(資料)
日中国交正常化30年−自主性なき外交 なお  
  矢吹 晋
(信濃毎日新聞 4/12潮流2002

 今年は日中国交正常化三十周年であり、さまざまのイベントが予定されている。昨年、李登輝訪日問題のあおりでキャンセルされた李鵬全人代委員長の訪日や、次期国務院総理(首相)の呼び声の高い温家宝副首相の訪日が予定され、日本からはさまざまな代表団に加えて小泉首相の秋の訪中も準備段階に入った。
 日本から見ると、「日中三十周年」だが、中国では「米中正常化三十周年」のムードが日中を上回っている。日本は米国に追随するのみだから、「日本を動かすには、米中往来がが肝心」と中国が見くびっているフシもある。いまから三十年前の一九七二年二月、ニクソン大統領の頭越し外交、すなわち「ニクソン・ショック」を体験し、九月の田中訪中が行われたことは歴史のヒトコマだが、三十年後の今日なお、「自主性なきアジア外交」のイメージを払拭できないのは、嘆かわしい。冷戦体制が崩壊してすでに十数年を経ており、自主外交の可能性が広がっている状況だからこそ、なおさら外交不在が印象づけられる。
 台湾からの報道によると、陳水扁政権の李登輝離れは急ピッチであり、李登輝氏の影響力は急速に薄れつつあるようだ。昨年八月の経済発展諮問会議で「積極開放、有効管理」の新方針による大陸との交流が始まり、「戒急用忍」(あわてず、忍耐強く)の李登輝路線は放棄された。台湾経済の不振から脱却するためには、大陸との積極的な交流以外に道はないからである。
 昨年十二月の立法委員(日本の国会議員に相当)の選挙結果も陳水扁政権により現実的な選択を迫るものであった。李登輝氏の台湾団結連盟は十三名しか当選せず、民進党議員八十七名と合わせて百名であり、定数二二五の過半数一一三に足らない。民進党は依然少数与党であるから、野党や経済界との妥協を図るしか道はない。游錫埜内閣の組閣人事を見ると、あえて李登輝氏と対立する閣僚を交ぜた形跡もあり、意識的に距離をとろうとしていることが察せられる。立法院の議長、副議長をいずれも野党の国民党に奪われたことは、議会における与党と野党のの力関係を象徴する。
 昨年九月台湾のCIAたる国家安全局の出納担当者(大佐)が亡命した際に持ち出した資料により、李登輝時代の対米、対日政策の舞台裏も暴露され始めた。総額百三十億円の機密費の使途が記されているという。日本でいわゆるガイドライン法が制定された当時の橋本首相や国防関係者への働きかけにいくら用いられたかも記されているらしい。A防衛次官には十万米ドル(約一千万円)が手渡されたともいう。日本の安全が台湾資金によって買収されていたとするならば、由々しい事態であり、真相解明が待たれる。
 台湾海峡両岸がともにWTO(世界貿易機関)に加盟した現在、九〇年代末後半の両岸関係の「疑似緊張」は様変わりしつつある。両岸交流の障害は航空機の相互乗り入れを除けば、すでにすべて解決済みだ。毎年二百八十万人も台湾人が大陸を訪ずれ、大陸からは十万人が台湾を訪問し、台湾の直接投資は五万社、一千億ドルを超えている(日本は二万社、三百億ドル)。これが日中国交正常化三十年、日台断交三十年の現実である。いたずらに中国経済脅威論を煽るのではなく、東アジアの経済協力を進める知恵が求められている。
(やぶき・すすむ 横浜市立大学商学部教授)

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