政治家の見識を問う
       劉傑・早稲田大学社会科学部教授(「日本と中国」11/5号)

 □国会の代表質問で日中関係の現状を問われた小泉首相は、相互訪問はないが、首脳会談は絶えず行なわれており関係は悪くないと答え、日中関係は日本にとって大事な両国関係であることも繰り返し表明した。どうやら首相は靖国参拝を継続する意思だし、両国の政治関係の改善を中国側の靖国問題への「理解」に託した模様である。
 所信表明で日中関係にまったく触れなかった首相の外交姿勢に疑問を抱く人は少なくない。問題をあえて避けた首相はついに「やればできる」という表現で今後の政治姿勢を宣言した。「信念」を貫けば、いつかは中国も理解してくれると本当に信じているのだろうか。
 □靖国参拝をめぐって中国がしきりにA級戦犯の合祀を問題にしているのは、国交正常化当時から主張してきた「日本国民も侵略戦争の被害者」という基本原則を貫いているからである。「ごく一部の軍国主義者」の責任を追及することによって両国国民感情の和解を目指した中国政府の外交姿勢は、日本国民からも高く評価され、中国に対する親近感を抱く日本人は7割に達した時期もあった。
  小泉首相も、自分の意思ではなく、やむなく戦場へ赴き、命を落とした人々を祀るのは当然であると言っている。正しい議論である。だからこそ、戦争を始め、多くの若者の命を犠牲にした人々の責任を明確にする必要がある。このような単純な論理は、一国の首相なら分かっているはずだ。恐らく問題はA級戦犯と言われた人たちも「やむをえず」戦争を開始したという考え方が根底にあるからではないか。近代における欧米のアジア進出の責任や、東京裁判の公正性に対する日本人の解けないわだかまりが、このような考え方を支えている。
 一方、中国各地から旧日本軍が残したガス弾が相次いで発見され、あの戦争が中国人の意識のなかで「歴史」として溶け込んでいくにはまだまだ時間がかかる。当分の間、13億の中国人民に良好な対日感情を抱かせるには、「日本国民も戦争の被害者」という原則を貫く以外に中国には選択肢がない。私はむしろ中国の「理解」を求めている小泉首相に、政治大国の政治家にふさわしい見識を求めたい。
 □近年、多くの日本の若者が中国大陸に自らの将来を託している。給料は日本の4分の1でも中国で夢をつかみたい。また、中国の若者も日本の企業や大学などで日本社会の一員として働いている。若者は自分たちの手で日中両国の明るい未来を築こうとしている。せめて彼らの足を引っ張らないよう、政治家に期待したい。

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