中国初代冬季五輪参加スキー選手、野沢温泉スキー場で45年ぶりの再会交流(9/20~23)

 長野県日中スキー交流委員会(県・県スキー連盟・県日中友好協会・野沢温泉村などで構成)と野沢温泉スキークラブの招きで、中国初代冬季オリンピック参加スキー選手代表団(王連全団長一行7名)が、9月20日から23日野沢温泉スキー場を再訪し、関係者から熱烈な歓迎を受け、往時を思い返しながら旧交を温めました。河野博明顧問らの案内で、日本スキー博物館や野沢温泉スパりーナ、ゴンドラリフトでヤマビコゲレンデ、オリンピックパークなどを視察したほか、片桐匡先生のお墓参りや研修生受け入れ旅館の訪問など有意義な時を過ごしました。

 9月21日には、野沢温泉スパリーナで歓迎交流会が開かれ、富井俊雄野沢温泉村村長はじめ、県スキー連盟からは河野博明顧問・高橋信夫副会長・河野政已専務、県日中友好協会からは西堀正司会長・布施正幸副会長、野沢温泉スキークラブからは森晃会長ら役員、さらに片桐幹雄㈱野沢温泉社長、丸山哲人㈱スワロースキー営業本部長ら16名が出席しました。

 河野博明顧問は一行来村の経緯を説明したのち、「中国は1980年2月アメリカのレークプラッシドで開かれた冬季オリンピックに初めてスキーなどの選手団を派遣した。ゼロからの出発ともいえる中国スキーチームを支援したのが全日本スキー連盟の要請を受けた長野県スキー連盟の片桐匡会長だった。1979年の12月に野沢温泉スキー場にナショナルチームを迎え、アシックスや小賀坂スキーの資材提供も取付け、アルペンとクロスカントリーの1か月にわたる訓練が開始された。林広浩(クロス)、王桂珍(アルペン)、尹桂萍(クロス)の各選手は河野博明(アルペン)、河野利之(クロス)両コーチの指導、特訓を受け、オリンピック出場選手にふさわしい心・技を磨いて見事初陣を飾ることができた。これが長野県と中国とのスキー交流のスタートだった。その後中国スキー協会からの要請で、半日労働半日訓練のスキー研修生の受け入れが継続され、総勢142名に達した。1982年からはスキー用具を送る運動も開始され、累計13万台余りに達した。1990年代以降は訓練集中型の訓練隊受入れとなった。1998年の長野冬季五輪招致に中国側も大いに協力してくれた。それから24年にして2022年の北京冬季五輪が成功裡に開催された。関係者一同にとっても共通の喜びであった。中国の新華社通信などが長野県を訪れ、北京冬季五輪成功は長野県の支援協力の賜物と大々的に紹介したことも銘記しておきたい」などと当時の貴重な写真を映写しながら報告しました。

 県日中スキー交流委員会を代表して高橋県スキー連盟副会長が「初代オリンピアンの皆さんを熱烈に歓迎します。45年前ゼロからの出発でオリンピックに挑んだチャレンジ精神がその後中国のスキーの急速な発展を実現し、2022年には北京冬季オリンピックを成功裡に開催するまでになった。中国は今や3億人の冬季スポーツ愛好者育成を掲げてスキーの普及・向上に努めている。日中スキー交流の継続発展を願っている」とあいさつしました。続いて西堀県日中友好協会会長が、往時を振り返って、片桐匡先生や于再清氏(冬季スポーツ管理部門責任者、その後IOC副会長)をはじめ関係者が知恵を絞り力を合わせてナショナルチームの受け入れを成功させ、さらにその後スキー交流を継続発展させてきた思い出を感慨深く語りました。

 王連全団長は初めに中国スキー協会の高学東秘書長からの感謝状を紹介しました。高秘書長は「1979年の準備訓練を契機に以来45年にわたるスキー交流が続いてきた。県日中スキー交流委員会、県日中友好協会が中国スキーの普及と発展のために全力で支持し支援してくれたことに衷心より感謝します」と述べています。王団長は「自分も2回にわたってスキー訓練隊を率いて来村したが、多くの友人ができ多くの成果を上げることができた。長野県スキー連盟、長野県日中友好協会、野沢温泉村の心のこもった支援にあらためて深く感謝したい。22年の北京冬季オリンピックの成功も長野県の皆さんの40余年に及ぶ支援の賜物」と感謝の意を表しました。

 富井村長は乾杯の音頭のあいさつで、当時、村の観光課職員として受け入れ対応にあたっていたことを紹介し、皆さんの再訪を心から歓迎したいと述べました。記念品交換では、団側から、選手、コーチの皆さんのサイン入りの掛け軸が県スキー連盟、県日中友好協会、野沢温泉スキークラブに贈られ、長野県側からは、ペナント、友好バッチ、野沢温泉村のハッピなどが贈られました。時のたつのも忘れて懇談交流しました。最後に、「野沢温泉スキークラブの応援歌」、「北国の春」を全員で肩を組んで高らかに歌い感動を共有しました。

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