富士見町日中友好協会だより

富士見町・元満州開拓団関係者追悼式(2005.8.20)


 富士見町日中友好協会は8月20日、富士見保育園の裏手の丘に昭和43年建立された「拓魂碑」の前で、同町元満州開拓団殉難者の追悼式を開催しました。追悼式には富士見町日中友好協会会長の矢島民雄町長はじめ関係者約80名が出席し往時をしのび、悲惨な最期を遂げた殉難者を追悼しました。

 資料によれば、富士見町の関係する開拓団は、木蘭県王家屯富士見分村(196戸933人)、徳都県旭日落合分村(81戸183人)はじめ計8村他青少年義勇隊などで併せて319戸1477人に上ります。日本の敗戦によって難民と化した開拓団員は想像を絶する困難に遭遇し、内505人が死亡しました。

 碑前にて切々と当事の悲惨さを語る関係者の目には涙がにじんでおりました。万感の思いを献花に込めて、殉難者の慰霊と日中不再戦・恒久平和を祈りました。県日中友好協会から沼田久子副会長と布施事務局長が参列しました。

 参加者は追悼式終了後、会場をJA会館ふじみに移して、上條宏之・長野県短期大学長より「満州開拓と戦後60年」と題する記念講演を聞きました。先生は、日本近現代史の研究者の立場から長野県満州開拓史の編集委員長を務められた方で、「『満州移民』はどのように始まり、どのように展開し、崩壊したのか」、さらに戦後処理問題などを系統だってわかりやすくお話され感銘を与えました。


  <慰霊の言葉>
 戦後60周年・富士見町元満州開拓団関係者追悼式にあたり、長野県日中友好協会を代表して一言追悼の言葉を申し述べさせていただきます。
 往時を振り返るとき、私たちは開拓団の皆様がたどられたそのあまりの悲惨さと惨状に言葉を失います。ご遺族並びに関係者の深い悲しみと心の傷は今なお癒えることなく続いておられることでありましょう。犠牲者の皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 歴史を振り返ってみますと、満州事変と傀儡「満州国」の建国に続いて、ソ満国境の守りを固めるという当時の国策の下に、県内から全国一の3万3千人もの満蒙開拓団が送出されました。当初から日本軍国主義の侵略植民地政策の一環として組み込まれていたために、結果として開拓団の皆さんは数多くの悲劇に遭遇することになり、多数の犠牲者と残留孤児が生まれました。
 かの方正には1963年中国側の人道的配慮により「方正地区日本人公墓」が建立されました。周恩来総理の「日本人民も中国人民と同じく日本軍国主義の犠牲者であった」という言葉の実践であったと改めて感銘致します。
 1995年戦後50周年に際しては、長野県として平和友好の証として方正の日本人公墓のわきに「平和友好の碑」を建立することができました。私たちは、平和友好の誓いをこの碑に刻んだのであります。
 富士見町と富士見町日中友好協会は6次に亘り旧開拓団現地訪問団を派遣し、慰霊するとともに黒龍江省や木蘭県・五大蓮池市など現地政府関係者との交流を深めてきました。
 日中関係の現状は、多くの心ある人々に危惧を抱かせるものがあります。私たちは戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、歴史の教訓を忘れることなく、尊い犠牲を語り継ぎ、子々孫々の平和と友好のために不断の努力を傾ける事をお誓いして慰霊の言葉とさせていただきます。合掌。
   2005年8月20日
     長野県日中友好協会 事務局長 布施正幸

第6次富士見町日中友好協会訪中団(2004.8/23〜30)を派遣

第6次富士見町日中友好協会訪中団(矢嶋民雄団長一行20名)は8月23日から30日北京・ハルピン・五大連池・瀋陽・大連の各地を友好訪問しました。黒龍江省や五大連池市などで関係者の歓迎を受け、友好を深めることができました。

8月23日(月)
7:00 富士見町役場発
11:00 成田空港着
11:30 チェックイン−昼食
15:30 CA926便にて成田発
18:10 北京空港着  徐廣明・黒龍江省外事弁公室日本処処長 
              張隗・神州国際旅行社通訳      出迎え
19:40 王府井の四川飯店にて夕食
21:00 京倫飯店泊

