故井出正一先生を2500人が悼む(9/17)

 9月2日79歳で死去された井出正一先生(県日中友好協会第5代会長、元厚生大臣)の葬儀・告別式が佐久市武道館で開かれ県内外の政財界、日中友好協会はじめとした関係団体などから2500人超が参列し穏やかな遺影を前に別れを惜しみました。

 大島理森衆議院議長、阿部守一知事、藤原忠彦県町村会長、小泉俊博小諸市長らが弔詞、弔辞を読みました。斉事(灰寄せ)の席では田中秀征元経済企画庁長官、柳田清二佐久市長、松下雄一県酒販社長、高波謙二県日中友好協会会長、井出庸生衆議院議員らがお別れのことばを述べ故人の冥福を祈りました。喪主の長男太さんは「皆様にお世話になった父の人生は大変濃いものだったと思う」と感謝しました。葬儀には枝野幸男立憲民主党代表、玉木雄一郎国民民主党代表、小沢一郎自由党共同代表、鳩山由紀夫元首相、菅直人元首相、県選出の現元国会議員らも参列しました。

 大島議長は「井出一太郎先生以来の文人、哲人政治家で、信念をしっかり持たれていた方だった」と語り、阿部知事は「公の立場で考え行動する方で、県政や日中友好の面でもご支援ご活躍をいただいた」と感謝しました。秘書だった小泉小諸市長は「さきがけ的なものの考え方は、確実に国政、地方政治で芽を出し、成長をし続けている」と追悼し、ともにさきがけを結党した田中氏は「格別の重量感、安定感、責任感、信頼感を持ち、動いたら全力投球する人だった」と偲びました。秘書だった葬儀委員長の柳田佐久市長は中国残留孤児支援に力を注いだことを紹介し「国家、政府、政治家はたった一人の日本人も見過ごしてはならないことを教わった」と語りました。高波会長は「日中友好をライフワークとして取り組み日中関係が困難な時にあっても隣国中国との不再戦、平和友好を大切にして行動した方だった」と述べ友好の志を引き継いでいく決意を語りました。

 程永華駐日中国大使、中日友好協会、中国国際放送局、河北省人民対外友好協会、河北省農林科学院、邢台市等からも弔電が届きました。宇都宮徳一郎副会長が丹羽宇一郎会長の代理として参列しました。
 
(高波謙二会長のお別れのことば)

 故井出正一先生のお別れに際し、謹んでお別れのことばを申し上げます。

 井出先生の政治家としての業績は、厚生大臣や新党さきがけ党首を歴任されたことがすべてを物語っています。私は、井出先生とは古くからの知り合いで、青年会議所活動や1980年「信州青年の船」の下見を兼ねた訪中団でご一緒したこともありました。県友好協会会長を7期13年務められた間、私は副会長の1人としてお仕えし、誠実でリベラルを信条とし人々を魅了した先生の生前の姿が思い起こされます。

 先生のライフワークとなった日中友好につきましては、学生時代に中国語を学び、以来、新中国に関心を持ち続け、帰国者支援や、緑化協力等に実績を残され、中国との友好促進に情熱をもって尽力されました。日中関係が困難な時期にあっても、日本と中国の友好関係こそが、アジアそして世界の平和と繁栄につながるとの信念はゆるぎないものでした。

 先生は2002年、元全国農協中央会会長の堀内巳次先生の後を継いで、第5代長野県日中友好協会会長に就任されました。21世紀に入って、世界も日本も中国も大きく変化していく中で、不透明な時代を迎え、日中関係は様々な波に洗われ、試練の時を迎えておりました。