帰国者への理解を深めるつどい・体験発表と春節交流会(2/5)

 県と県日中友好協会は2月5日、「中国帰国者への理解を深める県民の集い」を長野市内のホテル・サンパルテ山王で開きました。旧満州(現中国東北部)に渡り、敗戦時の混乱で取り残された中国残留孤児ら3人が体験を発表、飯田日中友好協会が中心となってすすめている満蒙開拓平和記念館の報告も行われ、240人が聞き入りました。第2部では東京中国歌舞団による歌と民族楽器演奏を堪能し、第3部の春節交流会では餅つきや大正琴の演奏、くじ引き抽選会、歌やヤンコー踊りを楽しみました。

 第1部では主催者を代表して吉川篤明・県地域福祉課長と西堀正司・県日中友好協会理事長(中国帰国者交流センター所長)があいさつし、「長野県は全国一満州開拓団を送り出し多くの犠牲を出した。現在4000人以上の中国帰国者の皆さんが県内で暮らしている。帰国者1世の高齢化が進み、生活習慣への対応や就労、教育などの課題もある。帰国者の皆さんが、地域や県民の皆さんの理解を得て、平穏で幸せな生活を送ることができるように国、県、市町村、関係者が連携して支援活動に取り組んで行きたい。満蒙開拓平和記念館も実現に近づき、有意義な役割を期待したい。日中国交正常化40周年の年を迎えさまざまな記念事業が予定されている。帰国者の皆さんには友好の架け橋としても活躍願いたい。春節にあたり楽しく交流し理解を深めましょう」と語りました。

 体験発表で丹羽千文さん(78)=飯田市=は、1940年に家族と満州に渡ったが、45年8月のソ連軍の侵攻後の逃避行を地獄のようだったと振り返り、50年間を中国で過ごし、帰国時は「日本語をすっかり忘れていた」と語りました。今は子供や孫に囲まれて平穏に暮らしているといい、「二度と戦争を起こさず、平和であることをいつも願っている」と結びました。
 中島今朝代さん(77)=松本市=は逃避行と方正での厳しい越冬の様子、現地の中国人家庭に引き取られその後結婚、1990年帰国するまでの中国での暮らしを淡々と語りました。
 坂井馨さん(28)=長野市=は、2世と結婚し、2006年来日、「日本語の壁や困難を乗り越えてきた。出産後新しい職場で、周りの皆さんのあたたかい指導を受けながら前向きに頑張って行きたい」と話し、激励の拍手が送られました。
 特別報告として、飯田日中友好協会事務局長の小林勝人さんが今春着工が決まった「満蒙開拓平和記念館」の建設の意義と経過を報告しました。この記念館を、開拓団の悲劇を風化させることなく平和を語りついでいく拠点として立派に運営して行く決意を述べ、今後とも資料提供をはじめ協力支援をお願いしたいと訴えました。

 第2部の東京中国歌舞団の公演では、陽二蓮(ヤンアーレン)さんが「茉莉花」や「草原情歌」「早春賦」などを次々と披露。また劉錦程団長の揚琴と曹雪晶さんの二胡による、「賽馬」「柴竹調」「平湖秋月」の演奏が行われ、会場は春節の華やかな雰囲気に包まれました。陽さんのオリジナル曲「母の月」は情感あふれる曲でひときわ大きな拍手が起こりました。最後に会場一体となって「ふるさと」を熱唱しました。

 第3部の春節交流会ではアトラクションとして臼と杵を使って、帰国者の皆さんが次々と餅つきを体験しました。大正琴の生演奏をバックに会場のいたるところで交流が行なわれました。抽選会も行われくじを引き当てた人たちがたくさんの景品を受け取ってにっこり。松本、上田、長野、飯田、伊南の日本語教室に通う帰国者の皆さんが「海」「富士山」「四季の歌」「海はふるさと」や「ふるさと」「北国の春」「春が来た」などを一生懸命歌い大きな拍手を受けました。最後に中国の東北地方に伝わるヤンコー踊りを会場いっぱいににぎやかに踊りました。参加した帰国者の皆さんは「大変楽しかった。来年も是非参加したい」と語っていました。

 飯田下伊那、伊南、松本、上田、飯山、長野などからおおぜいの帰国者や支援者、市民のみなさんが参加しました。長谷部孝長野市厚生課長、篠原哲也県地域福祉課課長補佐、竹内正一県地域福祉課係長、小林佑一郎元帰国者定着促進センター所長、成沢捨也県日中副会長、福沢宏夫県日中副会長、北島良一長野市日中理事長らも出席し帰国者を激励し交流しました。長野市日中女性委員会の皆さんは友好の黄色のハッピ姿で、交流会の進行・盛り上げに大活躍でした。


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