重ねた信頼、未来に平和を

              (公社)日中友好協会専務理事 西堀正司

 日本と中国の国交正常化から来年で50年、実に半世紀を迎える。両国には2000年以上の友好の歴史があるが、その中には不幸な戦争の時代もあった。

 戦後の1950年、日中友好協会が創立。全国的に様々な友好活動を展開したが、当時の日本政府は米国に従って中国との交流を止めようとしたり消極的だった。中国との交流は厳しい環境のもと、民間主導で進めざるを得なかった。

 1969年、佐藤内閣は米国との共同声明で「台湾の平和と安定の維持が日本の安全に極めて重要」と明記する。しかし、歴史は前進しており、1971年秋、国連は「台湾」を追放し、中華人民共和国を安全保障常任理事国として合法的権利を回復させた。1972年2月ニクソン米国大統領が訪中。中米関係が前進し、日中関係の改善も急速に進展する。新内閣発足後、田中角栄総理、大平正芳外相、二階堂進官房長官の政治三役首脳が北京を訪問。毛沢東主席、周恩来総理、姫鵬飛外相ら中国首脳と新しい時代を作るため最大限努力し、法的戦争状態を終わらせる「日中共同声明」が発出されたのは1972年9月。台湾問題について、日本は中国の立場を理解し尊重することを明記、新しい歴史の一ページが開かれた。その後、約半世紀の間に、日中平和友好条約(78年)、日中共同宣言(98年)、戦略的的互恵関係推進をうたった日中共同声明(08年)、両国政府は、国民の叡智を結集し「4つの重要政治文書」を結ぶ。両国の平和、友好、発展を保障する大きな基盤となった。

 今春4月の日米共同声明は、その逆をいくとの声が国内外に広がっている。米中の対立激化、台湾をめぐる地域の安全、日本への影響が懸念される。国民が求めてきたのは、日中不再戦、戦争反対、経済再生と国民福祉ではなかったか。未来に希望と平和を願ってきたのではなかったか。

 この半世紀、日中の人的交流、経済貿易交流、文化科学技術交流が飛躍的に拡大し両国民に大きな利益をもたらしたことは周知の事実である。故宇都宮徳馬第三代会長の言葉を思い出す。「中国との友好は、日本の最大の安全保障である」。     (長野県日中友好協会副会長)    (「日本と中国」2021.6.1)

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