北京放送  トップページはこちら
長野県日中友好協会のホームページへようこそ
    
 長野県北京放送を聞く会だより
       

長野県北京放送を聞く会、総会を開催(5/30)

 日本長野県の中国国際放送局(略称:CRI、旧称:北京放送)のリスナーが集まり開かれてきた「長野県北京放送を聞く会」は、5月30日、第33回定期総会を開催しました。リスナーとCRI日本語部それぞれの代表のほか、長野県庁や長野県日中友好協会からも代表が出席しました。

 「長野県北京放送を聞く会」の西田節夫会長は、あいさつの中で、自らの経験を交えながら、先日人民大会堂で3000人の日本人訪中団を前に発表された習近平国家主席の演説の内容を紹介した上で、両国の友好のためにお互いに必要な存在になることの重要性を強調し、リスナーとして情報収集や情報発信などにより積極的に取り組み友好活動で活躍しようと呼びかけました。

 総会の後、CRI日本語部スタッフによる講演会が開かれ、その後交流懇親会が行われました。

 県内のリスナーを中心に結成された「長野県北京放送を聞く会」は、長年CRIと積極的に交流を続け、地元で中国語スクーリング、中国語スピーチコンテストなどの開催にも力を入れています。

 同会は96年5月、CRI局舎竣工記念として20本のソメイヨシノの桜の木を寄贈しました。その桜はCRI局舎の庭に植えられ、毎年綺麗な花をつけています。(文・写真:李軼豪)

北京放送聞く会定期総会、総合マルチメディアの時代に即した活動を(5/24)2014

 長野県北京放送を聞く会定期総会が5月24日、長野市もんぜんぷら座で20名の会員来賓が出席し開かれました。

 総会では、インターネットを活用して中国国際放送局が総合マルチメディアに変貌を遂げていることを踏まえ、より身近なものとしていつでも閲覧できる状況にあることを広く宣伝し、リスナーの一層の広がりに努めていくこと、2年後の放送局開局75周年、聞く会創立35周年の節目に向かっての記念事業の企画を準備していくこと、などを決めました。

 西田節夫会長は4月の観桜のための訪中で関係者から熱烈な歓迎を受けたことを報告し、会の活性化を目指すことを呼びかけました。

 白鳥博昭県国際課長、中国国際放送局日本語部の朱丹陽さん、布施正幸県日中友好協会事務局長らが来賓として出席し激励しました。

 総会終了後河北省から国際交流員として活躍中の白建飛さんが来日しての感想と中国事情について講演しました。

 第三部の懇親会が席を移動して和やかに行われました。

「18年目の桜」中日友好の揺るぎない絆(4/8)2014

 毎年春先に中国国際放送局CRIの庭に咲く20本の桜、「長野県北京放送を聞く会」の皆様方がわざわざ日本から苗木を持参して自らの手でCRI新社屋の落成を祝して18年前の1996年4月に寄贈植樹したものです。今やこの友好の「桜」は、CRI日本語放送とリスナーの絆を象徴するシンボルだけではなく、CRIならではの風情となりました。

 今年4月、西田節夫会長、北沢久前会長、大塚健三参与の3名で18年の成長した「桜」に会いに久しぶりにCRIを尋ねました。張振華元当時の局長、曙光元アナウサー、夏吉宣副局長、更に日本語部の皆様に熱烈歓迎を受けました。

 曙光女士曰く、「看花不忘、造花人」「花を見る者は、花を贈ってくれた人を忘れない。」20本の桜の木々の中に中国の詩人老舎の詩の記念碑がたてられていました。「喜びあり憂いあり、笑いあり涙あり、花も実もあり、色も香りも楽しめる、これこそ、花を育てる楽しみ、中日両国の人人の絆をつなぐ友好の花もこれと同じである。」(県北京放送を聞く会会長 西田節夫)

県北京放送を聞く会30周年を祝う、曙光さんが記念講演(5/15)2011

 県北京放送を聞く会は5月15日市内のホテルサンルート長野東口で定期総会を開き、30余名が出席して設立30周年を祝いました。中国語講座の名講師として活躍された曙光さんが記念講演を行いました。

 西田節夫会長は、設立30周年を迎え、歴代会長はじめ先輩の皆さんが切り開いてきた電波を通じての友好交流を今後とも県日中友好協会はじめ関係者とともにすすめて行きたいとあいさつしました。

 県日中友好協会を代表して布施正幸事務局長が会の継続発展のために努力してきた先輩の熱意を受け継ぎ今後とも中国を知り知らせる活動に成果をあげていただきたいと激励しました。

 参加者の手元には出来上がったばかりのカラー刷りの会報記念特集号が配布されていました。12月に北京放送局(中国国際放送局)が開局70周年を迎えるのに併せて、代表団を派遣することや中国語夏期スクーリングやスピーチコンテストなどに取り組んで行くことを決めました。

 曙光先生は「なせばなる・・・何事も」と題して農村で1人娘として育った生い立ちや、工農兵出身の大学生として勉学に励んだこと、文革中も周恩来総理の配慮で日本語を学べる環境が保たれたこと、北京放送局に入局して、初の「国産」の日本語アナウンサーとして懸命に努力したこと、日本語の講義を陳真さんの後を継いで担当することになり、テキストの編集と講義に携わったこと、「教えることは教わることです」「努力すればできないことはない」先生の歩んできた半生を感動的にご紹介いただきました。また老いても充実した生活を送る為に健康と生きがいについて自身の実践を紹介いただき、最後に経穴(ツボ)健康体操を指導していただきました。 (写真/曙光さんから西田会長に30周年祝賀の書が贈られた)