魚敏旅館の由来
名前から想像されたとおり創業者(私の祖父)は以前魚屋をやっていました。創業者の名前は敏男で、
魚屋ということで魚敏ということになりました。昭和の初めに長野市内で始めましたが、太平洋戦争が
始まると内陸ということでなかなか新鮮な魚が手に入らなくなりました。そこで現在旅館のある土地に
池を作り川魚を養殖し、新鮮な魚を消費者に届けようとしました。戦争が終わり暫くその状態が続きま
したが、ある夏水が不足するようになりました。そして、井戸を掘ることになり掘っていったところ、
水は出るようになったのですが、水温が少々高いことに気づき(周囲の環境では充分想像できたと思い
ますが)、そのまま掘ったところ温泉を掘り当てました。そこで、商魂たくましい祖父は商売柄魚をさ
ばくのはおての物でしたのでならば温泉を利用して旅館を始めようとスタートしたのが1955年でした。
以来小さいながら40年余を経て来ましたが、祖父の趣味であった弓も又仕事にすべく、池をつぶして
弓道場を作り学生の合宿や一般の人が温泉に入りながら弓を引けるようにしてきました。又、1988年に
ジャパニーズイングループに加盟し、外国の人に日本の旅館の良さや伝統文化を満喫しながら宿泊して
もらっています。旅館とは名ばかりでホテル形式の多かったり名前ばかりホテルで和洋折衷の旅館が多
く、又利用するほうもそのような旅館を望む人が多い日本ですが、日本旅館の本当の良さを解かってい
るのは外国の人かも知れないと思うようになりました。又、1998年2月には長野冬季オリンピックが開か
れましたが、この町でもアルペン競技とスノーボードが開催され、多くの方が訪れてくださいましたが、
日本の方にも外国の方にもその良さを満喫してもらえるよう頑張っていきたいと思います。
客室数は8室と極く小さな旅館ですが、小さいなりきの小回りのきく良さを生かして自分の家の延長
上にあるような旅館でありたいと思っています。又、弓道の合宿場としても今まで通りに利用してもら
えたら大変嬉しいことと思っています。
オーナー家族の紹介
創始者 HP作成者
初代 二代目 三代目
敏男 ------ 伸人 ------- 和久
教士八段 教士六段 錬士六段
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