復交50年、改めて「日中共同声明」の原点を知ろう!

飯田日中友好協会理事長 小林勝人

明年は日中国交正常化から50周年を迎える。日中関係が厳しさを増している中で、日中共同声明を今改めて読み直し、その原点を確認しておきたい。

Ⅰ 戦争責任

  1972年9月25日、田中角栄首相一行は、北京到着後直ちに第一回日中首脳会談に入り、重要問題に関して、緊張と友好ムードの入り混じった雰囲気の中で討議が進められた。

 1)戦争状態の終結に関して、日本側は「日台条約によって基本的に解決済み」とする条約論を展開するも、中国側は、日本が「サンフランシスコ条約体制を受けて結んだ日台条約は、中華人民共和国が成立した以降に締結したものであり、不法であり、無効であって、戦争状態は法的に何ら終結されていない」とする立場であった。この重大な問題について中国としては、黙認するわけにはいかないと、周恩来は主張した。

 2)さらにその夜の周恩来主催の歓迎会の席上、田中首相演説での、「多大なご迷惑」発言が問題視され急遽、翌日の「万里の長城」見学の車中で、大平外相、姫鵬飛外交部長の会談がもたれ、続いて、首脳会談が再開された。この中で、 中国側はかつての戦争の責任について、軍部と国民を二分し、悪いのは「軍部」であって、国民は「被害者」であったとする、日本国民を免罪した公式見解が示された。これは、中国の未来を見据えての政治的智恵だと考えるべきで、日本国民自らが、責任がないと甘えて良いかは別問題である。中国では「賠償放棄」を含め共同声明に関して全土にわたって、人民への「説得教育」が行われたという。

 3)「日本の戦争責任」に関して、次の通り双方の合意がなされた。「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」

Ⅱ 復交三原則

    日中国交正常化については、中国はかねてから復交三原則を公にしており、これを日本が受け入れることによって正常化が実現できるという立場をとっていた。その三原則とは、①中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の合法政府である、②台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部である、③日本が台湾(中華民国)と結んだ平和条約(日台条約)は不法で無効であり、廃棄されなければならない、である。

  日本は、日台条約を含む「復交三原則」を十分理解する立場に立って国交正常化の実現をはかるという見解を再確認し、中国側はこれを歓迎するものであるとの合意がなされ、共同声明の前文に明記された。

Ⅲ 細部事項

  日中共同声明は、前文と9項目の個別合意事項から成り、その中の、第3項で、中華人民共和国政府の立場を十分理解し尊重しポツダム宣言第八条に基づく立場を堅持すると謳われ、そのポツダム宣言第八条では、「カイロ宣言の条項は履行せらるべく」とされ、そのカイロ宣言では、台湾は当時の中華民国、すなわち中国に返還されるべきものと書かれている。したがって、ポツダム宣言を受諾した日本は、台湾が中国に返還されることを受け入れたのであり、その立場を堅持するというのが、この共同声明第3項の意味である。

 また、第5項では、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する、となっている。 

 (2021.8.1「日本と中国」長野県版)

前事不忘・後事之師


 日中共同声明の前文に、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」という一項がある。

 これについて竹内好(1910年10月~1977年3月 中国文学者。文芸評論家。日中関係論など、言論界で多くの評論発言を行った。)は、この共同声明が発表された直後に、「前事不忘、後事之師」と題する一文を遺している。

 さて、その中の一部分を紹介すれば、『反省』といった語が政府間の外交文書に記されるのは、異例なことではないかと思う。この句は非常に意味深長であり、将来ますます意味が深まるように思う。と説き出し、共同声明は、実質的には平和条約に等しいか、少なくともその骨子というべきものである。そこに賠償放棄(本文第5項)が盛込まれたのは、これまたこの種の外交文書の異例と見るほかない。と述べ、相手に反省を求めることと、みずから賠償請求権を放棄することとは、二にして一であり、そこに一貫した中国の外交姿勢を読みとることができる。

 問題は、おなじ『反省』でも、日本語と中国語では語感がちがうし、したがって期待するものがちがうはずだが、それを日本側はどこまでわかっているか、ということである。…反省するからには、当然、それが行為となってあらわれるべきだ、というのが中国語の語感でもあるし、中国側の期待でもある。それにひきかえ日本側は、『反省』という文字を記せば、それで反省行為はおわったと考えている節が見える。言いかえると、共同声明を国交正常化の第一歩としてとらえるか、それとも国交正常化の完了としてとらえるかのちがいである。

 続いて氏は、両首脳の挨拶の一部を引用したあと、ここで問題としたいのは、未来のために過去を忘れるな、という中国側(周恩来首相)の見解に対して、日本側(田中角栄首相)は、過去を切捨て『明日のために話合う』ことを提起している相違点である。…過去を忘れては未来の設計が成立たぬのは常識である。歴史を重んずる漢民族にとってはことにそうである。…過去を問わぬ、過去を水に流す、といった日本人にかなり普遍的な和解の習俗なり思考習性なりは、それなりの存在理由があり、一種の民族的美徳といえないこともない。…ただそれは、普遍的なオキテではないことを心得て、外に向っての適用は抑制すべきである。…この相違を主観だけで飛びこえてしまうと、対等の友好は成立たない。と記している。
 2007.4『日本と中国』引用)



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