天竜村平岡と木曽町三岳で強制連行中国殉難烈士慰霊祭

◇天竜平岡で強制連行中国殉難烈士の慰霊祭(9/22)

 戦争末期、下伊那郡天龍村の平岡ダム建設で、中国から強制連行され強制労働をさせられて亡くなった中国人の慰霊祭が9月22日、ダム近くの慰霊碑前で営まれました。飯田日中友好協会や飯田下伊那地方の市町村などでつくる実行委員会が主催。今年は日中平和友好条約40周年にあたり、約100人が日中不再戦と平和への思いを新たにしました。

 参列した中国大使館友好交流部の潘林二等書記官は「慰霊祭が長く続いていることに感謝したい」とあいさつ。5月の日中首脳会談に触れ「民間レベルでの交流を進める好機を迎えている。慰霊祭が歴史の悲劇を繰り返さず平和を守り、よりよい未来を切り開く新たなスタートになることを願っています」と述べました。

 法要は慰霊碑前の祭壇で営まれ、参列者全員で黙とうをささげた後、読経に合わせて一人ずつ焼香しました。今回は初めて地元の天竜中学校の生徒4人が参列。祭壇に白い花を供えました。2年の中島茉緒さんは「今日をきっかけに、平岡ダムや戦中の歴史を学んでいきたいと思った」と語りました。

 実行委員長の永嶺誠一天竜村村長は「ダムの恩恵に浴す村民にとって、永遠に忘れられない痛み。不幸な歴史を再び繰り返すことのないよう、より一層日中両国の平和友好に努力したい」と述べました。飯田日中友好協会の清水可晴会長は「若い人が平和への思いをつなぐ取り組みを支えたい」と話しました。西堀正司県日中友好協会理事長は「下伊那地方にはこの慰霊碑と、阿智村の満蒙開拓平和記念館があり、平和を語り継いでいく拠点となっている。平和友好のメッセージを発信し続けてほしい」と述べました。

 平岡ダムには中国人880人余が中国河北省などから強制連行され、過酷な条件下で酷使され、作業中の事故や栄養失調などで62人の死者行方不明者を出しました。

◇木曽で強制連行中国殉難烈士の慰霊祭、平和を誓う(10/15)


 太平洋戦争末期に中国から木曽谷に強制連行され、過酷な発電所建設工事で亡くなった中国人182人の慰霊祭が10月15日、木曽町三岳の大島橋脇にある「中国人慰霊碑」の前で行われました。

 中国大使館の張亜強参事官はじめ県木曽地域振興局長、関西電力㈱木曽水力センター所長、木曽郡内の町村長や木曽町三岳の皆さん、県内の日中友好協会会員や勤労動員された旧制中学の関係者など80人が出席しました。

 慰霊祭は日中平和友好条約40周年と長野県と河北省との友好県省締結35周年を記念して開催されました。主催者を代表して、県日中友好協会の高波謙二会長と慰霊碑維持管理委員長の原久仁男木曽町長があいさつし殉難者を追悼し、平和を誓いました。追悼のあいさつに立った張参事官は「節目の年に戦争の教訓をくみとり、先輩たちが切り開いた友好関係が続くよう努力したい」と述べました。続いて木曽仏教会会長の小島宗徳大泉寺住職らによる慰霊法要が行われ、参列者が一人一人菊の花を祭壇に手向け冥福を祈りました。長野市滞在中の石家庄市語学研修生の王丹琳さんと邢雅林さんも往時をしのびながら手を合わせていました。

 第2部の慰霊斉事は三岳交流促進センターに場所を移して行われました。席上、西堀正司県日中友好協会理事長が特別報告を行い、戦後、強制連行殉難烈士の遺骨収集、慰霊事業が半田孝海善光寺大勧進大僧正らによって進められ、友好協会の設立につながったことや慰霊碑の題字を中国仏教会会長の趙樸初先生に揮ごういただいた経緯などを紹介し、また瀬戸普木曽郡町村会会長(王滝村長)は来賓の立場を離れて、導水管工事跡を見るにつけきわめて厳しいものであったことを実感したことなどを紹介しました。さらに池上一巳さんも勤労動員された旧制中学時代の体験を語りました。また高波会長から慰霊碑周辺の清掃管理を長年にわたり行い守ってきた三岳の老人クラブ支部長の上條靖男さんに感謝状が贈られました。

 慰霊祭に出席した、中国国際国際放送局長野ラジオ孔子学堂責任者の謝宏宇さんは、「慰霊碑が地域の皆さんに温かく守られ平和の願いを発信していることに感動しました」と語っていました。

(資料)戦争末期、国内の労働力不足を補うために、中国の河北省などから、多数の若者が強制連行され水力発電所工事や炭鉱などで劣悪な条件下酷使された。県内の木曽川水系や天竜川の発電所建設工事現場にも2,130名あまりが連行され内240名あまりが悲惨な死を遂げた。県日中友好協会の初代会長半田孝海・善光寺大勧進大僧正はじめ先達の皆さんは戦後いち早く殉難者の遺骨収集慰霊事業に取り組んだ。1964年には天竜村平岡ダムの脇に、1983年には木曽町(三岳村)御岳発電所近くにそれぞれ中国殉難烈士慰霊碑が建立された。犠牲者名簿の中で出身地がはっきりしている死者のうち約7割が河北省出身であることから、木曽の慰霊碑は河北省との友好提携に先立って同年10月県民の浄財を集めて建立された。五周年ごとに慰霊祭が、協会はじめ地元市町村、仏教会、勤労動員された旧制中学生など多くの関係者が寄って営まれてきた。9/22には天龍村平岡の慰霊碑前でも慰霊祭が行われました。


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