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軽井沢日中友好協会 軽井沢町軽井沢東94 (中山方) TEL 0267-22-0585 |
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軽井沢日中設立10周年記念春節交流会にぎやかに開催(2/5)2023
第1部で、荒木武貴会長は、「2011年設立以来、10年余り、佐藤敬治初代会長はじめ役員会員の努力によって訪中団派遣や中国大使館との交流、アイスホッケーチームの受け入れ応援、餃子交流会など多彩な事業に取り組んできた。本年は日中平和友好条約45周年を迎えている。日中関係は困難を抱えているが民間交流が友好の基礎であるあることを確認し今後とも皆様のご協力のもと歩んでまいりたい」とあいさつしました。 来賓として県日中友好協会の布施正幸副会長、軽井沢高校の下井一志校長、小諸市日中友好協会の清水清利副会長が祝辞を述べました。 布施副会長は、10周年を祝った後、「佐藤初代会長、荒井会長はじめ皆様の熱意に敬意を表します。国交正常化から50年を経過して、日中関係は厳しい状況におかれているが、民間友好ボランティア団体である友好協会は両国の有意の皆さんと協力して、日中不再戦、平和友好の道を歩んでいきたい。平和友好条約45周年、長野県と河北省友好県省40周年の本年、知事の訪中や友好都市中学生卓球交流大会等も計画されている。交流再開の年にし友好増進に努めましょう」と呼びかけました。 続いて佐藤敬治前会長へ感謝状と記念品が贈られました。 第2部の交流会では、華やかな日本舞踊(竹本流舞鶴会の皆さん)、中国舞踊とベリーダンス(Yuana教室の皆さん)、歌唱(バリトン歌手崔宗宝さん夫妻)が次々と披露され、会場は華やかな雰囲気で大いに盛り上がりました。 コロナ禍対策のため餃子作り交流会の代わりに、餃子入りお弁当がお土産に配られました。 |
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戦後75回目の平和コンサート(8/1) 2020
2月2日春節に餃子を食べる会をにぎやかに開催してからコロナ禍で6月開催予定だった定期総会が延期となり「地球規模の鎖国」のような状況が続く中で、雲の切れ目から光耀があたるような出来事が起こりました。8月6日軽井沢大賀ホールでマキ・奈尾美コンサート「戦後75回目の平和記念日に寄せて・命ある限り輝いて」が開催されることになりました。 |
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北京市アイスホッケー選手団軽井沢カップに出場、交流深める(2/22〜26)2018![]() 一行は2月23日には、おそろいの赤のコートに身を包み軽井沢中学を訪問しました。田中寿一校長先生をはじめ全校生徒423名の熱烈歓迎を受けました。体育館での歓迎式では舞台上にのっぼった一行を生徒代表が歓迎のあいさつ。続いて選手団を代表して許景旭君が元気にあいさつした後、生徒たちが次々と軽井沢の紹介を英語で行いました。終了後、各クラスに分かれて、給食を一緒に食べ、交流理解を深めました。この中学にはアイスホッケークラブがあり、今回のウインターカップにも出場することになっているとのことで身近に感じられたようでした。整然とした生徒たちの行動に、同世代の選手の皆さんは大変刺激を受けた様子でした。中学校のを離れる際には、3階建ての各教室の窓から生徒の皆さんが一生懸命手を振って見送ってくれたのが印象的でした。 アイスアリーナ―で練習し氷の感触などを確認し休憩、夕食を済ませた後、開幕試合に臨みました。 ![]() ![]() 初戦の相手は、長野県代表チーム。試合は激しい攻防があり、まさに氷上の格闘技、ジュニア同士の戦いであっても迫力十分でした。この試合は北京市チームの勝利となりました。今回の大会には日光東中学IHC、江戸川アーマーズジュニアIHC、愛知県セレクトチーム、京都滋賀選抜チーム等が参加しており、北京市チームの対戦成績は2勝2敗で3位でした。 この大会に合わせて軽井沢を訪れた北京アイスホッケー協会の劉戈会長は、宮下富夫県アイスホッケー連盟会長や中村慎理事長、清野勝県アイスホッケー連盟ジュニア委員会代表らと今後のアイスホッケー交流について懇談しました。 |
