帰国者への理解を深めるつどい・体験発表と春節交流会(2/11)

 県と県日中友好協会は2月11日、「中国帰国者への理解を深める県民の集い」を長野市内のホテル・サンパルテ山王で開きました。旧満州(現中国東北部)に渡り、敗戦時の混乱で取り残された中国残留孤児や帰国者2世の4人が体験を発表、200人が聞き入りました。引き続き、第2部では京劇と変面のショーや二胡演奏を堪能し、第3部の春節交流会では餅つきを皮切りに大正琴の演奏、くじ引き抽選会、歌やヤンコー踊りを楽しみました。

 第1部では主催者を代表して吉川篤明・県地域福祉課長と井出正一・県日中友好協会会長があいさつし、「長野県は全国一満州開拓団を送り出し多くの犠牲を出した。現在4300人の中国帰国者の皆さんが県内に暮らしている。帰国者1世の高齢化が進み、生活習慣への対応や就労、教育などの課題もある。帰国者の皆さんが、言葉や習慣の壁などさまざまな困難を乗り越えてきたことに思いをいたし、地域や県民の皆さんの理解を得て、平穏で幸せな生活を送ることができるように国、県、市町村、関係者が連携して支援活動に取り組んで行きたい」と語りました。

 体験発表で井原澄子さん(74)=飯田市=は、1945年3月、当時8歳のとき家族8人で旧満州に渡ったが落ち着く間もなく、ソ連軍の侵攻に遭遇、約1ヶ月間山中を逃げ回った後、父はシベリヤに連行され、祖父や母とは死別、兄弟姉妹は現地の中国人家庭に引き取られその後結婚、1994年永住帰国するまで50年間異国で暮らし、その間「いつになったら日本人としての暮らしができるのか、祈るばかりだった」と話し、最後に、「悲劇を繰り返さないためにも日本と中国が平和であってほしい」と訴えました。
 残留孤児の蔵本芳恵さん(65)=長野市=は、「18年前に夫と息子3人で帰国し、日本語の壁や困難を乗り越え働いてきた。退職後は国の生活支援給付金を得て、安定した生活が送れるようになった。現在日本語を勉強し、家族も孫を含めて10人となり幸せに暮らしている。社会に恩返ししたい」と話しました。
 母親の出身地の駒ヶ根市で暮らす帰国2世の小池向華さん(57)は来日後に日本語を学び、就労や自動車免許を取得した苦労を振り返り「最初は生活のため仕方なく学んだが、今は日本語に興味がある」と語りました。
 小学5年生の池田慧子さん(11)は小学校で先生の指導を得ながら勉強に励んでいる様子を元気に発表しました。

 第2部の中国太陽芸術団の公演では、程波団長がかつてNHKのテレビドラマ「大地の子」に中国政府代表団の仰団長役で出演したことなどを紹介しながら、軽妙な司会で会場を沸かせました。京劇俳優の劉妍さんは煌びやかな衣装を身にまとい「覇王別姫」のなかの虞美人の剣舞を披露し会場の雰囲気を盛り上げました。二胡奏者の于雪源さんは中国と日本の名曲を演奏、アンコールに応えて「北国の春」の調べに乗ってテノール歌手でもある程波団長が歌いだすと会場は手拍子に包まれました。最後に劉妍さんが再び登場して秘伝といわれている「変面」を観客のすぐ目の前で披露、瞬間的に15の面に変わる高度な芸に拍手が鳴り止みませんでした。

 第3部の春節交流会ではアトラクションとして臼と杵を使って、帰国者の皆さんが次々と餅つきを体験しました。懇親会に入って、大正琴の生演奏をバックに会場のいたるところで交流が行なわれました。抽選会も行われくじを引き当てた人たちがたくさんの景品を受け取ってにっこり。長野、松本、上田、飯田や伊南の日本語教室に通う帰国者の皆さんが「北国の春」や「星影のワルツ」「故郷の空」などを一生懸命歌い大きな拍手を受けました。最後に中国の東北地方に伝わるヤンコー踊りを会場いっぱいににぎやかに踊りました。

 飯田下伊那、伊南、松本、上田、飯山、長野などからおおぜいの帰国者や支援者、市民のみなさんが参加しました。戸井田一成長野市保健福祉部長、西堀正司県日中帰国者交流センター所長、小林佑一郎元帰国者定着促進センター所長、長谷部孝長野市厚生課長、阿部智史県地域福祉課係長、北島良一長野市日中理事長、北沢久県日中帰国者留学生委員長らも出席し帰国者にエールを送り、交流しました。長野市日中女性委員会の皆さんは友好の黄色のハッピ姿で、交流会の進行・盛り上げに大活躍でした。



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