8月24日(火)
9:00 ホテル発
   天安門広場・故宮参観

12:00 金城友誼商店にて昼食・ショッピング
14:00 万里の長城(八達嶺)
16:00 全国農業展覧館にて中国茶
18:00 全聚徳にて北京ダック

8月25日(水)
6:45 ホテル発 空港へ
9:20 北京空港からHU7127便にてハルピンへ
10:50 ハルピン着
12:00 餃子館にて昼食
13:30 朱星和・黒龍江省外事弁公室通訳の案内で五大連池市に向かう。
    約400キロの道のりを6時間余り。4年前訪問した時の道と比べてずっと良くなった、との事。しかし、きつい。
20:15 五大連池市賓館着・夕食

8月26日(木)
9:00 五大連池市政府表敬 曹文興・副市長
             朱慶波・外事弁公室主任
             張宏文・外事弁公室職員

   曹副市長は「昔の事は昔の事として、歴史を鑑としてこれからの友好を深めましょう。五大連池市は世界3大冷泉の1つがあり観光資源や木材などの資源が豊富です。開発にご協力ください。」とのべ、矢嶋団長も「中国の発展ぶりに感銘を受けました。不幸な歴史を教訓にして、今後一層友好に努めたい。富士見町にもお越しください。」とあいさつし、互いに記念品を交換し、記念写真に収まりました。
9:30  開拓団跡地に向け出発
10:30 二竜山農場分校跡地・本部跡地訪問現地の農民と交流
    二竜山第1小学校訪問  張愛国校長に教育支援金を贈呈
    二竜山駅にて写真撮影


12:00 ホテルにて昼食
14:00 ホテル発、五大連池観光へ
     3つの冷泉・老黒山登山 3キロほど上って山頂から見た五大連池は見事な景観でした。

17:30 五大連池のレストランにて夕食
19:00 ホテル着

8月27日(金)
6:30 ホテル発ハルピンへ向かう
12:30 ハルピンのグロリアインホテルに到着、昼食・休憩
14:00 市内参観へ出発、
    東北烈士記念館
    開発区・ソフィア寺院・中央大街参観

18:00 黒龍江省対外友好協会表敬・歓迎宴会(花園村迎賓館)
    張爾力・省外事弁公室副主任、省人民対外友好協会副会長
  「心より歓迎致します。富士見町友好協会の皆様が長年にわたり友好に努力されてきた事に敬意を表します。一衣帯水の中日両国は2千年来の友好往来の歴史があります。近代に入って中日間には不幸な時代がありました。日本軍国主義は中国人民に多大な災難をもたらしただけでなく、日本人民にも災難をもたらしました。この度、矢嶋町長を団長にゆかりの地を訪れましたが、歴史を正しく見つめて、これを鑑とし大事な事は友好を発展させて行く事です。特に若い世代の交流を発展させていく必要があります。靖国問題は微妙な敏感な問題です。心の傷を癒す努力をすべきであります。再び不幸な歴史を繰り返さないために、若い世代を教育し友好を発展させていきたいと思います。富士見町日中友好協会とは10年以上の交流の歴史があります。これを大切にして一層発展させていきましょう。お体を大切にして再び黒龍江省においでください。」
     矢嶋団長は、熱烈歓迎に感謝の意を表し、今後日中友好に一層努力したいと述べ、最後に是非富士見町においで下さいとあいさつしました。記念品交換の後、歓迎宴会が行われました。美味しい高級料理に舌包を打ち、乾杯を重ねて交流を深めました。我が団からは北国の春と諏訪御柱の木遣りが披露され、徐先生からは京劇の見事な一節が披露され大いに盛り上がりました。
* 伊藤秘書長高熱のため省病院に入院。
(徐廣明氏・韓子玉氏付き添い。点滴の後無事退院)

8月28日(土)
 7:30 ホテル発ハルピン空港へ
 9:25 CZ6609便にて瀋陽に向かう
 10:30 瀋陽空港着*未着トランクの処理
      南 哲 遼寧省外事弁公室・国際交流中心対外連絡部長 出迎え
 12:00 しゃぶしゃぶ料理で昼食
 13:30 9.18歴史博物館・瀋陽故宮・北陵公園参観

 18:00 夕食     瀋陽黎明国際酒店泊

8月29日(日)
 6:50 ホテル発瀋陽駅へ向かう
 7:30 T452列車にて大連に向かう

 11:28 大連着
      陳宏 大連市外事弁公室国際友好服務中心通訳  出迎え
 12:00 昼食
 14:00 星海公園・濱海路・老虎灘公園・ショッピング
 18:00 夕食     大連万達国際酒店泊

8月30日(月)
 9:30 ホテル発空港へ
 11:45 大連空港発CA951便で帰国
 15:40 成田空港着
 16:40 貸し切りバスにて出発
 21:30 富士見町着   

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