戦後70年、今、日中戦争の歴史に向き合う

                             長野県日中友好協会事務局長 布施正幸

 1945年(昭和20)8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、ここにアジアと世界そして日本に深い傷跡を残して太平洋戦争(第2次世界大戦)が終結した。中国やアジアへの侵略によって3000万人を超える犠牲者(死傷者)を生み、国民にも300万人を超える死者を出した呪わしい戦争だった。「敗戦」とは言わず「終戦」と表現する向きが多いが、紛れもなく敗戦であった。ミズーリー艦上で正式に降伏文書に署名したのが9月2日、この日をもって日本敗戦と連合国は位置づけているようだ。

 1945年は、戦争末期で3月10日の東京大空襲、8月6日の広島原爆投下、8月9日の長崎原爆投下、同じ日「満洲」へのソ連軍侵攻と続いた。学徒動員や特攻隊、満蒙開拓団などの悲劇を考えるにつけもっと早く戦争終結の決断ができなかったのかと思う。

 日本は、1931年の満洲事変から1937年の盧溝橋事件日中全面戦争へと進み、はては1941年の太平洋戦争へと暴走していく。どうしてこれをとめられなかったのか。世界恐慌や関東大震災、5・15事件や2・26事件など血なまぐさい事件が続き、治安維持法による弾圧をてこに、軍部独裁、翼賛体制の色彩を強めて行った。政府とそれに追従したマスコミの「満蒙は日本の生命線」の掛け声に煽られて人々が戦争こそ日本の危機を救うと思い込まされた結果だった。
*5・15事件(1932年)で凶弾に倒れた犬養毅首相は孫文の辛亥革命を支持し、大アジア主義の理想を持っていた政治家で、満州事変では軍部の暴走や「満州国」建国に反対し平和解決を目指していたと言われる。あの時代に、犬養のような気骨ある政治家がいたことを、日本人として銘記しておきたい。

 70年を振り返る時、70年前の愚を繰り返してはならないと思うのが人の正しき道である。アジアの人々との真の和解のために、日本人は民族的責任を忘れてはならない。日本人は恥を知る潔い民族であると思っている。過去においてしでかした過ちを潔く認め、反省し償い、新しい信頼関係を築くべきである。日本の新世代の指導者に是非このことを肝に銘じて欲しい。戦中派の先輩は、是非後輩に伝えて欲しい。

 訪日したドイツのメルケル首相に「過去の総括は和解の前提ですよ」と記者会見の席上諭されるように言われて、恥ずかしいし、さらにそれを覆い隠そうとするのはもっと恥ずかしい。日本の戦争責任についての世界からの視線は、メルケル発言に要約されていると言ってよい。さらに言いたいのは深い罪を犯した民族の責任を背負った彼女の発言に、真っ当な日本人は深く共鳴しその潔い態度に学ばなければならない。我々は、メルケル氏の善意に満ちた発言を忘れないために、翌日の新聞に残された彼女の発言をここにとどめておきたい。

◇メルケル首相:3月9日
 (共同記者会見)ナチス時代の行為について透明性をもって検証してきた経験がある。ナチスの恐ろしい所業、我々が担わなければならない罪とどう対応するかという過去の総括が、和解の前提になっている。
 (都内の講演会)日本と中国、韓国との間で歴史認識問題を巡り緊張が続いていることについて「あらゆる努力を惜しまず、平和的解決策を見出すべきだ」と述べ和解に向けて取り組みを促した。ナチスによるユダヤ人大量虐殺の歴史をもつドイツが第2次大戦後に国際社会から受け入れられたのは「過去ときちんと向き合ったからだ」と指摘。隣国の寛容な対応があったから可能になったとも述べ、緊張緩和には隣国同士の協力が必要との考えを示した。

 中国要人の発言も伝えられている。3月8日の王毅外相の発言(NHK記者の質問に答えたもの)と3月15日の李克強首相の発言だ。王外相発言は被害者と加害者の感情を端的に表していて耳に残る発言だ。李首相の発言では、久しぶりに周恩来総理の「日本人民も同じく日本軍国主義の被害者だ」との言葉を思い出させた。周総理が強調していた「前事不忘、後事之師」(前のことを忘れず、後事の師とする)、これこそが、日中両国の真の和解に至るキーワードだと思う。2人の発言も記録しておこう。

◇王毅外相:3月8日
 NHK記者が「日本では多くの人が歴史問題を利用して中国が国際社会での日本の信望を貶めようとしているのではないかと認識している」との問いに対し、王外相は「歴史問題が常に中日関係に困難を与える。原因はどこにあるのか。人に害を与えた加害者が忘れない場合のみ被害者のかつて受けた傷は癒える可能性が生まれる。これが歴史問題を取扱う上での正しい態度だ。日本の今の指導者はどうすべきかまず胸に手を当てて考えて欲しい。日本は70年前に戦争に負けた。70年後に再び良識を失ってはいけない」と述べた。

◇李克強首相:3月15日
 第12期全国人民代表大会閉幕後の記者会見で、「今年は中日関係にとって試練でもありチャンスでもある。日本の指導者が歴史を直視し、その姿勢を一貫して保つなら中日関係改善の新たな契機となる。一国の指導者は先人の成果を引き継ぐと同時に歴史の責任も負わなければならない。日本軍国主義による侵略戦争が中国人民に大きな災難をもたらした。日本の民衆も被害者だ」と述べた。

 戦後70年、「談話」が注目されるが、我々も、一人ひとりが1930年代の日本の戦争への歩みを現在に重ね見て、日中戦争の歴史に向き合い、日中不再戦、平和友好の思いを噛みしめてみたいと思う。
 
 (2015.3.16)

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