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インターンシップ研修生との交流(10/6) 2017 軽井沢日中友好協会は、軽井沢プリンスホテルにて研修をしている中国大学生インターンシップ留学生6名の方々と10月6日、交流懇親会を行いました。彼女らは7月から約3か月の企業研修に来られ、4日後には中国へ帰るとのことで、残り少ない日本での生活を楽しんでいるようでした。軽井沢企業の特情で8月分の休みをまとめて10月1日から連続して取り、関西方面に行き古都の文化を見聞きしてきた話をしてくれました。 彼女たちは、帰国すると5月大学卒業後の将来を決める大切な時期となるようで、卒業後の将来希望を聞くと、また日本に来て勉強したい、日本の企業で働きたいと、すごく前向きな夢を、眼を輝かせて発表してくれました。 私達の協会は、河北省承徳市と共通の「国を代表する避暑地」であり、将来友好都市を結びたいとの希望を持って民間交流に協会結成以来取組んで来たし、これからも進めて行く決意を佐藤会長が、次世代の若者として、日中友好の架橋になってほしいとの期待を彼女たちに託しました。( 事務局長 土屋 隆
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承徳へ第2次訪中団派遣 軽井沢日中友好協会(佐藤敬治会長)は、第二次訪中団(団長・佐藤雅義前軽井沢町長)を11月13日から17日までの4泊5日の日程で、河北省承徳市へ派遣した。佐藤雅義前軽井沢町長を団長に総勢9名の訪中団は、2年前に続いて今回も承徳市を訪問し、人民政府要人との意見交換を進めてきた。 中でも15日に開催された第二回承徳国際マラソン大会にはVIP対応の歓迎を受け、開会式セレモニーをメインスタンド横の一等席で見学すると共に一万人を超えるランナーのスタートを大きな拍手と声援で応援し連帯を深めて来ました。当日の夜は、承徳市丁副市長の歓迎懇親会に招かれ、日本と中国の避暑地としての共通する話題を中心に意見交換を重ね、今後の更なる交流促進を満場の拍手で確認しました。 訪中初日の北京市内での中日友好協会の歓迎懇親会に始まり、連日手厚い宴席に招かれ白酒と料理に酔いしれ、「北国の春」を日本語と中国語で合唱する賑やかな宴席もありました。 佐藤敬治会長の「軽井沢文化祭」を承徳市の劇場で開催し、民間交流を深めたい、との思いを実現するための現地視察と意見交換も行い、これから計画を図っていきます。 |
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中国大使館を表敬訪問、交流深める(9/17)
往路バスの中では、昨年6月当協会員12名の承徳市・北京市への第一次訪中団のビデオを見ました。収録時間5時間余りの内容を撮影した会員が70分に編集したものでしたが、綺麗に撮れてるネ、承徳へ行ってみたいナーなど好評でした。 浅草で昼食を取り、両国の大江戸博物館を見学したのちに待望の中国大使館へ行きました。雨による道路渋滞で予定時間が30分以上遅れましたが、大使館友好交流部の皆さんの歓迎を受けました。治外法権の大使館内に入るのは殆んどの参加者が初めてであり、入口の警備の厳しさにはびっくりでした。広い館内・庭園を見学の後に、講堂で挨拶の交換会を行いました。 軽井沢日中友好協会を代表して佐藤会長は、今回の訪問に対しての大使館側の温かい受入れに感謝、日中間の関係は首脳会談が実現したが、まだまだ厳しい状況であり、民間交流を深めるために来年6月頃第二次訪中団を計画している、との挨拶の後に、用意した日本人形「藤娘」を大使館へプレゼントしました。続いて、汪腕参事官からは、「軽井沢日中友好協会の昨年中日交流のさきがけを6月に承徳市と行い、その後も承徳副市長訪日団の受入れなど、中日間の交流促進を積極的に図ってきた佐藤会長を初め会員皆さんに深く敬意を表します。中日間には歴史問題に対する認識の差があるが、民間交流を深めることで更に両国関係の改善を進めていくことが両国民の使命です」、との熱いお言葉を頂きました。 引き続いての歓迎懇親会では、孫一等書記官の歓迎挨拶を受けた後、用意された中国の最高級酒で乾杯をしました。民間交流のこの様な席に最高級酒が振る舞われるのは格別ですと、対応していただいた大使館員からお聞きし、私たちに対する大使館側の並々ならぬ思いを知ることが出来ました。用意された沢山の中華料理をいただきながら館員の皆さまと時間の許す限りの懇談を進めてきました。(事務局長 土屋 隆) |
