日中同天・緑化協力を合言葉に
                            長野県日中友好協会  事務局長 布施正幸

長野県日中友好協会は2000年以来、友好提携している河北省の緑化に協力するため日中緑化交流基金の支援をいただき石家荘市平山県と保定市易県で緑化協力プロジェクトに取り組んできました。春先、黄砂が飛来する時期の天気図を見ていますと河北省の大気が3日後に長野県にやってくることがわかります。私たちの緑化協力の合言葉「日中同天、緑化協力」はここから生まれました。

河北省を何度か訪問している中で、年平均降雨量が500~560mmの乾燥地域である華北平原には道路沿いに一生懸命ポプラなどの樹が植えられていましたが、一度太行山脈へ入って行くと、そこは石灰岩や花崗岩、片麻岩を基本としてその上に薄い表土が張り付いて、藪のように潅木が申し訳程度に生育していました。1996年8月にはこの河北省に大洪水が発生し、石家荘市郊外のいつも干上がっていた大河の虖陀河が氾濫し下流の北京や天津を救うために、河北省の人々が犠牲を引き受けたと聞きました。友好協会では、義援金を呼びかけて河北省に見舞金を贈り感謝されました。

洪水を予防する方法はないのだろうかと気になっていたところ、虖陀河上流の平山県の緑化の話が耳に届きました。平山県には崗南ダムがあって、ここで太行山から流れ込む水をため人工用水路に水が振り分けられ虖陀河河川には一滴も水がない状態となっているのです。ダムの上流域の山地は樹木がほとんどなくはげ山状態です。従って山地に住む農民の暮らしは貧しく、緑化は地域の経済発展の上でも急務だと思いました。

希望小学校を贈呈した縁もあって、河北省人民対外友好協会の仲立ちで平山県の県長さんや林業局の皆さんと意見交換する機会があり、地元でも緑化10ヵ年計画などを策定して緑化にとりくもうとしていることが分かりました。西柏坡(ここは新中国建国前の1年間中国共産党の中央が置かれたところだそうです)の記念館近くに第一期目の植樹場所が決まり、立派な記念碑の除幕式も盛大に行われました。

以来6年にわたり平山県の緑化プロジェクトが進み、総面積620haとなりました。コノテガシワ、アカシア、火柜樹、山杏などが植えられました。毎年春や秋に緑化協力訪中団を派遣し地元の林業局や地元の農民の皆さんと植樹してきました。

2006年からは保定市の易県に場所を移して緑化プロジェクトが続けられています。ここは清の西陵が近くにあり、太行山の北東端に当たる地域です。山は石灰岩を元とした褐土で表土は10~35cm、年間降水量540mmとやはり厳しい地域です。以来4期分が終了し250haあまりに植樹がおこなわれました。易県の名は易水(「風飄々として易水寒し、壮士ひとたび去ってまた還らず」の故事ゆかりの地です)から出ており、下流域には白洋淀などがある一大水源地帯です。残念ながら白洋淀の水は年毎に水位が下がっていると聞きます。水土の保全と水源保持のために、緑化に力を入れ、きれいな水を豊富に供給できるようになることを願っています。(「日中緑化交流基金だよりNO.9」11.2.1)


(写真)井出正一県協会会長が易県での緑化協力の除幕式のあいさつの中で、「私たちはほんのきっかけ作りを提供しているに過ぎません。主人公は地元中国の皆さんです」と強調しました。












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