良い答えを作るべきであります。日本人の間では大体過去の戦争は非常に良かったと思っているひとは恐らくごく少数だと思いますし、誰も分かっているものですから、こういった点を踏まえないで、その先のことを話してしまうようなことがあるんです。これはまた外国に対して特に中国中心に疑惑を招くという、そういうケースも有る訳であります。勿論意識して自分の考えとして侵略戦争ではなかったと意見を表明するひともいるんですけれど、ごくわずかで、大多数の日本人は侵略を悪かったと考えています。そういった点で、誤解を招かないためにもやはり日本人がそう思っているんだということは、そういった基本的な客観的事実を認めているんだということをやはりしっかりと表明した上で意見を更に進めて行く姿勢が大事ではないかというふうに考えます。日中関係で最も紛糾するのは主として日本の要人の発言だということは皆さんご承知のとおりであります。これは中国から見ますと、中国の要人が、共同声明それと逆のことを言うことは多分無い訳です。ところがそういう目で中国は日本を見るものですから、非常に偉い閣僚がそういう話をするということは日本ではそういう考えのひとが非常に多いというふうに考えてしますわけです。そういう大変な誤解を与えてしまう。ですから最近中国側の担当者が、内々に言っていることは、とにかく日本側から民間人はともかく要人にはそういう発言はさせないで欲しいということを言っております。でありますから首相は閣僚を任命する際はその点に釘を刺すなどの方法を取ってもらえないかということまで、プライベイトの話し合いの中で言っているようであります。そういう問題が無ければ、民間人の前であれば別の問題として話し合いが出来る。ところが責任有る人がそういうことを言った場合にはどうにもならないということです。中国の中に知日派というのはこういう点から考えますと、日本を弁護しようとしても、何時もピストルで何時打たれるか分からないという恐怖心を持っているような気持ちではないかと私は想像している訳です。日本を弁護したくても出来なくなってしまう。日本にはそういう面が無いと言いたくても、それを打ち消すような発言が出てしまって知日派の政治的立場が全く無くなってします。そういうことを私共もっと認識すべきではないかと考えます。その点は最も大事な課題だろうと思います。
 その他台湾問題でありますが、まさにこの台湾は経済関係、いろいろトラブルが有りながら経済関係はどんどん進んで行く訳です。そして中国の恐らく改革開放がすすみ今後相当経済も大きくなる、経済大国になると思いますが、その過程で、台湾と中国の関係は恐らく経済関係はどんどん進んで行くんではないかと思います。ある意味で中国の大きなその経済マーケットの中に台湾経済も含まれて行くような現象が出ているのであります。勿論台湾側と中国側のかけひきが当分続く訳ですけれど、これはやはり中国人同士に任せるのが賢明だと思います。これもやはり原点に立てば日中共同声明で日本は一つの中国というものを承認しているわけでありまして、台湾は中国の領土の不可分の一部であるということです。中国の主張を十分理解し尊重すると解決する訳です。こうした原点に立つと日本は勿論実務の話から平和解決の希望を述べることは私なりに理解しますが、それ以上深入りすべきでないと思います。そういう意味で中国人同士に任せるということが、必要ではないかと思います。そういった形で非常に大きな問題、この25年経っても尚且つ解決えない問題が残っているわけでありまして、そういった大きな二つの問題について原点に立って私共もう一度考えてみる必要が有る訳です。
 それからもう一つ、これはまた私最近課題ですが、中国側にも是非言いたいことなんですが、日本と中国はやはり制度が違っているんですね。これは簡単に口で言いますけれども実際に現実にあまり深く考えていないことが有るんではないかと思います。制度の違いが有ります。つまり中国は社会主義体制で言論の統一している訳です。ですから人民日報などの日本批判というものはですね、中国大部分のインテリが書く前に情報として出ている訳です。その影響力は非常に大きい。そしてその中には例えば要人の発言などが出て来る訳ですね。日本国内の右翼化、軍国主義というものがこれだけ有るということを非常にはっきり書いております。私共読んでもこれが勿論骨格ではそういうことが言えるかも知れないけれど、やはり日本人の感覚と少し違うんではないかと思わざるを得ないようなんです。日本というのはもう少し民主的な国でありやはり平和を求めて行くんだと、そういうこともう少し私共伝えたいんですが、しかしこの要人発言が一つ出ますとたちまちそうした自民党などから厳しいクレームが出る訳です。これはただ建前でなくですね、やはり大部分の幹部が読む訳であります。その中で若い人達が育って行くということを私共しっかり認識する必要が有る。それからもうひとつ中国側に言うべきこととすれば、日本は自由社会で多様な言論あるいは活動が存在するのです。これは中国知日派の人はよくわかっている、ですから民間人はともかくと言っているのはそういうことです。いろんな活動が有る訳です。これを政府が統一することは出来ない訳です。で、そういったものはどこでも発表出来る。ただこれがどの程度の影響力を持っているかということを、そのつどですね検討しますね、日本要人の言動があったからといって勿論影響力は大きいんですが中国要人が中国国内でしゃべったほどの影響力は勿論無い訳で、私共はそういうことは皆知っている訳でなんです。勿論これは悪いことですけれども日本全体を動かすような右翼的な空気になっているか、軍国主義になるというようなふうにはですね、見えない訳です。こういったことをやはり中国との交流の中では私共しっかりそういう事情を説明したい。要人の発言が無い事が一番いいと思いますが、そういった点も私共交流の中で考えて行く必要が有ると思います。お互いにその制度の違いがよく分かっていないところが、実はあるわけですね。それから交流の中で言いますと、中々本当の交流と言いましてもつ中国旅行する場合はどうしてもお仕着せでありますし、中国の人が来てもやはりツアーの定番プランが多いんです。中国経済関係そういったものは別ですけど大部分の交流はですね物見遊山的な交流が実は多いんではないかと思います。私共お互いに会って、他の国の人であれば一緒に住んで、もう少し意見を交換するということは日中ではまだまだ少ない。これだけ大きな深い関係がある国でありながらまだまだ上滑りのようです。特に例えば北京にいる子供達などを見ましても中国の人との交わりはまだ不十分ですね。子供同士の遊び、そういったものが無い訳ですね。で、恐らく他の国でありますと子供同士アメリカ人が親しく付き合って変える。それが例えば中国にいる子供達はそういうところは恐らく有りません。そういったことから言いましても本当の交流というのは実を言いますとそう簡単には出来ていない訳です。そうした中で日中友好協会の交流これは本当の地道の留学生をよんだり自宅によんだり、本当の交流が実は非常に大きな柱で、先程申し上げたのはそういう意味でありまして本当にこれは立派なことだと思います。しかしまだまだこれは恐らくこれだけの長い歴史を持ちまた壁のある日中関係においてはまだまだ不足しているだろうというふうに思います。こういった側面を愚直に交流を続けて行く、恐らくこれ以外には日中が仲良くして行くことはなかなか難しいだろうと思います。ちょっと私的な立場でのお話し出したがこの辺で失礼致します。


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