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汪婉大使夫人迎え講演会(10/25)2014 2部の交流会では、日本舞踊を竹本流家元の竹本東竜先生の舞と長野市在住の田村望淵圓さんの二胡演奏を交え、活発な交流の輪ができ予定時間をオーバーするほどでした。3部の「女性だけの座談会」は、汪参事官、加藤さゆり副知事、山田火砂子映画監督、今井正子県議、島津美智子県日中女性委員長など各界で活躍されている20名の女性たちが、男性抜きで本音の意見交換を深めた画期的な座談会でした。 |
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軽井沢友好訪中団、承徳を友好訪問(6/25〜30)2014
なぜ承徳市なのかというと、両市町の間には規模に於いては大きな差こそありますが、良好な自然環境に恵まれ避暑地として、また皇族との関わりの歴史があることを共有している事にあります。 佐藤敬治会長を団長とし12名の参加がありました。日程のあらましはつぎの通りです。 6月25日羽田を出発、北京経由で承徳市に到着。市の招待宴に招かれ、観光部門の幹部の出席で、観光・文化・芸術・スポーツ等多岐に亘る交流についての市側からの要望が有り、訪中前から熱烈歓迎との雰囲気を十分感じ取る事が出来ました。 6月26〜27日 この間は市から派遣されたスタッフの案内で、市内の史跡、とりわけ世界文化遺産に登録されている《避暑山荘》を中心に市の自然・文化を堪能しました。 6月28〜30日 承徳市からバスで約3時間強で北京市にて移動、28日夜は北京飯店での夕食会では中日友好協会から程海波交流部長、文徳盛理事の出席があり、両国友好協会間の交流の拡大を、との提案がありました。また、佐藤団長からも長野県及び長野県日中との交流推進を望んでいる事を伝えました。文 徳盛理事は当協会設立時の特別講演をお願いした間柄でもあり、率直かつ友好的なひと時でありました。 今後の取り組みとして、町・議会・文化団体に働き掛けをすると同時に今回の訪中の意義・成果を様々な機会に伝えたいと思っています。(軽井沢日中友好協会 山岸征男) |
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国際都市・軽井沢に日中友好協会が誕生−日中民間交流より深く(11/18)2012 発起人代表で北京大学日本研究センター名誉教授の佐藤敬治氏は、あいさつの中で「たまたま日中関係が冷え込んだ時期と重なってしまったが、日中関係は唇歯輔車(しんしほしゃ=唇と歯のような密接な様)の間柄であり、国際親善文化観光都市・軽井沢としても中国ゆかりの人や町民の皆さんに広く働きかけ組織を充実し、民間友好交流を進めていきたい。避暑地・軽井沢として、今後、世界遺産に登録されている清朝皇帝の避暑山荘がある河北省承徳市との交流なども考えていきたい」と述べました。 4回にわたる設立準備会が開かれ、軽井沢・御代田の両町の11,000世帯に設立趣意書を配布したことなどの経過が報告された後、会則・役員・活動目標・予算などが原案通り承認されました。主な役員は、名誉会長/佐藤雅義、会長/佐藤敬治、監事/武谷紘之、事務局長/山岸征男、会計/佐藤えり。(敬称略) 来賓として、藤巻進・軽井沢町長、大林義博・町議長、西堀正司・県日中友好協会理事長らが協会の発足を祝ってあいさつしました。 第2部の記念講演では、中国大使館の文徳盛参事官が国交正常化に際して毛沢東主席や周恩来総理が中国人民に日本に対する戦争賠償を放棄して日中関係の未来を展望して行くことの大切さを説得したことなどを紹介し、現在困難があってもそれを乗り越え、中日関係を新しいレベルに発展させていきたいと述べ、参加者から共感の拍手がおくられました。 第3部の記念懇親会はあたたかい熱気につつまれ、和やかな懇談が続きました。地元の県会議員や町会議員、近隣の友好協会代表、中国とゆかりのある帰国者や大日向開拓団関係者、経営者、文化人など多彩な顔ぶれでした。辛亥革命の孫文を支援した梅屋庄吉の曾孫で松本楼経営の小坂文乃さんも駆けつけていただき、かかわりの深い軽井沢に友好協会が出来たことを祝福していました。 |